日本のフュージョンバンド「ネイティブ・サン」

クロスオーバーとフュージョン
日本ではフュージョンやクロスオーバーといっしょに使われる、クロスオーバーとフュージョンの違い。
1972年頃にクロスオーバーと言われる音楽が登場した。70年代半ばより、クロスオーバーは進化し、フュージョンと呼ぶようになった。

クロスオーバー
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クロスオーバーといえば、80年代にNHK-FM放送されていたの深夜番組「クロスオーバーイレブン」を思い出す。当時はこの番組内で流れる曲がクロスオーバーの曲と信じていた。

フュージョン
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「ネイティブ・サン」の メンバー
「ネイティブ・サン」の結成前に本田竹広や峰厚介は、東京の高円寺にあったライブハウス「JIROKICHI」に出演していた。
ギターの大出元信、ベースの川端民夫が加わり即席セッションが行われたこともあった。
本田竹広-keyboard

本田竹広は、1993年に脳内出血、1995年に腎性肺気腫。
1997年には再び脳内出血を患い闘病を続けていた。
峰厚介-sax

kosuke mine
川端民生-BASS

村上寛-DRUM

「ネイティブ・サン」のドラマーは他に
ルイス・ディ・アンドレード
セシル・モンロー
本田珠也(本田竹広の息子)
村上 寛のプロフィール|Ameba (アメーバ)
大出 元信-el-b

「ネイティブ・サン」ののメンバーはジャズからのミュージシャンたちだ。
ロックバンド出身のミュージシャンがいない。
「ネイティブ・サン」の軌跡と ディスコグラフィー
本田竹広が命名したバンド名の意味
「ネイティブ・サン」は、黒人作家リチャード・ライト1940年に出版した『Native Son』(邦題:『アメリカの息子』)から由来している。この小説は1986年にマッド・ディロン主演で映画化されている、


番外「The Quartet (ザ・カルテット)」
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1983年7月にスイスで開催された、モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤アルバム『CARNIVAL~Live at Montreux』を発売。
かつてのフュージョンバンド「ネイティブ・サン」の輝きは失われつつあった。
峰厚介の脱

フュージョンバンド「ネイティブ・サン」終焉を迎えつつあった。
ネイティブ・サンの解散

1970年代後半から1980年代初めまで、当時日本の音楽シーンでブレイクしたフュージョン。
そのフュージョン・ブームの中で、ネイティブ・サンは、マクセルカセットテープのCMとのタイアップなど華々しい売り込みの結果、成功をおさめた。
しかし、その後バンドのコンセプトはフュージョンゆえに迷走していった。