週刊少年ジャンプに連載された人気漫画『サーキットの狼』に代表される、1970年代の日本を席巻したスーパーカーブーム。まだ免許も持てない子供たちに、外国製スポーツカーのカッコ良さを教えてくれたこの大ブームこそ、我々ミドルエッジ世代を直撃した社会現象だった。ミドルエッジ世代の男子なら、きっと学校に持ち込んだスーパーカー消しゴムをボールペンのノック部分で弾いて遊んだ覚えがあるのでは?
古くは『007は二度死ぬ』に登場したトヨタ2000GTや、架空の車であれば『ウルトラシリーズ』に登場する未来的な車など、日本にも記憶に残るカッコいい車は過去に数々存在した。だが、リアルに外国のスーパーカーに負けない国産スーパーカーの完成を目指した男たちが、遂にその夢を実現させた日本初のスーパーカーを覚えておいでだろうか?
そう、その車こそ、幻の名車である童夢・ゼロ!今回はその誕生40周年を記念して、この日本初のスーパーカー開発を描いた実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』を取り上げてみたいと思う。
国産初のスーパーカー童夢・ゼロとは?

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そのあまりに低い車高の外観と、憧れのランボルギーニカウンタックの様なガルウィングのドア開閉は、その車名である「童夢」の通り正に当時の子供たちの夢と憧れを具現化した様なデザイン!
ミドルエッジ世代には、あのジャッキーチェンの愛車としてのイメージが強いのではないだろうか?

童夢開発の参考にされた、フェラーリ308のプラモデル
この実録漫画でも書かれている様に、ヨーロッパの代表的なスポーツカーであるフェラーリ308を参考に開発しているため、外観や車高の低さも結構似ている、この童夢・ゼロ。実は、開発時に世界一車高の低い車を作ろうとしたため、何と車高は98cmという低さ!そのため車内が非常に狭くなってしまい、大柄な男性では運転出来ないという結果に・・・。この様に実用性よりもデザインを重視した点も、スーパーカーの名に恥じないエピソードと言えるだろう。
実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』概略

掲載誌の表紙
この国産初のスーパーカー童夢・ゼロ誕生秘話を描いた漫画が掲載されたのは、『月刊少年マガジン』の1978年7月号。
作者は塚本俊昭先生で、全30ページでの読み切り掲載だった。
当時の欄外では、『読み切りメカシリーズ第一弾』と記載されているのだが、この企画がこの後も続いたかは不明だ。
実録漫画『はしれ!童夢・ゼロ』内容紹介

本作の扉絵

たった3人で始めた会社が、後に夢の車「童夢・ゼロ」を実現させることになる。

参考にしたのは、フェラーリ308だった!

デザイン画の段階ではどこも相手にしてくれない、という厳しい現実。
日本初のスーパーカー開発に着手したのは、意外にも有名メーカーや大会社では無く、僅か3人で始めた会社「童夢」だった。彼らはヨーロッパの代表的なスポーツカーであるフェラーリ308を研究し、ついにあの独特のデザインを持つ童夢・ゼロが誕生することになる。

空気抵抗を見る風洞実験の結果は大成功!

童夢・ゼロの名前の由来とは?

遂に完成!そして世界のモーターショーへ!
東京大学航空研究所での風洞実験により、車体の空気抵抗や高速安定性の問題も見事クリア!
こうして試作車である童夢・ゼロが完成、1978年スイスのジュネーブで開催された国際自動車ショーで、遂に世界に向けて初披露されたのだった。

世界でもそのデザインが話題に!

イギリスの有名メーカーからも賞賛が!

この当時は希望に溢れていたのだが・・・。
遂に世界の名車が集まる国際自動車ショーで、華麗なデビューを飾った童夢・ゼロ。実は、市販前のこの時点で世界の有名人や富豪からの注文が殺到する程の人気となり、その中にはあのジャッキー・チェンの名前もあったとか!
その後はアメリカ向け仕様の童夢P-2や、レース参戦用に開発された童夢・ゼロRLも登場したが、残念ながらこの夢のスーパーカー童夢・ゼロが一般に市販されることは無かったのだ。理由としては、当時の運輸省が難色を示しためとされている。(このあたりの折衝の難しさは、この実録漫画の中でも描かれている)

F1参戦した童夢チームのPSソフト
その後数々のレースへの参戦を経て、フォーミュラカーへとシフトした株式会社童夢は、レーシングカーの設計やレーシングチームの運営など、今でも精力的に活躍を続けている。子供の頃この童夢ゼロに憧れた世代の一人として、いつか会社創業時の夢を実現する日が来ることを願って止まない。
その後の童夢の運命や展開について詳しくお知りになりたい方は、以下のリンクからご確認頂ければ幸いです。
童夢-零 - Wikipedia
最後に
いかがでしたか?
環境に配慮したハイブリッド車やエコカー全盛の現代からは、もはや想像も出来ないこのスーパーカー童夢・ゼロ。とにかく近未来的なそのデザインは子供たちの憧れそのものであり、ミドルエッジ世代には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンや『ナイトライダー』のナイト2000に匹敵するアイコンとなっている。
その夢の車が大企業や有名メーカーでは無く、僅か3人で始めた小さな会社が実現させたという事実は、それだけで充分に一本の映画に出来る程だ。

童夢・ゼロのプラモデル
残念ながら市販には至らなかった、この童夢・ゼロ。ところが、そのデザインのカッコ良さが子供たちからの絶大な人気を呼び、トミカのミニカーやプラモデル・子供向け文具などのマーチャンダイズ料でかなりの額(一説には10億円!)を稼ぐことが出来たとのこと。夢を諦めずに追い続けたチーム童夢の人々の成果が、この様な形で利益をもたらしたことは実に幸運だったと言えるだろう。
大企業により守られていた自動車業界に、子供の頃の憧れと夢を武器に果敢に戦いを挑んだチーム童夢の男たち。当時リアルタイムでスーパーカーブームを体験したミドルエッジ世代にこそ、是非呼んで頂きたい作品だ。