日産・バイオレットって何?
バイオレット(VIOLET)は、日産自動車が、かつて生産販売していた小型乗用車の事です。
3代目のT11型まで僅か9年間の製造販売で終了してしまったバイオレット。
ランク的には
1973年1月に発売された初代710型バイオレットは、下級車種のサニーと、上級車種の610型ブルーバードUの中間クラスを担う新規車種として発売されたが、実際はブルーバードシリーズの一車種として、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けており、その背景には日産の商品企画や販売政策が影響している。
ミドル世代でも・・・

バイオレット 1400GL 4ドア セダン ドア内側
ミドル世代でも、あまり馴染みが無い車種ではないでしょうか。
実際に私が免許を取った頃には既に製造販売終了していましたから。
何故気になるのかは、ちょうど先輩世代が乗っていたからかもしれません。
セド・グロ330・430(セドリック・グロリア)に乗る先輩世代の中に、1人か2人ぐらいバイオレットに乗る先輩がいました。
確か中学生の頃、始めて先輩の車に乗せてもらったのがバイオレットだったかもしれません。
中学生には憧れ
バイオレットにと言うより車に憧れ・・・だったのかもしれません。
30年以上前なので時効だと思うのですが(勝手に)、当時は空き地やデカイ駐車場も多く先輩に頼み込み、始めて車の運転をしたのがバイオレットでした。
今の車みたくお洒落な改造をした車では無く、ただ内装が人形だらけな派手な車だったのを覚えています。
そんなバイオレット今でも根強いファンが沢山いるそうです。
確かに今見てもカッコイイと思います。
初代 710型系(1973年 - 1977年)

バイオレット(初代)2ドアハードトップ(前期型)
1973年1月に新発売。ボディタイプは当初4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類。サスペンションは、前輪にはマクファーソンストラット式独立懸架が全車に採用され、後輪は、スポーツグレードのSSSにのみ510型ブルーバードと同様のセミトレーリングアーム式独立懸架、その他の車種はリーフ式車軸懸架が採用された。
ラリーでは510型ブルーバード譲りのスポーツグレード・SSS(スリーエス)が活躍していた。
実際は710型バイオレットは複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルだったため販売は低迷・・・後に4ドアセダンは、ノッチバックスタイルへ大幅なマイナーチェンジを行う。
初代 スペック

バイオレット(初代)2ドアハードトップ(前期型)リヤスタイル
登場~変更点
1973年1月の登場から
1974年9月 - セダンのリヤコンビネーションランプ変更。
1975年9月 - 1600SSS-Eが昭和50年排出ガス規制適合(A-P710型)。
10月 - 残りの全車種が昭和50年排出ガス規制適合。
モータースポーツ

初代 710型系1979年サファリラリー優勝車
1974年 - マレーシアの「スランゴール・グランプリ」にて「バイオレットターボ」が総合優勝を飾る。

初代 710型系第13回サザンクロスラリー参戦車
1977年 - 第12回サザンクロスラリーに直列4気筒DOHC・16バルブの競技用エンジン、LZ18型を搭載する2ドアハードトップがラウノ・アルトーネンのドライブで参戦、総合優勝を飾る。
マイナーチェンジ

バイオレット 1400GL 4ドア セダン後期型
1976年2月タクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上するため4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更、型式も711型になった。1,600ccが昭和51年排ガス規制に適合。2ドアセダンは廃止。CMキャラクターは俳優の藤岡弘氏を起用。
初代710型系の終了
1977年5月 - 製造販売の終了。2代目A10型に受け継がれました。
因みに2代目 はA10型系(1977年 - 1984年)

バイオレット(2代目) A10型系2ドアセダン(前期型)
1977年5月20日、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の型式名が与えられた。デビュー時のボディタイプは4ドアセダンと、「オープンバック」と称する3ドアハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類(海外市場向けはライトバンの代わりにステーションワゴンが設定)。
最後に・・・

いかがだったでしょうか?
馴染みがあまり無い車かもしれませんが、知ってる世代の方には、たまらない1台ではないでしょうか。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
80年代始め『ブタケツ』の愛称で親しまれた2代目ローレルSGXの魅力!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ヤンチャ大好きTOYOTAセリカと言えば初代ダルマ&LBでしょ!! - Middle Edge(ミドルエッジ)