http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E6%95%AC%E5%8F%B8
1984年 新日本プロレス入団~ヤングライオン時代
1984年に新日本プロレス入団。
もちろん新人なので、新日本プロレス定番の坊主→角刈り。
天才とはいえ、他の新人と同じ扱いである。
若さもあり、髪はまだ元気そのもの。ちゃんと角刈りしている。
ヤングライオン時代
1986 1度目の海外遠征~スペースローンウルフ時代
天性の運動神経とルックスから、早くから将来のエース候補となり海外遠征へと赴く。ここで1度目の海外遠征。「ホワイト・ニンジャ」として活躍する。
髪は地毛でボブカット気味か。角刈りからは大分伸びたようだ。
ホワイトニンジャ時代
帰国後、「スペース・ローン・ウルフ」なるギミックで売り出される。
リング登場時のコスチュームに宇宙飛行士のヘルメットを頭に被らずに手に携えてリングイン。ブルゾンタイプのガウンに胸元に“610”と書かれていた。
真っ直ぐのふさふさした頭髪は『ジャニーズ系レスラー』との呼び声も。
スペースローンウルフ
1989 2度目の海外遠征~グレート・ムタ誕生
1989年にWCWにグレート・ムタが初登場。
当時のアメリカでの人気は絶大で、グレート・ムタがスティングやリック・フレアーと対決するのをテレビで見てレスラーを志したアメリカ人レスラーも多い。
髪型はジャニーズ系のままか。若干、薄くなってきているような・・・
グレート・ムタ誕生
1995 新日本プロレスにおける武藤の絶頂期~オレンジパンツ時代
1995ごろは武藤の絶頂期。
IWGPヘビー級王者で迎えた8月のG1もIWGP王者としては初となる優勝。
10.9東京ドームで行われたUWFインターの高田を破り、プロレス大賞MVPも受賞している。
この頃からプロレスファンの間では、頭髪についての話題がチラホラ。
1995 G1 優勝
1998 nWoジャパンへの参加
WCWでのアメリカ遠征で正式にムタとしてnWoに加入。
蝶野と共闘し、nWo JAPANのムタとしてG1にも参戦する。
黒いメイクのためか、頭皮はそこまで目立たず。
nWoジャパン グレート・ムタ
試合前のペイントする時間が多忙などが重なったことから、ムタをやり切ることに限界を感じて、9月23日にはムタから武藤に変身。
髭を伸ばして、黒バットなどの凶器を使って、ヒールに徹した。
この頃からもう隠せない状態。「武藤、髪!」「ヤバイ。頭皮!」などとヤジられだす。
nWo ジャパン時代
2000年12月31日 INOKI BOM-BA-YE 2000
nWoジャパン消滅後、武藤はWCWにグレートムタとして参戦していた。
2000年12月31日の大阪ドームで開催されたINOKI BOM-BA-YE 2000で国内復帰。田延彦と一夜限りのタッグを組み、ドン・フライ、ケン・シャムロック組と対戦。
スキンヘッドにして登場。リングインしてコールされるまでガウンで隠している粋な演出だった。