紅白歌合戦というお化け番組

1982年第33回のグラフNHK臨時増刊
グラフNHK 臨時増刊 紅白歌合戦 1982年 33回 財... - ヤフオク!
「紅白歌合戦」という、なんか大みそかにやってる長時間の歌番組と思ってる
そこの若いの。
今でこそ自分の持ち歌を気合の入った衣装で歌うただの懐メロ番組になっちゃったけど
1960~1980年代前半くらいまでは、
視聴率平均75%超えのお化け番組でした。
紅白の出演歌手に選ばれることが
日本の歌手のステイタスでもあった時代です。

紅白歌合戦の視聴率の推移
図録▽NHK紅白歌合戦の平均視聴率推移
なんでケロリンが「ほんの一瞬」だけでも
1981年、第32回の紅白の舞台に立つはめになったのか。
その年の白組の歌手に、菅原洋一さんがおられます。
彼は「慕情」という映画のタイトルロールを歌うのですが
そこに若い合唱隊をバックコーラスに充てようという、NHK側の演出が企画されました。
普段なら近隣の大学の合唱団やNHKと懇意の合唱団に声がかかるのでしょうが
なんと言っても大みそか。
帰省してたり忙しかったりで、なかなか人が集まらず
とにかくあちこちの合唱のサークルに声をかけた様子です。
その結果、「え?紅白?出る出る~」と
ミーハーなケロリンほか数人が
興味しんしんで手を上げちゃったわけです。
拘束時間がやばい 前の日からがっつり
そういう国民的音楽番組だから、しかたがないっちゃないのだけど
「12月30日のリハーサルからNHKに来い!」というお達し。
朝10時にNHK放送センターに入り、
なんだかよくわからない部屋に通されて、明日着る服装の説明。
リハ室に入る前に楽譜の配布。
(まあ要するに「あー」とか「うー」とか、そういうのです)
もんのすごい防音空調壁のリハ室に入ると、
当日のオーケストラがゲネプロをやってます。
(ゲネラルプローベ:通し稽古)

NHKのリハ室 なんかこんな感じだった
SNK | 開発研究
もちろん通し稽古なので、当日の歌の順番通り行うのですが
菅原洋一さんの歌順は白組の8番目。
たった5分のリハのために、3時間待たされました(涙
そして当日も朝9時から。
当時紅白は夜9時開始でした。
2部制になった1989年から、7時15分開始になりましたが
あのころはTBSの「日本レコード大賞」が
紅白の前の大きな番組としてまだ影響力があり
夜7時から9時までの生放送であったため、
紅白歌合戦はそのあとだったんです。
夜9時からの番組のために、朝9時に集合って・・・
この時だけはカルいノリで手を上げちゃったことを後悔しましたわ。
当日の歌合戦表

第32回紅白歌合戦 歌順
NHK紅白歌合戦ヒストリー 第32回 より
今見るとあらためて
「若くて勢いのあるアイドル歌手」がちゃんといるなあと思いますね。
もちろん今のAKBやジャニーズの「若いのがうじゃうじゃいる」状態ではないですが
若い子の歌が、ちゃんと自分たちの持ち歌として
多くのひとに認知されているのがわかります。
本番までのながーいながーい時間
NHKホールでの最終リハーサル

NHKホール
NHKホール > 施設概要
さて当日。
「ほんの一瞬」のために、朝もはよから渋谷まで出勤したケロリン。
NHKホールでの最終リハーサルに参加します。
寒いので、服はそのままでいいと言われました。
菅原洋一さんのリハ出番まで、客席で見ていていいとのことで
かなりいい席に陣取ってリハーサルを鑑賞させていただきました。
前日のリハ室のリハに参加しなかった歌手さんも
ここでのリハーサルには参加していました。
とはいっても、全部歌うわけではなく
どのマイクを使うか、立ち位置はどこか
どこから登場してどこにはけるか
ライトの当たり具合はどうか
そんなことを確認するのが主だったようです。
雛段がこわい
合唱の方上がって下さい~
というアナウンスがあって、
客席で控えていた合唱隊がわらわらと上がります。
集まるのは、女性は下手(しもて:客席から見て左側、紅組側)。
本来だったらソプラノとかアルトとか分かれて立つんですが
「前の人の頭にかぶらないように立ってください」
あーつまり我々は「背景」なんだな、って
思っちゃいましたね。まあ当然ですね。
移動式の雛段に立つんですけど
この雛段の幅がめっちゃ狭い。そんでかなり高速で動くので
これがめちゃくちゃ怖い。
本番でつんのめってこけたらどうしようと本気で思ったよ。
まあたいして歌いもせず
顔が全員客席から見えていることと
雛段がちゃんと動くことを確認して、菅原洋一さん(と我々)のリハーサルは終了。
ちょっとは役得もあったかな
菅原洋一さんの歌のあとに
紅白の歌手たちの合同ショータイムがあって
当時飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドル勢のダンスの練習が見られたのは
ちょっと役得でした(^^)
曲目は「愛のコリーダ」で
紅組は松田聖子、石川ひとみ、岩崎宏美、桜田淳子、榊原郁恵、シルヴィア
白組は近藤真彦、田原俊彦、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎
(だったかな。wikiにこう書いてあるけど正しいかどうかの確証はない)
みんなでくるくる回って踊ってました。
あちこちの歌番組に出たり、コンサートしたり、みんな忙しいだろうに
こんな振り付けやステップをちゃんと覚えて踊れるんだ~
すげーな~、と
似たような年のはずの我々は、
ほぼおばちゃん状態になってほけーっと見てました。
ダンスのリハが終わって、私の隣にいたトシちゃんファンの友人が
「トシちゃーん」と声を上げたもんで
周りはあわあわしちゃったんですが
トシちゃんはいいノリで「どーも―」と手を振り返してくれて
ますますおばちゃん化するわたしたち。
でもマッチは振り返してくれなかったよ。

トシちゃん 可愛かったです
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ひるのプレゼント 飛び入り参加
自分たちの番が終わってしまったので、ホールから追い出されたわたしたち。
ただしNHKの中から出て行かないでくださいと言われて
もうNHKの中をうろうろするしかありません。
NHKホールの裏から放送センターの中に入り
放送センターの食堂でお昼でも食べようかというときに
(食事は出なかったと思う。夕食は出たような気もするけど確信はない)
「すみません、人が足りないのでよかったら来てもらえますか」と
声がかかります。
とにっかくヒマなわたしたち。
はいはいなんでもやります~と付いていった先は、スタジオ。
ちょうど「ひるのプレゼント」の年末特別バージョン
「年忘れひるのプレゼント」の本番前でした。
我々の役目は、雛段に(また雛段かよ!)座って
場を盛り上げる観客役。
当時のバラエティ番組は、観客の映らない今のものと違い
司会者やゲストの後ろに観客が映り込んでいて
笑ったり拍手したりが全部放映されていました。
ゲストが誰だったか、どんな内容の番組だったか
とんと覚えていませんが
とにかく前の方にADがいて、
「笑って」とか「拍手」とかフリップを出してたのは覚えてる。
生放送だから、自分が映ってたかどうかもわかんないけど
たった小一時間の拘束時間で
一人2,000円ももらえたのはびっくりでした。
(当時のアルバイトは時給700円くらいだったかと)
NHKの社食でごはん
1階の社員食堂でお昼をいただきます。
「一般人なのにこんなところでごはん食べていいのかな~」と
おそるおそる入って行ったわたしたち。
安い!
その時は確か300円くらいでちゃんとした定食が食べられたんだよ。
しかもあちこちに見知った顔の人が普通にごはんを食べている。
いやいやここは騒いじゃいけないと、神妙に食事をいたしました。
NHKの社食は、普通に一般の方でも入れます。
んでも渋谷にはもっといいお店がいっぱいあるので
わざわざNHKまで行かなくてもいいとは思うけどね。
ホール裏の楽屋通路をうろうろうろうろ
お昼のあとは、ホールに戻って
楽屋の通路をうろうろします。
もうメイクに入っている歌手さんもいて
衣装はまだ普通のままで、でもばっちりメイクの八代亜紀さんとか
ピシッとスーツを着た水前寺清子さんとかとすれ違いました。
(八代亜紀さんて背がちっちゃくて可愛いの!)
通路の角には神棚があるんです。
そこを通るときは、ちょっとごあいさつをしたりしましたよ。

もっと薄暗いところに神棚があった気が・・・
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そのうち夕方になって、本番が近づいてくると
楽屋裏もかなりバタバタした、殺気めいた雰囲気になってきました。
もうこれ以上ここにいてはお邪魔になってしまうと
珍しく空気を読んだわたしたち。
殺風景ながらんとした控室に戻ります。
同じようにヒマを持て余している他の合唱隊の方々のように
ちっちゃいモニターに映るホールの様子
(舞台でバタバタしているのがようやっと判別できる程度)をながめたり
本を読んだり、人とおしゃべりしたり
机に伏せて寝たりして、
長い長い待機時間を過ごしました。
いやー。ほんとに長かった。
やっと・・・やっと本番
21時 本番スタート

司会のふたり 山川静夫アナと黒柳徹子さん
1981年大晦日紅白★テレビガイド★年末年始超特大... - ヤフオク!
本番のスタートは
ホールの袖にいるわけでもなく、
殺風景控室のちっちゃいモニターで「ああ始まったな」くらいの認識。
(いやもうこの時点でけっこう疲れきってました)
でも、にぎにぎしい雰囲気は伝わってきましたよ。
紅白の始まる前に、日本レコード大賞の発表と授与式が
日比谷の帝国劇場で行われています。
1980年までは、帝国劇場で授与式を終えた歌手たちが
車で日比谷から渋谷まで飛ばして
NHKホールに到着し、客席の後ろから登場して舞台に上がる
というのが、登場の定番でした。
みなさん日本レコード大賞の候補者のあかしのカトレアを
胸につけたままでね。
でもこの年から、登場は普通に舞台の正面からになり
帝国劇場から息せき切ってNHKに来る
という図式はなくなりました。
ちなみにこの年の日本レコード大賞
大賞は寺尾聰「ルビーの指輪」
最優秀歌唱賞は岩崎宏美「すみれ色の涙」
最優秀新人賞は近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
でした。
マッチは新人賞取って帝国劇場で歌ったあと紅白で1番目なので
忙しかったんじゃないかと思います。
21時15分 スタンバイ

白ブラウスと黒ロングスカート
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合唱隊女性は全員この状態で
(男性は白シャツ黒蝶タイ黒上下)
1番目のマッチが終わったら集合と言われていました。
(トシちゃんファンの友人は2番目のトシちゃんが見られないのでぶーたれていたが)
全員でしずかーに袖まで移動。
8番目の菅原洋一さんの出番まで
広い舞台裏で待機です。
後ほど合唱隊の男性に聞いたところでは
上手の白組側では
菅原洋一さんご本人から「よろしく」とごあいさつがあったようです。
袖ではあまりステージの様子がわかりません。
歌もオケの音もあまり明瞭ではなくて
客席のざわざわはかなり聞こえていました。
ホールの構造からいっても、
舞台の上の音は、客席によりよく届くようにできているんでしょうね。
21時40分ごろ? 出番です

菅原洋一さん
菅原洋一オフィシャルホームページ~プロフィール
菅原洋一 - Wikipedia
「慕情」は、菅原さんのオリジナルの曲ではないけれど
やさしい柔らかい声で歌いあげる、菅原さんによく合う曲でした。
我々は
菅原「ラーブ、イズザメニー、スプレンダーシーング」のあと
「うー、うー、うー」とコーラスをつけます。譜面なしです(涙
まあどうせ客席は我々の声なんざ聞いちゃいねえ
背景だしよぉ
なんてやさぐれることもなく、ちゃんとまじめに歌いましたよ。
そのために12時間+αを耐えたんだしね。
でも本番はあっという間でした。
すーぐ終わっちゃったよ(笑
すぐに着替えて3階席へ
控室に戻って、機関銃のごとくに急いで着替え。
そのままバタバタとホールへ。
3階席のはじっこなら空いているから、最後まで見て行っていいですよと
NHK様からありがたいお言葉。
当時はそういう意味ではゆるかったのかもね。
今は観覧希望もものすごい倍率で、絶対に空いていないっぽいし。
着替え終わって3階に行った時は、
ちょうど西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」が始まるところでした。
西田敏行はラベンダー色のサテンの燕尾服にシルクハットで
えらいキザな格好でピアノ弾いてた(笑
レコ大を取った「ルビーの指輪」が聞けなかったのは残念だけど
3組分のロスだけでホールに来られたことはラッキーでした。
大トリ、審査、それから蛍の光
大トリの演出でやられた
この年の大トリは
紅組が森昌子「哀しみ本線日本海」
和服で出るのかと思ったら、デコルテ部分に大きなフリルのロングドレスで
うわーすてきと思いました。
でも問題は白組大トリ。
羽織袴でピシッと決めた北島三郎「風雪ながれ旅」。
言わずと知れた「キタサンブラック」のオーナー様です(笑
サブちゃんが「アイヤー アイヤー」と歌うだけでもすごいのに
あの紙吹雪の大あらしですよ。
客席の前の方の人にも紙吹雪が襲いかかっていて
たぶんステージは見えなかったんじゃないかな。
1981年第32回紅白は
「北島三郎大トリステージの猛吹雪で、サブちゃんの鼻や口にも紙が」
というイメージですべて持っていかれました。
紅組司会の黒柳さんは
「最後に雪で真っ白になって、あぁ白組にやられたなと思いました」
と言っていたそうですし
北島三郎のステージは以降常に紙吹雪が降るようになるという
きっかけの年でもあったわけです。
審査 この年からカチカチカチカチ
客席で観客が
パンフレットの赤い側か白い側のどちらかをかかげて
審査に参加する、というのは、この回からでした。
日本野鳥の会の方々が舞台に上がり、双眼鏡とカウンターでカチカチ数えて
客席での審査票を取りました。
我々は正規での入場者ではないので(笑
パンフレットはもらってません。
なので審査には参加できず。
白組優勝 優勝旗授与 蛍の光
もうあのサブちゃんのステージで
全部もってかれたこの年の紅白。
サブちゃんの大トリが終わった後
「ゆく年くる年」が始まるまでの動画がありましたよ。
TVでは23:45に画面が切り替わって
「ゆく年くる年」になります。
ゆく年くる年で聞く「除夜の鐘」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
だけどNHKホールではお祭り騒ぎ続行中。
白組のみなさんは客席から舞台上に戻り
優勝旗を持った司会者やサブちゃんを先頭に
全員で「ジェンカ」踊ってました。
それが面白くって客席のお客さんも我々もなかなか帰れず、ずっと見てました(笑
宴のあとは
NHKホールを出たのは0時半ごろ。
今回参加のミーハー数人で
終夜営業しているパブであけおめの乾杯をして帰りました。
あんだけ拘束されていくらもらったかというと
出演料は所属サークルに行ってしまって
個々には雀の涙ほどももらえなかったというオチです。
でもまあ
貴重な体験をさせていただけて、面白かったですよ。
今回、30数年前の記憶をたよりに書きましたが
記憶違いのことも多々あると思います。
もしその場でご一緒していた方がいらして
「いや違う、こうだった」という点がございましたら
ぜひぜひコメントにてお知らせくださいませ。