フォーク界の重鎮「はしだのりひこ」死去。
「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーでフォーク歌手として活動していた、はしだのりひこさんが12月2日、死去しました。72歳でした。10年ほど前からパーキンソン病を患い、闘病生活の傍ら音楽活動を続けていました。
フォーク・クルセダーズでの活動以外にも別グループでヒットを連発し、60年代後半から70年代のフォークシーンを牽引していた、はしだのりひこさん。この記事では、そんな彼の功績を振り返ってみたいと思います。
フォーク・クルセダーズ
フォーク・クルセダーズのメンバーであった加藤和彦に誘われて同グループに加入しました。それに合わせて大ヒットを記録したのが、1967年に発売された「帰って来たヨッパライ」です。テープの早回しを使用した画期的な楽曲で、オリコン史上初の「ミリオンセラー」を記録しました。

当時のフォークといえばピーター・ポール&マリー、ボブ・ディランといったメッセージ性の強いものが主流でしたが、彼らの登場によりフォークのアングラ感がクローズアップされ、「アングラ・フォーク」というジャンルが確立されました。
セカンドシングルは発禁に!
セカンドシングルとして予定されていた「イムジン河」。分断された朝鮮半島についての楽曲であり、当時の政治情勢から発売中止を余儀なくされました。その発売中止に対する思いが、次のシングルである「悲しくてやりきれない」というタイトルに繋がります。
1968年に大ヒットを記録した「悲しくてやりきれない」。「イムジン河」のコードを反対からつなげて作ったという逸話もありますが、後年否定されています。

はしだのりひことシューベルツ
元々「一年限りのプロ活動」という約束で活動していたフォーク・クルセダーズ。約束通り1968年に解散しました。その後、はしだは「はしだのりひことシューベルツ」を結成し、音楽活動を継続していきます。そして1969年にいきなり大ヒットを飛ばします。

1969年に発売されたデビューシングル「風」。フォークを基調としながらもキャッチーなメロディが大衆に受けて大ヒットを記録しました。後年CMで使用されたりしているので、リアルタイムで知らなくても聴いたことのある人は多いと思います。
はしだのりひことクライマックス
一躍人気グループに躍り出た「はしだのりひことシューベルツ」ですが、メンバーの死去により解散に追い込まれてしまいました。そんな中、結成された新たなグループが「はしだのりひことクライマックス」です。

こちらのグループでは女性ボーカルを迎え、1971年に「花嫁」を発表。60万枚の大ヒットを記録し、オリコンの年間シングル売上で第7位にランクインしました。この曲で1971年の第22回NHK紅白歌合戦にも出演しました。
いかがでしたでしょうか?リアルタイムで知らなくても、聴いたことのある曲が多いと思います。フォークという枠に留まらず、世代を超えた名曲を数多く残した「はしだのりひこ」。彼の功績は間違いなく後世にも語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
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