今回は、こちらの書籍を参考にさせていただきました。
「バッピ=バッティングピッチャー」の難しさ
バッティングピッチャー、略して「バッピ」と呼ばれる仕事。
日本語では打撃投手と言われています。
一般では、プロ野球で大成しなかった投手がおさがりでやる仕事、というイメージがありますが、決して普通の人に務まる職業ではありません。
むしろ、一軍で活躍している投手より「ある部分で」優秀でないと務まらない職業なのです。
「打者の要求する球を」「毎日」提供する「職人技」。
公式戦に出る投手は、言ってしまえば、「バッターに打たれずに、アウトを取れれば何でもアリ」のようなところがあります。
コントロールに難のある投手でも、裏を返せば、「球種を絞らせない」というメリットになり、「荒れ球」として、「コースはボールに聞いてくれ」というような感じで成功した投手も数多くいます。
しかし、バッピは、そういうわけにはいきません。
打撃の練習に臨む打者に投げるわけで、ストレートが欲しいと言われればストレートを、カーブが欲しいと言われればカーブを、必ずストライクゾーンに投げなければその職務を達成できません。
公式戦の投手は、「打たれないボール」を投げるのが務めですが、バッピは、「必ず打てるボール」を投げなければいけないのです。
荒れ球なんて、とんでもないことなのです。

イチローに尊敬される天才打者・前田智徳さん。
前田智徳 - Wikipedia
天才職人に対しては職人技を持つサポーターがいることが必要。
イチローが惚れた男〈天才打者前田智徳〉 - Middle Edge(ミドルエッジ)
詳しくは上の記事をご覧いただきたいと思いますが、広島の大打者・前田智徳さんは同時に、「野球道」どころか、「武士道」のようなものを持った、非常に「こだわりの強い」方です。
今回ご紹介する広島のバッピ・井上卓也さんは、この前田智徳さんの「恋人」とも言える、信頼された打撃投手です。
井上卓也さんのプロフィール。
井上卓也さんは、昭和32年、愛媛県に生まれました。同じ年に、彼の職場となる広島市民球場が完成しています。
社会人野球を経て、昭和54年にドラフト外で広島に入団。この年のドラフト1位は片岡光宏さん。そしてチャンスにめっぽう強い長嶋清幸さんがいます。
井上さんが入団した昭和54年は、広島が2年続けて日本一になった年でした。北別府さん、大野さん、池谷さんなど、錚々たる投手陣で、井上さんの出る幕はありませんでした。
入団3年目の9月の下旬、チームの順位も決まり、残り10試合という消化試合の中、井上さんは一軍のマウンドに立ちます。
打者11人、3イニングを投げ2本のヒットを打たれますが、無失点に抑えます。
これが、井上さんの「公式記録」のすべてです。
特にケガもしなかったのですが、昭和59年、プロ5年目で戦力外通告を受けます。
「打撃投手」としてのはじまり。
この時、球団から打撃投手をやってみないかと打診されたのが、その後27年間投げ続けるきっかけになりました。
背番号は「68」になりましたが、打者からは、現役時代に着けていた53番をもじって、「ゴーさん」と呼ばれるようになります。
常勝軍団の打撃投手の難しさ。

常勝赤ヘル軍団のスター達の練習のために投げる。
いろいろな色の星のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
井上さんが打撃投手を始めた頃の広島は、まさに黄金期であり、山本浩二さん、衣笠祥雄さん、高橋慶彦さんなど、スター選手が勢ぞろいしていました。
その中でも難しかったのが衣笠さんだったと言います。
連続出場記録。
衣笠さんはこの頃、連続試合出場記録を続けていて、ルー・ゲーリックさんの持つ世界記録を更新するかという時期でした。
衣笠さんは打撃練習でもつねにスタンドに入れたいタイプの選手でした。そのため打ちやすい内角寄りの真ん中の球を要求します。
しかし、打者に近い内角寄りの真っすぐを投げるということは、もしコントロールが少しずれでもしたら打者に当ててしまい、ケガでもしようものなら連続試合出場記録を自分が止めてしまうことにもなりかねません。
井上さんはそのプレッシャーをはねのけ、打者の要求する球を投げ続けます。
試合に出る投手と違い、投げるテンポも速く、1人の打者に対し25分は投げていたそうです。
まさに、井上さんの努力が、赤ヘル黄金時代を陰で支えていたのですね。
職人、というか武士に向かって投げる。

武士道とも思えるこだわりを持った男・前田智徳
侍の決闘のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
ここで話は戻りますが、時代が少し進み、広島に新たなスターが入団します。
男・前田智徳。
「納得のいく打球は」と聞かれ、「ファウルならあります。」と答える、一見気難しい男。
練習でも手を一切抜かず、常に自分の理想に向かってひたすら突き進む男。
ちょっとやそっとのものでは、納得しません。自分への怒りがいつも発散する男。
「チェツ!」「クソッ!」
前田さんは自分に向かって納得できない打球の怒りをぶちまけるのですが、それが若手のバッピではピッチャーがびびってしまって、バッピがイップス(後述)になってしまいかねません。
前田さんの納得する球を投げ続けることが出来るのは、ベテランのバッピの井上さんの担当です。
まさに「職人」と「職人」のぶつかり合い。
【イップスの深層】先輩の舌打ちから始まった、ガンちゃんの制御不能|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
2012年に55歳で引退。
【広島】鉄人にも投げた55歳打撃投手引退 [2012年10月4日22時11分]
https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121004-1027633.html【広島】鉄人にも投げた55歳打撃投手引退 - プロ野球ニュース : nikkansports.com

まさに職人技、並みの精神力では務まらないバッピ。
かんなを使う大工のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
著者・澤宮優さんの著作の時点では(2011年12月19日第1刷発行)、54歳で現役だったのですが、その後、2012年に井上さんは引退したそうです。
1985年に打撃投手に転向して、2012年まで実に27年。
肉体的な限界なのでしょうが、他のスポーツではありえないくらい長い現役生活。
つまり、力技で体力のある若手でも簡単には務まらない、まさに職人技である仕事が、バッピ=バッティングピッチャー・打撃投手=という職業なのでしょう。