麻丘めぐみ
1972年は、前年にデビューした天地真理が爆発的な大人気となっていた年で、天地真理、南沙織、小柳ルミ子が新三人娘として人気を博していました。他のアイドルにとっては厳しい時期だったのではないかと思いますが、麻丘めぐみはそんな年に歌手デビューしています。

麻丘めぐみ
麻丘めぐみは可愛い。可憐というか、彼女にしたいと思わずにはいられない容貌ですね。更に曲がキャッチーで素晴らしいんです。
デビュー曲から9枚目のシングルまで連続で作曲を筒美京平が担当しているのですが、この頃の筒美京平は、もう絶好調でヒットメーカーとして飛ぶ鳥を落とす勢いですから、麻丘めぐみのシングルも名曲揃いです。
順にご紹介します。
芽ばえ
麻丘めぐみは、1歳8ヵ月でCMに出演し、早くも3歳の時に子役として芸能界デビューしています。中学時代は少女雑誌のモデルとして活躍し、歌手としてのデビューは1972年で16歳の時です。
デビュー曲は「芽ばえ」で、これがいきなりの大ヒットとなりました。

芽ばえ
売上は40万枚を超えるという鮮烈なデビューを飾っているのですが、なんといっても曲がいいです。
それにしてもミニスカートとはいえ、短すぎやしませんかね。勿論文句はありませんが。
悲しみよこんにちは
前作と同様に、作詞:千家和也、作曲:筒美京平によるもので、オリコン6位、年間チャートで91位と好調をキープしています。

悲しみよこんにちは
デビュー間もないアイドルですからポップな曲を続けた方がいいような気がしますが、リリースが10月ということでしっとりとした曲となっています。それでも透明感のある歌声が魅力的です。
女の子なんだもん
前作「悲しみよこんにちは」を収録していたアルバム「あこがれ」からカットされた3枚目のシングル「女の子なんだもん」。これは名曲ですね。

女の子なんだもん
「スカートが短すぎるだろ」と思わず突っ込んでしまいたくなりますが、それはさておきアクションというか、振り付けが70年代していてカワイイです。
森を駈ける恋人たち
1973年4月に発売された4枚目のシングル「森を駈ける恋人たち」ですが、この曲は千家和也に変わり山上路夫が作詞を担当しています。

森を駈ける恋人たち
こうしたアップテンポの曲が麻丘めぐみにはよく似合います。サビの部分の歌い方が妙に色っぽくてたまらないです。これは筒美京平の魅力でもありますね。
花の中三トリオと言われていた森昌子が同年、そして翌年には桜田淳子もこの曲をカバーしています。
わたしの彼は左きき
さて、いよいよ5枚目のシングルにして最大のヒット曲「わたしの彼は左きき」が1973年7月に発売されます。

わたしの彼は左きき
オリコンで見事に1位に輝き、年間チャートでも11位というビッグヒットとなりました。この曲は数多くのヒット曲を生み出している筒美京平にとっても代表曲ですね。
作詞は山上路夫からまた千家和也に戻っています。タイトルも素晴らしいですし、千家和也が意地を見せたといったところですね。
因みにレコードでギターを弾いているのは高中正義です。
アルプスの少女
6枚目のシングル「アルプスの少女」。もう当時の勢いそのままにノリノリですね。さわやかに歌いきる麻丘めぐみは素晴らしいですが、それにしてもこうしたキャッチーな曲を大量に制作できた筒美京平は凄すぎます!
ときめき
1974年は高橋由美子がカバーしたことでも知られる「ときめき」で幕を開けます。

ときめき
1974年1月発売だったのですが、年が明けてもこの時期の麻丘めぐみは、「やっぱりいなぁ」と思いますね。冬だと言うのにポップな曲というのが最高です。
オリコンでも6位を記録しています。
悲しみのシーズン
デビュー以来ここまで順調だった麻丘めぐみですが、1974年3月にコンサートの最中にステージから転落し約半年間の休養を余儀なくされるほどの重傷を負ってしまいます。
療養中に発売されたのが8枚目のシングル「白い部屋」だったのですが、オリコンで最高13位とデビュー以来初めてベスト10に入りませんでした。
そして9枚目のシングル「悲しみのシーズン」が9月に発売されますが、筒美京平の作品としてはここで途切れます。

悲しみのシーズン
しかし流石は筒美京平です。きっちりヒットさせています。ただ、この曲が最後のオリコンベスト10となってしまいました。
1977年には結婚し引退するのですが、もしも、この事故がなかったら麻丘めぐみのアイドルとしての人気は続いていたのではないかと思うと残念でなりません。
2009年には33年ぶりにファンクラブが発足し、現在でも元気に活動されていますからファンとしては嬉しい限りですね。