コミックバンドとして活躍していたザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズといえば、『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』のイメージから、「コント集団」と認識されがち。しかしもともとは、ナベプロ所属でクレージーキャッツの後輩にあたるコミックバンドでした。有名な実績でいうと、無名時代に前座アーティストの1組として出演した、1966年6月30日のビートルズ来日公演が挙げられます。ビートルズ目当ての客がしらけムードで見つめる中、わずか1分15秒の間、リトル・リチャードの『のっぽのサリー』を全力で演奏したパフォーマンスは今でも語り草です。
その演奏技術は相当なもの。ドリフの映画やテレビCMなどで折に触れて楽器を手に取っては、お笑いとはまた一味違った魅力を垣間見せ、好評を得てきたものです。
初代リーダーは、芸能事務所『第一プロダクション』社長の岸部清
さて、そんなザ・ドリフターズが『8時だョ!全員集合』に登場したメンバー・いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注の5人体制になったのは、1965年。ですが、ドリフ自体の誕生はその9年も前となる、1956年にまでさかのぼります。
ザ・ドリフターズ
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初代リーダーは、音楽バンド「東京ウエスタンボーイス」の元メンバー・岸部清。彼は、「東京ウエスタンボーイス」と「マウンテンボーイズ」との合併によって誕生した「サンズ・オブ・ドリフターズ」を率いて、5年ほど活動した後、タレント業から足を洗っています。その後、ナベプロのマネージャーを経て、芸能事務所『第一プロダクション』を創設。現在も同社の代表取締役社長をつとめています。初期のメンバーには、落語家・柳家金語楼の息子でロカビリー歌手の山下敬二郎も所属していました。
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黎明期の人気メンバー・井上ひろし
この岸部清がリーダーの時代に、人気メンバーとしてバンドをけん引したのが、井上ひろしでした。1958年ごろに同バンドのボーカリストとして活躍した井上は、甘いマスクで女性から大人気に。一時期バンド名が「井上ひろしとドリフターズ」となっていたことからも、どれほどグループの人気に寄与していたのか、分かるというものでしょう。
1959年にはソロ歌手としてデビューし、1961年には紅白歌合戦にも出場しますが、その後、長らく低迷。1985年から料理人へ転向するべく、修行を開始しますが、同年44歳にして急逝してしまいました。
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坂本九も所属していたドリフターズ
なお、「井上ひろしとドリフターズ」は8人編成の大所帯であり、その中には、後に2代目リーダーとなる桜井輝夫とともに、後に『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』などのヒット曲で知られる、坂本九も在籍していました。ロカビリーに傾倒していた当時16歳だった坂本は、ボーカル兼ギターとして活躍したそうです。
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『スターどっきり(秘)報告』でお馴染みの小野ヤスシもメンバーだった
岸部清の引退に伴い、ボーカル担当の桜井輝夫がリーダーに代わると、ザ・ドリフターズはEXILE的にいえば“第二章”へ突入します。
井上ひろし・坂本九をはじめとしたメンバーが大量脱退していたこの時期、バンドは解散の危機に瀕していました。そこで桜井は新メンバーを募り、小野ヤスシ、ポン青木らと共に「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」を再編成。それまでロカビリー一辺倒だったスタイルからロックンロール、さらには、コミックバンドへ転向していくこととなります。