青春ど真ん中の16歳。
当時の多くの若者が夢中になったバイクで、古市佳央さんは大きな事故に遭遇。
全身の41%を火傷し奇跡的な生還を果たしたものの、16~23歳という多感な時期におよそ3年間の入院生活と33回にも及ぶ手術。そして生き永らえたものの変わり果てた容姿…。
真に生死の境を彷徨った彼はどのように自らを生に奮い立たせていったのか。
後に「最強の講演家」と称されるまでになる古市さん。
1000回を超す講演活動を通し、いまや多くの聴衆に感動と勇気を与える彼の「生きる意味」「本当の幸せ」を、その飾らない言葉でお話いただくことが出来ました。
~乗り越えられない壁はない~古市佳央さん
-「世界一幸せな歌う講演家」として全国を飛び回り、多くの人々に感動や勇気を与えていらっしゃる古市さんですが、その活動の原点はどこにあるのでしょうか?

古市佳央さん
目立つことが好き!活発だった少年時代
-16歳で大きな事故に遭遇した古市さんですが、どのような少年時代を過ごされていたのでしょう。
生死の境を彷徨う事故、壮絶なリハビリ生活
-楽しい青春時代が一転、壮絶なリハビリが始まりました。
-病室でテレビを見たり音楽聴いたり、そんな当たり前の日常はありましたか?
23歳にしてリサイクル屋を創業、やがて中古車屋を展開
-16歳から最初の入院が1年8か月、そこから入退院を繰り返してトータルで3年間。23歳の時に最後の退院となりました。
-90年代中盤、リサイクル屋は珍しかった気がします。

ハンディキャップを乗り越えて中古車事業を展開!
-いまやインターネットビジネスで大きな市場となっている分野ですね。
29歳、かづきれいこさんとの出会いから講演家へ
-40代となってから、まさにチャレンジを始められたのですね。
「人は誰でも自分のことを好きになれる」
「いま苦しんでいる人も必ず乗り越えられる」
-溢れるような前向きな挑戦心と伝える気持ち、その原動力はどこにあるのでしょう。
現在、古市さんは全国で講演活動を行う傍ら、多くの人々がステージに立つ機会をプロデュースしたり、自身の言葉を唄に乗せて届けるライブ活動も始めています。
また多忙な合間を縫ってなんと東海道や中山道を完歩しつつ道中で講演を行っていくなど、ユニークな取り組みを精力的に展開。いずれは小説も書いてみたいと意欲を見せています。
また「ほっこり笑顔」という言葉で、無意識では硬直しがちな表情をちょっと意識して笑顔を作り、みんなが思いやりの心を抱けるようにと精力的に伝える日々を送っています。
ご自身の苦悩と乗り越えた体験をこれからも全国の人々に届けていく古市さんは、これからもたくさんの前向きな笑顔を生んでいくに違いありません。
佳央古市 - YouTube
古市佳央 公式WEBサイト
かづきれいこ公式ホームページ | REIKO KAZKI