日米プロレス界のレジェンド、ハルクホーガン
ハルク・ホーガン(Hulk Hogan)
自身で選んだベストバウト3つ
2014年2月、60歳でWWEに復帰。
WWE日本ツアーの大会ホストとして久々に来日した8月、メディアの取材に対して、自身のベストバウト3つを選んだ。
還暦を過ぎてもこの迫力・この筋肉!
第3位、アンドレ・ザ・ジャイアント戦(1987年)

16dソフビコレクション WWE アンドレ・ザ・ジャイアント
16dソフビコレクション WWE アンドレ・ザ・ジャイアント(ME) | GOODSMILE ONLINE SHOP
ホーガンは「アンドレは完璧だった! リングに上がれば最強だったし、リング外でもナイスガイだった。アンドレ以降もジャイアント・ゴンザレス(231センチ)やザ・グレート・カリ(215センチ)のような巨大なレスラーはいたけど、アンドレとはまた違うスタイルだった。アンドレはホントに強かったよ。」と語っている。
第2位 ザ・ロック戦(2002年)
第1位 アントニオ猪木戦(1983年)
WWE側は「悪の枢軸」nWo軍総帥ホーガンを絶対的ベビーフェイスのロックが迎え撃つというアングルを構成したものの、入場シーンからホーガンへの爆発的声援一色となり、ロックの方がブーイングを浴びる結果となった。
ホーガンは試合後ロックに握手を求め、翌日からベビーフェイスに戻った。
この衝撃的な猪木の舌出し失神KOについてホーガンは詳細を語っている。
「IWGPのベルトを最初に巻いたのはこの俺さ。
豪華なベルトだった。黄金でダイヤモンドが輝いていた。IWGP決勝の注目度は高かったね。
実はあの試合の前日、俺が泊まっていたホテルの部屋に猪木から電話があったんだ(ニヤリ)。
猪木が言うんだ。『ミスター・ホーガン、明日の試合、俺はケンカマッチを仕掛けるから』って。
だから俺はその言葉に従って、エプロンサイドに立つ猪木におもいきりアックスボンバーを見舞ってやったのさ。
でも、俺は最初から猪木を病院送りにしてやろうなんて考えていないさ。たまたま当たり所が悪かったんだ。
あのとき、猪木の心臓がストップしていると聞いて、ホントにビックリした。思わずチビリそうになったよ。ドクターがリング上で猪木に蘇生措置を施すのを見て、さらに驚いたことを覚えている。」
また、猪木についてホーガンは次のように語っている。
「猪木は誰からもリスペクトされていたよ。ファンからも若手レスラーからも。俺も猪木からはいろんなことを学んだ。例えば、ケガや病気を抱えていても試合を休まないこと。猪木はケガをしていても何も言わずにリングに上がっていたよ。あの集中力はすごかったね。」