慰謝料は1億5千万円。泰葉は「安い」と不平を漏らしていた。
金髪豚野郎という発言
「泰葉の革命プロジェクト」というブログで過激な発言を繰り返すようになります
一時は「キレイに別れた」と思われました。しかし、2008年5月に、小朝と事務所女性との不倫報道が流れたころから怪しい雲行きになっていきます。泰葉はそれまで小朝を「師匠」と呼んでいましたが「元パートナー」「おまえ」「アイツ」に変化したのです。さらに「離婚の真相を話します」と内幕を週刊誌に暴露するなど、騒動は大きくなっていきます。
泰葉オフィシャルブログ「Yasuha Style」Powered by Ameba
過激発言には理由がありました。
母親の海老名香葉子さんは「ひとりでいると感情の矛先がなかったんでしょうか。もう少し大人になって世間の目に触れることを考えないと」と謝罪のコメントを出しましたが、「金髪豚野郎」発言はニュース番組でも面白がられ、取り上げられる騒ぎに発展します。会見を開いた泰葉は「大人の対応とか、美しい、エセなものが嫌いな私です。だからぶつかっていっちゃうんです。本気で」と心境を語りました。
小朝に対するおよそ250通の脅迫文
2008年10月29日の会見の様子
FAX全文
マスコミ各位の皆様
上野音楽祭におきまして、急なキャンセル心よりお詫びいたします。
告白します。
私は、小朝氏に対し、数百通の脅迫メールを送っていました。
ここには書けないような、汚い言葉のオンパレードです。
どうして送ったのか。それは、小朝氏の心に私の叫びを届けたかったからです。
いつもスルーされてしますので、それはどんどんエスカレートしていきました。
金髪豚野郎など優しいものではありませんでした。
もう、歯止めがきかなくなっていました。
ほんとうにひどかった。
開き直るわけではありませんが、吐き出さなければならない、私の心の叫びでした。
小朝氏はそれを受け止めるという「男気」でいたのですが
あまりにもひどくなったので、根岸の母に訴えたのです。
「訴える」という言葉が母の頭の中で巨大化し、私を受け止めたのです。
昨晩遅く、小朝氏と電話で話しました
とても紳士でした。私は乱暴者でした。全く話は平行線
だから、私が満足するような高座をやれ」と悪態をつきました。
今の私が本当の私だ、結婚していたか?と聞いたら、無理だ、と返されました。
私はあんたより大きくなってやる!見ていろ!と言ってやりました。
本人に直接、豚野郎と言いました。
一時間半、戦いました。
でも、国境がありました。越えられない国境です。
パスポートは捨てることにしました。あちらの国にはもう二度と行きたくない。
本当に疲れました。私はもう間違った舟には乗りたくない。
あんな奴、こりごりです。二度とお目にかかることはないでしょう。
どうか、お元気で、落語の小さな枠の中で生きていただきたい。
私は自由に大空を飛びたい!
私の今の偽りのない気持ちです。
私にはもう、判断する気力が残っていません。
音楽とこの件は一緒にしたくない。
平成20年10月28日
泰葉
(原文ママ)
泰葉は双極性障害だった
双極性障害は大変な病気です。うつ病だけでもとても辛いのに、うつ状態と躁状態が続くのは過酷に違いありません。ここまで追い詰めた春風亭小朝と離婚できて、良かったですね。