ヴェルディ川崎に在籍したアモローゾ
マルシオ・アモローゾ・ドス・サントス。
1974年7月5日生まれ。
身長:179cm
体重:69kg
ポジション:FW
利き足:右足

ヴェルディ川崎時代のアモローゾ
ヴェルディ川崎がナビスコカップの初代王者に輝いた1992年から1993年まで所属していた(当時は読売ヴェルディと言う呼称だった)。
トップチームでの出場は外国籍選手登録枠の都合もあり、叶わなかったが、Jサテライトリーグでは才能を示す活躍をしていた。

当時のヴェルディ川崎(読売ヴェルディ)はスター選手の宝庫!

1990年にブラジルから帰国したキングカズこと三浦知良!
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得点後のお祈りポーズと言えばビスマルク
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1999年にセリエAで得点王を獲得!
ヴェルディ川崎を退団し、ブラジルに戻ったアモローゾ。
するとすぐに頭角をあらわし、CRフラメンゴでブラジル全国選手権得点王に輝く。
そして、ヨーロッパの舞台へと渡る。当時最高峰のリーグだったイタリアのセリエA・ウディネーゼで、プレー。
1999年には得点王を獲得する活躍だった。

ウディネーゼ時代のアモローゾ
ウディネーゼでの得点は、1996~1997年シーズンがリーグ戦28試合で12得点。
1997~1998年シーズンがリーグ戦25試合で5得点。1998年~1999年シーズンがリーグ戦33試合で22得点だった。
ちなみに1997~1998年シーズンは、後に日本代表監督を務めることになるアルベルト・ザッケローニが監督であった。
同シーズンは中堅クラブながら3位へと躍進し、「奇跡のウディネーゼ」と称された。

ウディネーゼ時代のアモローゾ
ブンデスリーガ・ドルトムントでも得点王に輝いた!
セリエ・パルマACを経て、2001年にブンデスリーガのボルシア・ドルトムントへリーグ史上最高額の3310万ドルで移籍した。
チームは2001-02シーズン、アモローゾをはじめヤン・コレル、セバスティアン・ケールを補強して戦力アップが図られたことで、1995-96シーズン以来のリーグ優勝を果たす。アモローゾ自身も得点王に輝き、リーグ優勝に大きく貢献した。
しかし、翌シーズンはアモローゾが不調に陥り、チームもライバルのバイエルン・ミュンヘンに連覇を阻まれた。

ドルトムント時代のアモローゾ
セレソン(ブラジル代表)でも活躍!!
U-20のカテゴリーからブラジル代表にも選出される。フル代表ではW杯には縁が無かったものの活躍した。
フル代表には1995年から2003年まで選出され、19試合8得点を記録している。
最も印象的な活躍をした大会は、ブラジルが優勝したコパ・アメリカ1999。
この大会では6試合全てに出場して4ゴールを挙げた。

セレソン(ブラジル代表)でのアモローゾ
2005年にはサンパウロFCで世界一に!

FIFAトヨタカップ世界クラブ選手権に出場したサンパウロFCのアモローゾ

優勝を決め、「一番」と書かれたハチマキを巻くアモローゾ
日本が生んだスーパースター・アモローゾ!
と言ってもヴェルディ川崎時代はトップでの出場経験はないですが・・・。
アモローゾやカズ、ビスマルク、ラモスとブラジルカラーでもあったヴェルディ川崎。
90年代前半、チームの選手層の厚さは、若かりし日のアモローゾでは、ポジションを奪うのは非常に難しかったということにしよう!