80、90年代替え歌で一世を風靡した嘉門達夫
嘉門達夫の名はそこまで覚えていない人であっても、「鼻から牛乳」のフレーズを知らない人はいないでしょう!数々の替え歌で一世風靡した嘉門達夫!そんな嘉門達夫の活躍ぶりをプレイバックしていきましょう。
若手時代は落語家を志す
高校時代、唯一の娯楽と言ってもよかったラジオから聞こえている落語家の軽妙な話に夢中。いつしか落語家への憧れを持つようになった。高校2年時、達夫青年は、大学進学ではなく、当時深夜ラジオでエロトークでも大人気だった笑福亭鶴光への弟子入りを決意する。
ラジオ局に直接弟子入りの直訴をしようと試みようと何度言っても話しかけることができない。そして、とうとう友達を引き連れ、バイクでテレビ局へ。ついに、いきなり「弟子にして下さいっ!!」と、勢いで叫んだのだった。
すると、鶴光は連絡先だけを聞いて、後日親を連れてくるよう指示。達夫青年は言う通り、母親を連れて行って弟子入り志願。念願の弟子入りを果たすのだった。
嘉門達夫の師匠は笑福亭鶴光
嘉門達夫の名付け親はあの国民的ミュージシャン!
嘉門達夫の本名は、鳥飼達夫。達夫はそのまま本名からだが、「嘉門」を付けたのは、あの国民的ミュージシャンの桑田佳祐なのです。
鶴光の弟子を破門!理由は?
順調に鶴光の弟子を務めていた嘉門達夫。徐々に明石家さんまなどからも可愛がられ、落語以外の仕事も舞い込んでくる。しかし、鶴光は落語に専念させたく、意見が対立。ついに破門をうけてしまう。
80年代後半~90年代初頭替え歌で大ブレイク!
しばらく不遇の時代はあったが、1980年後半くらいから「笑っていいとも」などで披露した替え歌ギャグが大ヒット!「チャラリ~♪鼻からぎゅう~にゅう~♪」は男の子だったら誰もが学校でやってるくらいの勢いだった。
替え歌CDも空前の大ヒット
テレビやラジオでのブレイクを受け、替え歌ソングはコメディCDとしては異例の空前大ヒット!今まででシングルとアルバムを合わせた累計売上は847万枚をも売り上げている。
90年代はCMキングに
数秒でも分かる替え歌ギャグはまさに15秒と限られた時間でアピールしたいCMにぴったり!90年代には、まさにCMキングというべき存在なほど多くのCM出演を果たしました。
いかがでしたでしょうか?2010年には上海万国博「日本産業館」応援団長を務めるなど活躍もワールドワイドになっている嘉門達夫。久しぶりにまたテレビのネタ番組とかで観たいですね。