こうして、プロレスラーとしては異色すぎる「お遍路さん」というスタイルが生まれたのです。
名付け親は俳優時代の先輩
「新崎人生」の「新崎」は彼の本名によるものですが、「人生」はある人物に命名されたものです。それは、俳優時代の先輩、宇梶剛士さんでした。
ルードからリンピオへ
新崎人生」になってからしばらくは、ルード(悪役)としての活動が続きました。ついたあだ名は「極悪坊主(お坊さんじゃないのに…)」。その評価を一変させたのが、みちのくプロレスのエース、ザ・グレート・サスケとの一騎打ちでした。
激闘録〜個人編 – 新崎人生公式サイト『同行記』
その特異なキャラクターと確かなレスリングテクニックから繰り出される技の数々は、やがて海外のプロモーターの目に留まるのです。
異例の抜擢でメジャーリーガーに
人生選手を抜擢したのは、アメリカを拠点に世界中にファンを持つ、WWF(現・WWE)。
わずかデビュー数年、しかもインディー団体のレスラーが、アメリカの超メジャー団体と契約を結ぶというのは、当時では考えられない出来事でした。試しに野球で例えてみると「地方の独立リーグに所属する若手選手が、メジャーリーグの人気球団とメジャー契約を結ぶ」くらいの大事件です。
海を渡った彼は、新たなキャラクターに変身します。
白使(ハクシー)世界を翔ける
この「白使」の代表的な試合として記憶に残るのは、怪奇派レスラーの第一人者であり、「白使」のキャラクターの原点ともいわれる「ジ・アンダーテイカー」戦と、武藤啓司選手の化身「ザ・グレート・ムタ」戦ではないでしょうか。特に、ザ・グレート・ムタ戦では、白使の持参した卒塔婆に、大流血した白使の血を使ってムタが「死」の文字を書くという、今ではとてもテレビ放映できないような場面が繰り広げられたことでも有名です。(後に、武藤選手とはユニット「BATT」で共闘し、「白使&黒使無双」のタッグで数々の名勝負を生み出しました)
2年間の海外生活を経て、彼は再びみちのくプロレスで「新崎人生」としての闘いを再開させます。
天竺巡礼
重ねて申し上げるとおり、新崎人生は「お遍路さん」、つまり巡礼者です。その彼が、プロレスという長い巡礼の旅でひとつの到達点と定めたのが、日本のプロレス界の雄、全日本プロレスでした。