プリテンダーズ結成前
クリッシー・ハインド
プリテンダーズと言えば、何といってもボーカル&ギターを担当しているクリッシー・ハインドでしょう。バンドのメンバーがコロコロ変わっていることを考えるとクリッシー・ハインドのワンマン・バンドと言っていいかと思います。
因みに、プリテンダーズはイギリスのバンドですが、クリッシー・ハインドはアメリカのオハイオ州アクロンの出身です。
クリッシー・ハインドが音楽に目覚めたのは、1965年頃に観たミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ホイールズのライブがきっかけだったと言います。
クリッシー・ハインドが14歳のときだったそうです。
そう言えば、ブルース・スプリングスティーンもこのバンドに影響を受けたんですよね。
クリッシー・ハインドはバンドを組もうとしますが、なかなか良いメンバーが見つからず、アマチュアバンドを転々とした後、以前から興味のあったイギリスのニュー・ミュージカル・エクスプレス紙(NME)でライターの職につきます。それが1973年クリッシー・ハインド23歳の時のことです。
プロのミュージシャンとなるきっかけを与えたのはビートルズやロキシー・ミュージックなどで有名なプロデューサーのクリス・トーマスでした。
クリス・トーマスは、クリッシー・ハインドにプロのミュージシャンになるよう進めましたが、クリッシー・ハインドはすぐにはバンドを結成せずに、しばらく様々なバンドにゲストとして参加することで実力を付け、その間に制作したデモ・テープが認められ晴れてプロのミュージシャンとなりました。
プリテンダーズ誕生
クリッシー・ハインドを中心に結成されたプリテンダーズは1979年にザ・キンクスのカバーであるシングル「ストップ・ユア・ソビン」でデビューします。
結成当時のメンバーは、
クリッシー・ハインド(ボーカル)、
ジェイムス・ハニーマン・スコット(ギター)、
ピート・ファーンドン(ベース)、
マーティン・チェンバース(ドラム)の4人です。
この時クリッシー・ハインドは既に27歳になっていました。女性のロック・ミュージシャンとしてはかなり遅いほうですね。
ところで、バンド名のプリテンダーはサム・クックの歌う「グレート・プリテンダー」(オリジナルはプラターズ)から取ったとのことです。
翌年には、ファースト・アルバム「愛しのキッズ(Pretenders)」を発売。
このアルバムとシングル・カットされた「ブラス・イン・ポケット」が共に全英1位となる大ヒットを記録し幸先の良いスタートとなりました。
愛しのキッズ
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翌81年発表のセカンド・アルバム「プリテンダーズⅡ」も前作に続いて英米ともにヒット。
当時はニュー・ウェーブが流行っていましたが、プリテンダーズの音楽は切れ味の鋭いキビキビとしたロックンロールでとても新鮮でした。
プリテンダーズⅡ
クリッシー・ハインドの唯一無二の個性は、この2ndアルバムでも華麗に咲き誇っています。基本タイトな演奏に、彼女のボーカルが乗っかっていくアンバランスさをも感じさせるサウンドの妙はホントたまりません。
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クリッシー・ハインドがイギリスに渡った理由のひとつとして、イギリスのバンド、ザ・キンクスの大ファンだったということがあります。
デビュー曲もザ・キンクスのカバーだったわけですが、この頃そのザ・キンクスのフロントマンであるレイ・デイヴィスと付き合うようになり結婚してしまいます。
まさに夢のような話で、クリッシー・ハインドにとって公私ともに幸せの絶頂だったことでしょう。
しかし、残念ながらその幸せは長くは続きませんでした。
1982年にドラッグ中毒となってしまったピート・ファーンドンを解雇(後にオーバードラッグで死亡)します。
ところが、なんとその翌日、ジェイムス・ハニーマン・スコットがヘロインの過剰摂取により亡くなってしまったのです。
しかも、クリッシー・ハインドとレイ・デイヴィスは離婚してしまいます。
プリテンダーズ再出発
しかし、クリッシー・ハインドがスゴイのはここからです。
メンバー・チェンジを繰り返しながらも、1983年には渾身のシングル「チェイン・ギャング」と名盤「ラーニング・トゥ・クロール(Learning To Crawl)」を発表します。
「チェイン・ギャング」は、プリテンダーズにとって初の全米トップ10入りを果たしました。