野球拳のはじまり(大正13年秋)

野球拳のはじまり

お色気ゲームとしての野球拳
お座敷芸として全国的に広まり、昭和30年代(1955年 - 1964年)には現在のようなじゃんけんで負けたら脱衣するルールが定着した。


お色気ゲームとしての野球拳:お座敷芸として全国的に広まり、昭和30年代(1955年 - 1964年)には現在のようなじゃんけんで負けたら脱衣するルールが定着した。

『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日・日本テレビ系列) お色気いっぱいの野球拳で視聴率を稼ぐ昭和バラエティ

『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日から1970年3月29日・日本テレビ系列)

『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(1969年4月27日から1970年3月29日・日本テレビ系列)

『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』の進行役の「コント55号」(萩本欽一・坂上二郎)

野球拳」のコーナーが有名で、進行役のコント55号自身も野球拳に参加していた。

ジャンケンに負けたら脱衣するル-ルの「野球拳」でバンバン視聴率を取るという現代ではできないお色気攻撃で、高視聴率を獲得した。
PTAから「俗悪番組」の槍玉に挙げられた番組であったが、実はチャリティー番組の元祖でもあった

野球拳で脱いだ衣裳はその場でオークションにかけられ、その収益金は交通遺児のために全額寄付される仕組みのチャリティー番組の元祖でもあった。