『ブルース・リー』の伝説:『燃えよドラゴン』(日本では1973年公開)から始まる「ドラゴンシリーズ」と後世への影響

『ブルース・リー』の伝説:『燃えよドラゴン』(日本では1973年公開)から始まる「ドラゴンシリーズ」と後世への影響

『燃えよドラゴン』を中心に『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』をおさらいしてみましょう。ブルース・リーが後世に与えた影響は甚大です。そこも、さっくりと考察してみましょう。ブルース・リーの格闘の際に発する「アチョー」という独特の叫び声は「怪鳥音」(かいちょうおん)と呼ばれますが、ブーム当時、皆が、「アチョー」「アチョー」言いまくりました。


『ブルース・リー』の伝説:『燃えよドラゴン』(日本では1973年公開)から始まる「ドラゴンシリーズ」と後世への影響

ブルース・リー(李小龍、Bruce Lee、出生名:李振藩,1940年11月27日 - 1973年7月20日)は、サンフランシスコ中華街生まれの中国人、香港人、中国武術家、武道家、香港の俳優、脚本家、映画プロデューサーである。

截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。墓碑銘は『FOUNDER OF JEET KUNE DO』。リンダ・エメリーとの間に一男一女。息子はブランドン・リー、娘はシャノン・リー。

1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic)を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン・ペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。32歳であった。

ブルース・リー、リンダ・エメリー、息子のブランドン・リー、娘のシャノン・リー。

「Vシット」のまま体を持ち上げて30分以上キープ

「片手で指立て伏せ」ブルース・リーは、2本の指で片手「指」立て伏せが出来た。

ブルース・リーは、指で突くだけでジュースの缶に穴を空けることができた。

ブルース・リーが136kgのサンドバッグを蹴ると、天井にぶつかるほどパワーがあったという。また45kgのサンドバックは、ケリで破裂することも。

ブルース・リーは、極めてストイックなトレーニングメニューを日々こなしていた。その一端を紹介すると、キック2000回、パンチ5000回に加え、ウェストツイスト360回、シットアップツイスト100回、レッグレイズ100回、ラーニングツイスト200回、カエルキック200回……。

ブルース・リーの驚異的な能力

ブランド:TART OPTICAL
製品名:SURFER col.BLACK RED、SURFER col.WALNUT

ブルース・リーはTART OPTICAL サングラスを愛用

『燃えよドラゴン』 1973年に公開され、世界各国で大ヒットとなった。ブルース・リーとカンフーが世界的なブームとなり、多くのフォロワーが生まれた作品である。

ブルース・リーの死後に、『燃えよドラゴン』が公開され、世界的に知名度が上昇

『燃えよドラゴン』(英題:Enter the Dragon、中国語題名:龍爭虎鬥、日本では「龍争虎闘」とも)は、1973年製作、公開のブルース・リー主演のカンフー映画。

ゴールデン・ハーベスト傘下のコンコルド・プロダクション(香港)とワーナー・ブラザーズ(アメリカ)の合作。
配給、及びソフト化の権利は欧米と日本、韓国ではワーナー、日本、韓国以外のアジア(香港、中国、台湾等)ではゴールデン・ハーベスト(1993年からスターTVに移行)が保有する。2004年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。

『燃えよドラゴン』(英題:Enter the Dragon・1973年8月17日に米国で公開)

リーの死後(1973年7月20日死去)、彼が待望していた主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに世界各地で公開され、ヒットした。

『燃えよドラゴン』でアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでにリーは亡くなっていた。死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。

『燃えよドラゴン』( 1973年12月22日に初めて日本公開)は日本でも大ヒット

『燃えよドラゴン』( 1973年12月22日に初めて日本公開)は日本でも大ヒット

1973年12月に初めて日本公開された時点で、ブルース・リー本人は既に故人となっていた(1973年7月20日死去)。

1970年前半は、カンフーは日本に普及していない頃だった。真樹日佐夫によると、当初ワーナーは本作品をメインとせず、他と抱き合わせて採算づけるために極真会館へ鑑賞を依頼した。真樹、兄の梶原一騎、大山倍達の3人がワーナー試写室に出向いて鑑賞し、大山は良く評価しなかったが(ただし公開時のパンフレットで好評と書いている)、梶原は「敵味方に関わらず銃を使えなくなる設定が良く、荒唐無稽さがなくて面白い」と絶賛している。結果として日本でも大ヒットに至った。

劇中で使用する武器ヌンチャクは日本でブームになったが、リーが使ったものは正確にはタバク・トヨクとといわれるフィリピン武術・カリの武器である。

当時は、1日100回は「アチョー」と言ってる子供がいっぱいいました。

ブルース・リーの強いイメージと言えば「アチョー」と「ヌンチャク」

この写真がやはり「燃えよドラゴン」の象徴的な一枚。

リーの妹スー・リンの仇のオハラをコテンパンに負かし処刑する。敵討ちをした最後の憂いのあるリーの表情が最高。

リーが地下に侵入する際にコブラを捕まえるシーンで、コブラを掴むタイミングを誤り腕を噛まれた。幸いにも、コブラから毒は抜かれていたので傷だけで済んだ。

後のスーパースターであるジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウも『燃えよドラゴン』にやられ役で出演している

この際、リーのヌンチャクが諸にジャッキーの顔面を捉え、その腫れ上がった顔を見るたびにリーはジャッキーに謝罪した。

ジャッキー・チェン(やられ役)がリーに地下基地で首を折られ、別カットでは長棍で顔を攻撃される衛兵役、最後にヌンチャクで殴られ、プールに落ちる役として出演

ユン・ピョウも出ています・・・若い・・・

ユン・ピョウ(やられ役)はリーのサイドキックを食らう

サモ・ハン・キンポーがオープニングのスパーリング相手として出演している。冒頭のリーとサモ・ハンの格闘シーンは、全ての撮影が終了した後にリーがセッティング、監督した。

リーが発案したオープンフィンガーグローブをお互いが装着し、打撃戦で始まり腕絡みで終了するシーンは後の総合格闘技の原型になった。

因みに、最後に撮影されたシーンということであって、死期の迫ったリーの裸身は、明らかに本編格闘シーンのそれに比べて痩せているのが見て取れる。

サモ・ハン・キンポー(やられ役)も出演。オープニングでブルースと対決していたあの長髪ぽっちゃりファイターがサモです

サモ・ハン・キンポーはリーにコテンパンにやられる。

『燃えよドラゴン』のラスボス「ミスター・ハン」 鏡の間の戦いは幻想的な名シーン。

ウォーズマンのベアークローは、これをオマージュしたものでしょう。

『燃えよドラゴン』のラスボス「ミスター・ハン」

ハン役のシー・キエンは少林拳の達人で、当時60歳近くでありながらリーとの格闘シーンをほぼノースタントで演じている。

少林寺の裏切り者「ミスター・ハン」 最後のリー対ハンの果たし合い。

ハンは、鏡に隠れて不意打ちをする。
これが見事なハラハラさせる演出になりました。
鏡張りの部屋の幻想的な演出効果も高かった。

ハンの秘密部屋のラストステージ「鏡の間(鏡張りの部屋)」 鏡による幻想的な効果を生み出しました。

リー「敵に実体はない。考えるな!感じろ!」 鏡の間でのハンとリーの戦い。

『ドラゴン危機一発』(日本では1974年4月13日に公開) 『燃えよドラゴン』(1973年12月)に続いて公開されヒット!

『ドラゴン危機一発』(ドラゴンききいっぱつ、原題: 唐山大兄、英題: The Big Boss)は、1971年制作の香港映画。ブルース・リー主演。

日本では『燃えよドラゴン』に続いて1974年4月13日に劇場公開されている。

タイを舞台に、製氷工場を隠れ蓑にして麻薬を密売しているギャングの一味に、次々と従兄弟達を殺されたチェン(ブルース・リー)が怒りを爆発、ギャングのボス(ハン・インチェ)やドラ息子(トニー・リュウ)に復讐の闘いを挑む。

他の作品で有名になったリーの怪鳥音・ヌンチャクが登場しない作品。

『ドラゴン危機一発』(日本では1974年4月13日に公開)

『ドラゴン危機一発』ロケ地:ほとんどのシーンがタイでのロケによるもので、主要キャストを除いてエキストラもほとんどがタイ人だった。

麻薬売買の秘密を知ったために殺された仲間たちの復習に立ち上がる青年チェン(ブルース・リー)の姿を描く。

日本のヤクザ映画を反映した為か、血の描写が結構あります。カンフー映画ですがバイオレンス映画でもあります。

『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)

日清戦争・日露戦争で大日本帝国が勝利した数年後の1909年、清朝末期の上海で、中国武術の大家・霍元甲が謎の死を遂げた。

霍元甲がその年創始した精武館(上海精武体育会の前身である上海精武体操学校がモデル)の愛弟子の陳真(ブルース・リー)は悲しみに暮れながらも師匠の突然の死に疑問を抱く。

時を同じくして始まった日本人柔道場からの執拗な嫌がらせ。ある夜陳真は、精武館に使用人として日本人スパイが紛れ込んでいる事を突き止め、やがて師匠の死の原因が、精武館を脅威だと感じた日本人柔道場主・鈴木寛(橋本力)の陰謀だと知り、陳真はたった一人で復讐の闘いへと向かっていく。

『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)

日本では日本人が悪役で登場して最後はリーに退治されるというストーリーから、当初は公開が危ぶまれたが、『燃えよドラゴン』『ドラゴン危機一発』と連続で大ヒットしブルース・リー人気が高まる中、リーの一周忌にあたる1974年7月20日に公開。

『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)

この作品からブルース・リーも製作に関わるようになり、リーのアイデアによりトレード・マークともなった怪鳥音とヌンチャクが初めて登場している。リーがキスシーンを演じた唯一の作品でもある。世界中の多くのファンにとってリーの最高傑作として認識されているが、『燃えよドラゴン』上陸時のインパクトや内容の問題により、日本ではそういった扱いをされることは少ない。

ヌンチャクは沖縄で古来より伝わる武器で、木や鉄でできており一撃で敵を倒す。ビュンビュン振り回すのは映画の演出である。香港映画に出演していた日本人俳優倉田保昭がリーと話をしている時、リー自身がヌンチャクのことを持ち出し、倉田がプラスチック製のヌンチャクを持っていたのでリーに贈呈したという。

倉田がインタビューなどで語るところでは、直接渡したのではなく後日人を介して届けたという。映画での派手な演出は、武術指導のハン・インチェと相談してつくりあげたという。怪鳥音はリハーサルの時にリーが偶然声を出したのをローが注目し映画で見るような独特の叫びとなった。

ブルース・リーの初ヌンチャク

勝新太郎が仲介して、『ドラゴン怒りの鉄拳』に出演することになった。

『ドラゴン怒りの鉄拳』のラスボス「日本人柔道場主・鈴木寛(橋本力)」

香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』で、ブルース・リーの敵役として共演。

『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーと共演することになったきっかけは、勝新太郎が『新座頭市 破れ!唐人拳』(昭和46年、安田公義監督)で王羽(ジミー・ウォング)と共演したことからだった。勝が王羽と親しくなり、王羽がゴールデン・ハーベストを通して、「今度アメリカから来た凄いやつが香港で出た一本目が、100万ドルの興行収入を得た。その第二弾を作りたいので、明治時代の悪い日本人の役の俳優を紹介してくれ」と勝に依頼。

これを受けた勝から、いきなり電話で「おい、これから麻雀やるから3万円持ってすぐ来い」と呼び出された橋本は、麻雀の誘いかと思ったが、3万円の意味が分からなかった。が、勝の誘いなので断るわけにいかず赴くと、「おい、実は香港に行ってほしいんだ」と言われた。電話で言われた3万円は渡航費だった。橋本は驚いたが、そのまま勝のロングカットの吹き替えを担当していた勝村淳と二人で香港へ向かった。広東語もできず、前知識もないままの渡航だったという。

不安な気持ちで香港に着くと、「橋本力・勝村淳大先生歓迎」とした幟が立っており、大映調布撮影所時代に日本の映画を学ぶため助監督をしていた人物が出迎えてくれた。この人が滞在中は通訳兼世話係を務めてくれたので、少し安心できたという。次に撮影所で羅維(ロー・ウェイ)監督に会ったが、「スケールの大きい大物だなと思った」という。

つぎに主演のブルース・リーと会ったが、大変に歓迎してくれたという。その印象として「凄い敏捷な感じ。ものすごくキビキビした感じの礼儀正しい人だった」と語っている。映画自体は香港映画の通例として脚本も台本もなく、「とにかく悪役なんだ、お前はブルース・リーがやる役の仇! 仇! 仇の人間なんだ」とそれしか指導がなかった。セリフも先述の通訳から聞いた内容を自分で日本語にあてはめたといい、映画の内容は全く把握できなかった。

この映画では日本人が袴を前後逆にはいているが、橋本がこれを指摘しても衣装係が「こっちのほうがいいから」と押し切ってしまった。悪役で眼鏡をかけた柔道の先生は明治大学出身で、日本語がペラペラだったという。

ブルース・リーとの立ち回りでは、橋本の側は勝村が殺陣をつけ、ブルース・リーのほうは自分流の形があるので、それを受けるだけなので特に苦労はなかったという。刀の構えは、「一番目立つ立ち回り」ということで示現流を使っている。リーは自分の立ち回りに関してはかなり監督に注文をつけていて、監督よりリーの主張のほうが強かったという。リーとロー・ウェイは仲が悪かったというが、橋本は特に二人のケンカなどは見なかったという。

『ドラゴン怒りの鉄拳』のラスボス「日本人柔道場主・鈴木寛(橋本力)」

全身から発する雄たけびとともに思い切り跳び上がる陳真(ブルース・リー)。そこにかぶさる多数の銃声。悲壮感あふれるラストシーン。

『ドラゴン怒りの鉄拳』の有名なラストシーンのストップモーションの写真

『ドラゴンへの道』(日本では1975年1月25日に公開)

イタリア・ローマの中華レストラン「上海」は、その土地を狙う地元のギャング(地上げ屋)に毎日の様に執拗な嫌がらせを受け、客も恐がって殆ど来なくなり閑古鳥の鳴く状態が続いていた。亡き父の後を継いだ女店主のチェン(ノラ・ミャオ)は、故郷・香港の弁護士に相談すると、急病で来られなくなった弁護士の代わりに従兄のタン・ロン(ブルース・リー)がやって来る。

弁護士を頼んだはずが、やってきたのはいかにも香港の田舎から出てきたばかりの風貌の青年。おまけに異国の地の言語・習慣の違いに戸惑いドジをふむタン・ロンに、初めのうちはチェンは呆れ、空手を嗜むジミー(ユニコーン・チャン)やトニー(トニー・リュウ)らレストランの従業員達は馬鹿にする。しかしある夜ギャングの送り込んだチンピラ集団をタン・ロンは鮮やかな中国拳法でいとも簡単に倒すと一転従業員から尊敬されるようになり、タン・ロンの飾らない性格にチェンは淡い気持ちを抱くようになる。

タン・ロンが加わった事でチェンと従業員達はギャングに立ち向かう決意を固めるが、叔父で調理担当のワンだけは頑なに反対。そのうちレストランの包囲、タン・ロンの暗殺計画、チェンの誘拐等、ギャングの手口はエスカレートしていくが、タン・ロンの拳法と機転によりことごとく失敗。

引き下がれなくなったギャングのボスは最終手段として、アメリカ人の屈強な空手の達人・ゴードン(チャック・ノリス)を呼び寄せる。ギャングの罠によってコロッセオに誘い込まれたタン・ロンは、ゴードンと一対一の決闘をすることになる。

『ドラゴンへの道』(日本では1975年1月25日に公開)

リンダ夫人はインタビューで、「私が一番好きなのは『ドラゴンへの道』です。なぜならユーモラスなところが普段の彼に一番近いからです。」と発言している。

他のブルース・リー作品では見られない明るさが目立ち、雑魚的な悪役はリーに叩きのめされても殺されないのが特徴である。

ラストのコロッセオにおけるチャック・ノリスとの死闘はブルース・リー作品でもベストに挙げられる。

チャック・ノリスは、後に80年代を代表するマネー・メイキング・スターになる。超有名人。

“チャック・ノリス”という名詞は、もはや一俳優を表すものだけではなく一人歩きをしており、発祥となったインターネットを飛び越えて一般に、“強さ” “完璧さ”を表す慣用句とさえなっている。

「ドラゴンへの道」のパブリシティ用写真。チャック・ノリスのサイン入り。

『死亡遊戯』(日本では1978年4月15日に公開)

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