1990年に開催された「日米レスリングサミット」
当時のプロレス団体ビッグ3が共催した「日米レスリングサミット」。
総勢36名の人気レスラーたちが東京ドームのリングに上がりました。
メインの「ハルク・ホーガンVSスタン・ハンセン」では、アックスボンバーVSウェスタンラリアットの構図がありましたし、プロレスファンにとってワクワクするイベントだったことを憶えています。

1990年4月13日、東京ドームにて開催された「日米レスリングサミット」(観衆53,742人)
この日、実際に東京ドームに足を運んだ筆者ですが、「日米レスリングサミット」で行われた12試合に登場していたレスラー達から主だったレスラーを振り返っていきます。
各レスラーについて、90年以前のキャリアをWikipediaより抜粋して引用させていただいています。
第1試合 6人タッグマッチ20分1本勝負
ダグ・ファーナス、ダニー・クロファット、ジョー・マレンコ vs 川田利明、サムソン冬木、北原辰巳

ダグ・ファーナス(右)とダニー・クロファット(左)の名コンビ「カンナム・エクスプレス」

川田利明とサムソン冬木によるタッグ「フットルース」
【試合結果】 ○クロファット(11分26秒・エビ固め)×北原
第2試合 シングルマッチ20分1本勝負
獣神サンダー・ライガー vs 野上彰

獣神サンダー・ライガー

野上彰
【試合結果】 ○ライガー(8分37秒・片エビ固め)×野上
第3試合 タッグマッチ20分1本勝負
ジミー・スヌーカ、ティト・サンタナ vs 渕正信、小橋健太

ジミー・スヌーカ

ティト・サンタナ

渕正信

小橋健太
【試合結果】 ○スヌーカ(8分28秒・片エビ固め)×渕
第4試合 シングルマッチ20分1本勝負
タイガーマスク vs ブレット・ハート

虎の仮面を脱ぐ前の三沢光晴VS「ヒットマン」ブレット・ハート

2代目タイガーマスク

ブレット・ハート
【試合結果】 タイガー(20分時間切れ引き分け)ブレット
第5試合 シングルマッチ20分1本勝負
ザ・グレート・カブキ vs グレッグ・バレンタイン

ザ・グレート・カブキ

グレッグ・バレンタイン
【試合結果】 ○カブキ(7分16秒・エビ固め)×バレンタイン
第6試合 シングルマッチ20分1本勝負
ジェイク・ロバーツ vs ビッグ・ボスマン
![1982年8月、ヒールに転向してフロリダ地区に参戦し、ケビン・サリバンやジム・ガービンと結託してバリー・ウインダムとの抗争を展開。このヒールターンを機に、その独特の滑るような動きと細身の体型、そして無表情で陰湿なキャラクターから、「ザ・スネーク」の異名を付けられるようになる。
以降、冷血系のヒールとして頭角を現し、ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは1983年11月6日にロニー・ガービンからNWAナショナルTV王座を奪取。ポール・エラリング率いる悪の軍団リージョン・オブ・ドゥームに加入してロード・ウォリアーズとも共闘した。
テキサス州ダラスのWCCWではプレイボーイ・ゲーリー・ハートをマネージャーに迎え、1984年10月27日にはクリス・アダムス&ジノ・ヘルナンデスのダイナミック・デュオとのトリオで世界6人タッグ王座を獲得[15]、ケビン、ケリー、マイクのフォン・エリック兄弟と抗争を繰り広げた。古巣のMSWAでは一時的にベビーフェイスに戻り、1986年1月から2月にかけて、ディック・スレーターと北米ヘビー級王座やTV王座を争っている。
1986年3月、WWFに移籍[2]。再びヒールとなって、リッキー "ザ・ドラゴン" スティムボートとの「龍対蛇」の抗争を開始する。ビンス・マクマホンによって「ザ・スネーク」のキャラクターには更に肉付けがなされ、蛇のデザインが施されたロングタイツや蛇皮のブーツを着用し、ペットのニシキヘビ「ダミアン(Damien)」を麻袋に入れてリングに持ち込むサイコパス系の怪奇派ヒールとなった。また、スネーク・ピット(The Snake Pit)なるインタビューコーナーのホストも担当した。
WWFにおいてもトップ選手の一人として、スティムボートとの抗争終了後はベビーフェイスに転向。異色の人気スターとなり、ホンキー・トンク・マン、リック・ルード、アンドレ・ザ・ジャイアント、テッド・デビアス、リック・マーテルらと抗争を展開した(アンドレには「蛇嫌い」という設定がなされた)。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
ジェイク・ロバーツ

ビッグ・ボスマン
【試合結果】 ○ロバーツ(10分25秒・体固め)×ボスマン
第7試合 IWGPタッグ選手権試合60分1本勝負
マサ斎藤、橋本真也(チャンピオンチーム) vs 長州力、蝶野正洋(チャレンジャーチーム)

マサ斎藤

橋本真也

長州力

蝶野正洋
【試合結果】 ○橋本(13分0秒・片エビ固め)×蝶野
第8試合 タッグマッチ60分1本勝負
ジャンボ鶴田、キング・ハク vs リック・マーテル、カート・ヘニング
当初ジャンボ鶴田のパートナーは当初は谷津嘉章でしたが、負傷欠場となったため、急遽全日本プロレス出身でもあるキング・ハクが務めることとなりました。

思い出作りのバックドロップin東京ドーム~!

ジャンボ鶴田

キング・ハク

リック・マーテル

カート・へニング
【試合結果】 ○鶴田(10分53秒・体固め)×マーテル
第9試合 シングルマッチ60分1本勝負
天龍源一郎 vs ランディ・サベージ(w / センセーショナル・シェリー・マーテル)

レスリングサミットでもっとも評価が高かった試合

天龍源一郎

ランディ・サベージ
【試合結果】 ○天龍(10分49秒・エビ固め)×サベージ
第10試合 WWF世界ヘビー級選手権試合60分1本勝負
アルティメット・ウォリアー(チャンピオン) vs テッド・デビアス(チャレンジャー)

この肉体こそ超人!アルティメット・ウォリアー!!

アルティメット・ウォリアー

テッド・デビアス
【試合結果】 ○ウォリアー(6分12秒・体固め)×デビアス
セミファイナル タッグマッチ60分1本勝負
ジャイアント馬場、アンドレ・ザ・ジャイアント vs デモリッション(アックス&スマッシュ)
ジャイアント馬場とアンドレ・ザ・ジャイアントはこの日が初のタッグ結成で、このコンビはこれ以降1992年まで「大巨人コンビ」として全日本プロレスを舞台に活躍することになりました。

ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントが花道を歩くだけでボルテージは最高潮!!

大巨人コンビ
![ジョニー・Vをマネージャーに、ヒールの大型タッグチームとして1987年3月14日のサタデー・ナイト・メイン・イベントにて本格的なデビューを果たす。以降、ジョニー・Vに代わってミスター・フジが専属マネージャーとなり、ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、キラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)、ルージョー・ブラザーズ(レイモンド・ルージョー&ジャック・ルージョー)、ヤング・スタリオンズ(ポール・ローマ&ジム・パワーズ)らを下し、1988年3月27日のレッスルマニアIVでストライク・フォース(リック・マーテル&ティト・サンタナ)からWWF世界タッグ王座を奪取。その後、11月24日のサバイバー・シリーズ1988でマネージャーのフジと仲間割れし、ベビーフェイスに転向[7]。同年6月にNWAからWWFに移籍してきた、ロード・ウォリアーズの完全なフェイク版であるパワーズ・オブ・ペイン(ザ・バーバリアン&ザ・ウォーロード)と抗争を展開した。
1989年7月18日、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)に敗れ1年4か月間に渡って保持していた王座を奪われるが、10月2日のサタデー・ナイト・メイン・イベントで奪回。しかし、12月13日にコロッサル・コネクション(アンドレ・ザ・ジャイアント&ハク)に敗れて再び陥落。以降、王座を巡るコロッサル・コネクションとの抗争がスタートし、1990年4月1日のレッスルマニアVIで奪還に成功、3度目の戴冠を果たした。直後の4月13日には東京ドームで行われた『日米レスリングサミット』に来日し、ジャイアント馬場&アンドレの大巨人コンビと対戦している。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
デモリッション
【試合結果】 ○アンドレ(6分39秒・体固め)×スマッシュ
メインイベント シングルマッチ60分1本勝負
ハルク・ホーガン vs スタン・ハンセン
当初メインイベントはハルク・ホーガンvsテリー・ゴディのWWF世界ヘビー級王座選手権試合が予定されていたものの、直前のレッスルマニア6でハルク・ホーガンがアルティメット・ウォリアーに敗れ王座から陥落したためにノンタイトル戦として行われることに。ところがこれを不服としたテリー・ゴディが出場をキャンセル。
そこで全日本プロレスの関係者はスタン・ハンセンに出場を要請し、スタン・ハンセンがこれを了承してメインイベントの対戦カードが決定した、とされていますが実際は前売りチケットの売り行きが芳しくないため、主催者が急遽対戦カードを変更したというのが真相とされているようです。

これは盛り上がった!やっぱりホーガンは千両役者だった!!

「超人」ハルク・ホーガン
![1981年6月にテリー・ファンクの仲介によってテキサス州ダラスで馬場と会談を持ち、新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍を確約、同年12月の世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとして全日本プロレスに登場した。ただしハンセンの移籍は秘密裏に行われており、当時の関係者やファンを非常に驚かせた(全日本と新日本は有名選手の引き抜き合戦の最中にあり、ハンセンの参戦は最大の事件として記憶されている。12月初旬の段階で馬場夫妻とファンクス以外にはごく限られた関係者しか知らされておらず、盟友ブロディに対してもハンセン本人が直接状況説明をした。そのためブロディは、長くファンクスに対し不信感を持つこととなった)。
全日本プロレスへの公式移籍後は馬場や鶴田、天龍源一郎と闘うが、鶴田との試合は旧知の間柄であることもあって、噛み合わない試合が多かった。また、ブロディと組んだ「ミラクルパワーコンビ」は圧倒的な強さを誇った。ミラクルパワーコンビと並行してロン・バスとのカウボーイ・タッグチーム「ラリアット・ライダーズ」を結成し、1983年4月12日にインターナショナル・タッグ王座も獲得している。ブロディとのコンビ解消後はテッド・デビアス、テリー・ゴディらを新パートナーに、PWF世界タッグ王座、世界タッグ王座を数回獲得、最強タッグでも優勝を果たした。また天龍とのコンビでも世界タッグ王座を獲得したほか、史上初の最強タッグ全勝優勝を達成した。
本国では1985年12月29日、ニュージャージー州イーストラザフォードでリック・マーテルを破りAWA世界ヘビー級王座を奪取[11]。以後、サージェント・スローター、レオン・ホワイト、カート・ヘニング、デビッド・サンマルチノ、ジェリー・ブラックウェル、ニック・ボックウィンクル、リック・マーテル、長州力、ジャンボ鶴田らを相手に防衛を果たし[12]、米国での地位も確かなものとした。またAWA王座在位中の1986年3月29日には、自身の保持するAWA世界ヘビー級・PWFヘビー級両王座と、インターナショナル・ヘビー級王座を保持する鶴田との間で、日本初となるトリプル・タイトルマッチが実現した。
1990年2月10日の新日本プロレス主催・東京ドーム大会では、目玉の一つとなった「新日本vs全日本」の一環として、当時IWGPヘビー級チャンピオンであったベイダーに挑戦。両者リングアウトとなるも、ド迫力の戦いは語り草となった。4月13日の日米レスリングサミットでは、メインイベントでハルク・ホーガンと戦い敗れる。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
「浮沈艦」スタン・ハンセン