元祖4人組アイドル!初代ジャニーズとは、
1960年代のはじめ、東京、原宿駅近くの代々木公園では30名ほどの少年たちが集まり、野球に興じていました。
野球チームの名前は「ジャニーズ球団」、コーチをしていたのが、ジャニー喜多川でした。
ジャニーズ事務所アイドル第一号となった「初代ジャニーズ」は、この野球チームにいた4人。
真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦で結成されました。
代々木公園、中央広場
代々木公園 -とうきょうなび-
「ジャニーズ」は、初代ジャニーズ、元祖ジャニーズともいわれ、ジャニーズ事務所第1号のアイドルグループです。紅白歌合戦に出演、レコードも発売し、アメリカにも進出しています。
歌って踊るジャニーズタレントの伝統は「ジャニーズ」で始まり、解散後はジャニー喜多川により、「フォーリーブス」に引き継がれます。
初代ジャニーズのメンバー
真家ひろみ
飯野おさみ(飯野修賓)
中谷良
42歳のときに著書『ジャニーズの逆襲』を発行しています。
中谷良は、現在トレイトコース(旧芸能活動コース)で知られる、堀越高等学校の芸能人の生徒・第一号、多く堀越出身の芸能人の先輩です。
青井輝彦
1966年競作により発売された、初代ジャニーズの「涙くんさよなら」
「涙くんさよなら」の英題は「Goodbye Mr. Tears」
1965年にジョニー・ティロットソンが、英語と日本語でカバーして大ヒットしました。
坂本九(編曲:いずみたく)、和田弘とマヒナスターズもシングル曲として発売、1966年4月に初代ジャニーズが涙くんさようなら」を発表しました。
作詞・作曲:浜口庫之助 初代ジャニーズ盤の編曲は、寺岡真三です。
ジャニーズタレントが、紅白歌合戦に、初出場!
1965年おおみそかの「第16回紅白歌合戦」に、初出場、初代ジャニーズは「マックザナイフ」を歌いました。
初代ジャニーズが出演した映画・テレビ番組
初代ジャニーズとアメリカ旅行
初代ジャニーズが解散した日~再会
1962年4月1日結成されたジャニーズは、1967年11月20日に解散、 活動した期間は5年半でした。 NHK総合で放送していた『夢であいましょう』の番組内で、田辺靖雄のバックとして出演したのは1962年8月。 そのとき歌った『若い涙』でレコードデビューしたのが1964年12月でした。
初代ジャニーズはレコードデビューから3年を待たずに解散しています。
解散を決めた日は1967年にアメリカ滞在中、帰国前直前、1月5日前に決定。
日本で予定が決まっていた仕事を消化する、11月まで解散の表明を延期する決定をする。
解散のきっかけは、メリーとの金銭トラブルから、リーダーの真家が辞めたいと言い出しました。
1976年初代ジャニーズのメンバーが再会する!
初代ジャニーズ、ジャニーズ事務所についての暴露本
11歳でジャニー氏の"洗礼"を受けたメンバーが綴る『ジャニーズの逆襲』(1/2)|サイゾーウーマン
2019年6月、ジャニー喜多川さんがくも膜下出血で入院
2019年6月18日にジャニー喜多川さんが、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で倒れ、以降入院の状況が続いている事が7月1日、各報道機関からのニュースで判明しました。
現在は所属タレントが次々と面会に訪れるなど、緊迫した様子。事務所からは「今もジャニーは必死に頑張っておりますので、治療に専念することを最優先とさせていただきたく、ご理解ください」とのコメントが発表されています。
<追記>
7月9日にジャニー喜多川さんが、くも膜下出血のため死去されました。87歳でした。
各メディアで一斉に報じられ、TVやラジオ、ウェブサイトでは、ジャニーズ所属タレントからの追悼のコメントが溢れています。また、一般の視聴者、ユーザーもそれぞれに哀悼の意を表しています。
ご冥福をお祈りします。