戦後の主だった政党の名前、憶えていますか?55年体制下から現在までの政党の変遷を振り返る。

戦後の主だった政党の名前、憶えていますか?55年体制下から現在までの政党の変遷を振り返る。

政党の歴史でみると、団塊ジュニアの世代は戦後55年体制の中で育ち、55年体制の崩壊から民由合併といった大きな転換点を全て経験してきた世代です。ところで過去に数多く存在した政党、憶えていますか?主だった政党の変遷について。


民主・維新の合流 新しい党名は「民進党」

民主党と維新の党は、両党の代表らが出席して「新党協議会」を開き、合流したあとの新しい党名について「民進党」とすることで合意しました。

民主・維新の合流 新しい党名は「民進党」

民進党と維新の党が合流して「民進党」が誕生、民主党が20年の歴史に幕を閉じました。
ここで「そういえば政党の変遷って全然憶えていないかも」といささか不安になったため、備忘録的にまとめておこうと思った次第です。

Wikipediaを参照しながらまとめつつ、当時が思い出しやすくなるかもしれないと思って画像も探してみました。
なお、政治・思想的な要素には触れず史実としての列挙のみとなります。

※掲載順不同

55年体制下(1955-1993)

【日本共産党(1945-)】
沖縄人民党(1947-1973)→(日本共産党へ合流)
(日本共産党より分裂)→日本共産党(日本のこえ)(1964-?)→(消滅)

【日本社会党(1955-1996)】
(日本社会党より分裂)→民主社会党(1960-1969)→民社党(1969-1994)
(日本社会党より分裂)→社会市民連合(1977-1978)→社会民主連合(1978-1994)
(日本社会党より分裂)→社会クラブ(1977-1978)→(社会民主連合へ参加)

【自由民主党(1955-)】
(自由民主党より分裂)→革新自由民主党(1958)→(消滅)
(自由民主党より分裂)→新自由クラブ(1976-1986)→(自由民主党へ合流)
(新自由クラブより分裂)→税金党(1983-1990)→(自由民主党へ合流)
(新自由クラブより分裂)→進歩党(1987-1993)→(解党)

【公明党(1964-1994)】

【日本共産党(1945-)】

沖縄人民党の結成に参加した瀬長亀次郎。
1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以降7期連続当選を果たす。

沖縄人民党(1947-1973)→(日本共産党へ合流)

参議院議員の鈴木市蔵の他、神山茂夫や中野重治らと共に「日本共産党(日本のこえ)」を結成した志賀義雄。

(日本共産党より分裂)→日本共産党(日本のこえ)(1964-?)→(消滅)

【日本社会党(1955-1996)】

社会党右派だった西尾末広派、河上丈太郎派の一部が離党して民主社会党を結成。
西尾末広が中央執行委員長に就任した。

(日本社会党より分裂)→民主社会党(1960-1969)→民社党(1969-1994)

菅直人らとともに社会市民連合を結成した江田三郎。

(日本社会党より分裂)→社会市民連合(1977-1978)→社会民主連合(1978-1994)

社会党を離脱した田英夫・秦豊・楢崎弥之助らで社会クラブ結成。
翌年、社会民主連合の結成に参画し初代代表に田英夫が就任。

(日本社会党より分裂)→社会クラブ(1977-1978)→(社会民主連合へ参加)

【自由民主党(1955-)】

田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、小林正巳、有田一寿と自民党を離党し新自由クラブを結成、党首に就任した河野洋平。

(自由民主党より分裂)→新自由クラブ(1976-1986)→(自由民主党へ合流)

みんなの党・渡辺喜美代表 「候補者100人、6月までにメド」 次期衆院選で躍進目指す : 政治ちゃんねる

新自由クラブを離党し、自らが代表の税金党を結党した野末陳平。

(新自由クラブより分裂)→税金党(1983-1990)→(自由民主党へ合流)

新自由クラブ解散後、自由民主党に復党しなかった衆議院議員田川誠一が結成。

(新自由クラブより分裂)→進歩党(1987-1993)→(解党)

55年体制崩壊から民由合併まで(1993-2005)

【日本共産党(1945-)】

【日本社会党(1955-1996)→社会民主党(1996-)】
(日本社会党より分裂)→新党護憲リベラル(1994-1995)→(分裂)
(日本社会党より分裂)→市民リーグ(1995-1996)→(民主党へ参加)

【自由民主党(1995-)】
(自由民主党より分裂)→新党さきがけ(1993-1998)→さきがけ(1998-2002)→みどりの会議(2002-2004)(解散)
(自由民主党より分裂)→新生党(1993-1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→自由党(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→新党みらい(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→高志会(1994)→(新進党へ参加)

【民社党(1960-1994)→(新進党へ参加)】

【公明党(1964-1994)→(分裂)】
公明新党(1994)→(新進党へ参加)
公明(1994-1998)→公明党(1998-)

【社会民主連合(1978-1994)→(日本新党へ合流)】

【日本新党(1992-1994)→(新進党へ参加)】

【民主改革連合(1994-1998)→(民主党へ参加)】

【新進党(1994-1997)→(解党)】
太陽党(1996-1998)→(民政党へ参加)
フロム・ファイブ(1997-1998)→(民政党へ参加)
国民の声(1998)→(民政党へ参加)
新党友愛(1998)→(民主党へ参加)
自由党(1998-2003)→(民主党へ合流)
(自由党より分裂)→保守党(2000-2002)→保守新党(2002-2003)→(自由民主党へ合流)
改革クラブ(1998-2002)→(解党)
新党平和(1998)→(公明党へ参加)
黎明クラブ(1998)→(公明へ合流)

【民主党(1996-1998)→民主党(1998-)】
民政党(1998)→(民主党へ参加)

【日本社会党(1955-1996)→社会民主党(1996-)】

1996年1月に日本社会党が改称して発足、継続して自社さ連立政権に参加したが、1998年5月に連立離脱。2009年に民社国連立政権に参加したが、2010年に離脱。
歴代党首は、村山富市、土井たか子、福島瑞穂、吉田忠智。

日本社会党(1955-1996)→社会民主党(1996-)

1994年9月にMPD・平和と民主運動の呼びかけ人であった田英夫が、代表を務めていた院内会派である護憲リベラルの会を母体としてMPDメンバー(日本学生戦線除名組)による大衆党(後の市民の党)を取り込み、さらに翫正敏、國弘正雄、旭堂小南陵、三石久江ら旧日本社会党国会議員を巻き込んで結成。

(日本社会党より分裂)→新党護憲リベラル(1994-1995)→(分裂)

1995年、山花貞夫・海江田万里らが、自社さ連立政権・新進党勢力に属しない第三の道を目指し結成。1996年、旧民主党結党に伴い解散。

(日本社会党より分裂)→市民リーグ(1995-1996)→(民主党へ参加)

【自由民主党(1995-)】

自民党の中堅・若手議員であった武村正義、田中秀征、園田博之、鳩山由紀夫らが中心となり、1993年の宮沢内閣不信任決議可決をきっかけに離党して結成。

(自由民主党より分裂)→新党さきがけ(1993-1998)→さきがけ(1998-2002)→みどりの会議(2002-2004)(解散)

宮沢改造内閣不信任決議案に賛成し、可決させた羽田派所属の国会議員である羽田孜、小沢一郎らが1993年6月に自民党を離党して結成。

(自由民主党より分裂)→新生党(1993-1994)→(新進党へ参加)

1994年4月に渡辺美智雄の首相擁立を目指し、自由民主党の国会議員が離党し結成。
党首には柿澤弘治が就任。

(自由民主党より分裂)→自由党(1994)→(新進党へ参加)

1994年(平成6年)4月15日、自民党・清和会の鹿野道彦、北川正恭、佐藤敬夫、坂本剛二、増子輝彦の衆議院議員5名が、新生党を中心とする勢力と自民党との間に位置する第三勢力を目指して離党。
18日に「新党みらい」を結成し、代表には鹿野が就任。

(自由民主党より分裂)→新党みらい(1994)→(新進党へ参加)

1994年(平成6年)、羽田孜内閣の総辞職に伴う首班指名選挙において、日本社会党委員長の村山富市に投票する方針に反発して自民党を離党し、自ら非自民勢力の首班候補となった海部俊樹を代表とするグループ。

(自由民主党より分裂)→高志会(1994)→(新進党へ参加)

【日本新党(1992-1994)→(新進党へ参加)】

1992年5月に細川護煕が『文藝春秋』誌上で提唱した自由社会連合を母体として、既成の政治、政党を打破して日本に新しい政治体制を作り上げるという理念のもと、結成。

日本新党(1992-1994)→(新進党へ参加)

【民主改革連合(1994-1998)→(民主党へ参加)】

1989年、第15回参議院議員通常選挙で日本労働組合総連合会(連合)を支持母体に連合の会(日本社会党・公明党・民社党推薦)が結成され候補者11人が当選。
非改選の無所属議員だった山田耕三郎(元大津市長、以前は一の会等に所属)とともに、会派として連合参議院を結成。代表には山田が就いた。
1993年、民主改革連合に改称。同年、細川内閣の連立政権に参加する。

民主改革連合(1994-1998)→(民主党へ参加)

【新進党(1994-1997)→(解党)】

1994年6月の自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる村山富市内閣の発足で下野した非自民・非共産勢力は、次期総選挙で施行される小選挙区比例代表並立制への対応に迫られていた。
小選挙区で自民党に対抗するためには野党各党が合流して各選挙区で候補者を1名に絞らなければならず、新・新党を結成する流れが一気に傾き、新生党・公明党の一部・民社党・日本新党・自由改革連合などが結集し、同年12月10日、結党された。理念は「自由、公正、友愛、共生」。
党結成に関して、新生党の代表幹事であった小沢一郎(当時:新党準備委員会委員長)は「保守党」と名付けることを希望したが、周囲の反発により断念した。
初代党首選挙は、自由改革連合代表の海部俊樹元首相、新生党党首の羽田孜元首相、民社党委員長の米沢隆の3名で争われ、海部が勝利した。
結成時の所属国会議員数は214人(衆議院176人、参議院38人)である。結党時の国会議員数が200人を超える政党が結成されたのは、1955年(昭和30年)結成の自民党以来39年ぶりであった。

新進党(1994-1997)→(解党)

1996年(平成8年)に、新進党を離党した羽田孜を中心に結成された日本の保守政党。

太陽党(1996-1998)→(民政党へ参加)

新進党分党以前に離党していた旧日本新党の細川護熙が代表となり、細川と同じく新進党を離党していた樽床伸二、上田清司、円より子と、自由連合が党名変更した「自由の会」唯一の国会議員だった江本孟紀の5名(衆院3名・参院2名)で結成。

フロム・ファイブ(1997-1998)→(民政党へ参加)

新進党の解党により分裂した6つの政党のうちのひとつで、新進党に参加した自由民主党と日本新党系議員のうち、反小沢派の保守系議員(衆議院15人、参議院3人)を中心に結成された。党首は鹿野道彦。
主な所属議員は左藤恵、愛野興一郎、広中和歌子、岡田克也、松沢成文、原口一博、古賀一成、石井一など。

国民の声(1998)→(民政党へ参加)

新進党の解散(分党)に伴い旧民社党系の国会議員を中心に結成。1998年1月5日に結党大会を開き、届け出た。
1998年4月27日民主党の結成により解散。

新党友愛(1998)→(民主党へ参加)

1998年1月5日に届出、1998年1月6日に結党大会を開いた。
但し、法的には新進党分党によるものであるため、1998年1月1日発足となる。2003年9月26日、解党し民主党に吸収合併された。

自由党(1998-2003)→(民主党へ合流)

2000年3月、自自公連立政権からの離脱に傾く自由党党首小沢一郎及び同側近グループに対し、連立継続を望む海部俊樹最高顧問、野田毅前幹事長、二階俊博運輸大臣、中西啓介選対委員長らを中心としたグループが新党を結成。
この時、自民党の野中広務らが自由党の中間派議員に選挙協力などで説得した結果、参加者は自由党所属国会議員(50名)の過半数に達する26名となった。

(自由党より分裂)→保守党(2000-2002)→保守新党(2002-2003)→(自由民主党へ合流)

1997年12月31日、新進党が分党した際、小沢一郎の党運営に反発していた若手議員を中心に、ベテラン議員の小沢辰男を代表として結成。1998年1月5日に届出、1998年1月12日に結党大会が開かれた。
当初は「フロンティアネット」という仮称が付けられたが、正式な発足にあたって改められた。

改革クラブ(1998-2002)→(解党)

【民主党(1996-1998)→民主党(1998-)】

1994年12月の新進党の結党以降、自民党と新進党の二大政党制が待望されるなか、次期総選挙に向け、危機感を強めた新党さきがけ代表幹事の鳩山由紀夫らは、社会党(のち社会民主党)との「社さ新党」を模索。
厚生大臣の菅直人(さきがけ)や前北海道知事の横路孝弘と接触を重ね、新党結成で合意。
鳩山と実弟である鳩山邦夫(新進)、菅直人、岡崎トミ子(横路の代理、社民)の4名が「民主党設立委員会」結成。
1996年9月29日、民主党結成。党代表は菅直人(政務)・鳩山由紀夫(党務)。

民主党(1996-1998)→民主党(1998-)

【民政党(1998)→(民主党へ参加)】

1998年1月、太陽党、国民の声、フロム・ファイブの3党が合併、結成。4月、民主党結成に伴い解散。

民政党(1998)→(民主党へ参加)

2005年以降

【日本共産党(1945-)】

【自由民主党(1955-)】
(自由民主党より分裂)→国民新党(2005-2013)→(解党)
(自由民主党より分裂)→新党日本(2005-2012)→(政党要件喪失)
(自由民主党より分裂)→たちあがれ日本(2010-2012)→太陽の党(2012)→(日本維新の会へ合流)

【社会民主党(1996-)】

【民主党(1998-)】
(民主党より分裂)→改革クラブ(2008-2010)→新党改革(2010-)
(民主党より分裂)→大地・真民主党(2011-2012)→新党大地・真民主(2012)→(新党大地へ移管)
(民主党より分裂)→新党きづな(2011-2012)→(国民の生活が第一へ合流)
(民主党より分裂)→国民の生活が第一(2012)→(日本未来の党へ合流)

【公明党(1998-)】

【新党大地(2005-)】

【みんなの党(2009-2014)→(解党)】
(みんなの党より分裂)→結いの党(2013-2014)→(維新の党へ参加)

【日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)】

【減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)】

【日本維新の会(2012-2014)→維新の党(2014-)】
(日本維新の会より分裂)→次世代の党(2014-2015)→日本のこころを大切にする党 (2015-)
(維新の党より分裂)→おおさか維新の会(2015-)
(維新の党より分裂)→改革結集の会(2015-)

【反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)】

【日本未来の党(2012)→(分裂)】
生活の党(2012-2014)→生活の党と山本太郎となかまたち(2014-)
日本未来の党(2012-2013)→(みどりの風へ合流)

【みどりの風(2012-2013)→(政党要件喪失、解党)】

【太陽の党(2014-2015)→(次世代の党へ合流)】

【日本を元気にする会(2015-)】

【自由民主党(1955-)】

2005年8月、自由民主党の綿貫民輔、亀井静香ら「郵政事業懇談会」所属の国会議員が郵政民営化を巡る党内抗争の結果、離党して結成。
他に亀井久興、長谷川憲正が参加した。

(自由民主党より分裂)→国民新党(2005-2013)→(解党)

2005年8月21日に東京都千代田区のパレスホテルで立党記者会見が開かれ内閣総理大臣(自由民主党総裁)小泉純一郎が進める郵政民営化法案の反対者を中心に結成された。
党代表には田中康夫が就任。

(自由民主党より分裂)→新党日本(2005-2012)→(政党要件喪失)

2005年に自由民主党を離党して以来、新しい保守政党の構想を示唆してきた平沼赳夫と参議院選挙を前に自民党による民主党の単独過半数獲得阻止を困難と判断し、2010年4月に自民党を離党した与謝野馨らが民社国連立政権に対する批判層や保守層の受け皿として平沼・与謝野・園田博之・藤井孝男・中川義雄・石原慎太郎を発起人、平沼を代表、与謝野を共同代表として4月10日に党を結成。
2010年4月7日に、新党を後押しする石原慎太郎の命名により、新党の名称を「たちあがれ日本」にすることが固まった。

(自由民主党より分裂)→たちあがれ日本(2010-2012)→太陽の党(2012)→(日本維新の会へ合流)

【社会民主党(1996-)】

2008年8月民主党執行部の党運営に反発する渡辺秀央らと自民党への復帰を望む荒井広幸らにより「改革クラブ」として結成される。
2010年4月23日、自民党を離党した舛添要一を新代表として政党名を「新党改革」に変更、自民党との統一会派「自由民主党・改革クラブ」を解消。

(民主党より分裂)→改革クラブ(2008-2010)→新党改革(2010-)

野田内閣が推進している消費税増税、TPP参加、八ツ場ダム建設再開、原発容認などの政策に反対している9名の民主党出身代議士によって結党。
2012年11月に国民の生活が第一へ合流して解党。

(民主党より分裂)→新党きづな(2011-2012)→(国民の生活が第一へ合流)

2012年6月26日に衆議院で採決された消費税増税法案に反対し、民主党に離党届を提出中の衆議院議員37人(加藤学を除く36人が同年7月9日付で除籍)および同党を離党した参議院議員12人、計49人により7月11日に結成された。代表は小沢一郎。
主要3つの政策として「いのち」と「暮らし」と「地域再生」をキーワードに、「消費税増税の廃止」、「原発ゼロ」、「地域が主役の社会」を挙げていた。また、党議拘束を否定している点が特徴。

(民主党より分裂)→国民の生活が第一(2012)→(日本未来の党へ合流)

【新党大地(2005-)】

鈴木宗男事件で自民党を離党した後、胃癌手術のため2003年の第43回総選挙に出馬せず、翌2004年の第20回参院選に無所属で出馬し落選していた鈴木宗男元北海道開発庁長官が、2005年8月8日の衆議院解散直後、8月18日になって結成。

新党大地(2005-)

【みんなの党(2009-2014)→(解党)】

渡辺喜美・江田憲司両衆議院議員らが2009年2月に立ち上げた「国民運動体 日本の夜明け」を前身として、同年8月8日に自由民主党・民主党を離党した3議員を加えて結成された。
党名候補として渡辺は「絆」を提案したが、江田憲司は「みんなの党」を提案。結局、当時の党所属国会議員5人による3対2の多数決で政党名は「みんなの党」に決定した。

みんなの党(2009-2014)→(解党)

みんなの党を除籍された江田憲司を代表として、2013年12月18日に結党。みんなの党に所属していた衆議院議員9人、参議院議員6人の計15人が参加した。なお、みんなの党を離党した地方議会議員の一部も結いの党に合流した。

(みんなの党より分裂)→結いの党(2013-2014)→(維新の党へ参加)

【日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)】

現職・元職の地方首長・地方議員を中心として、2010年4月に結成された。
党名の「日本創新党」は、「大化改新」「明治維新」に倣った「根こそぎの改革」としての「平成創新」を目指すべく命名された。
首長時代に新しい歴史教科書をつくる会の教科書採択を主導した山田宏元杉並区長と中田宏元横浜市長がそれぞれ党首・代表幹事を務めるなど、保守色の強い松下政経塾出身者が党の中枢を占めていた。

日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)

【減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)】

名古屋市長河村たかしを代表とする日本の地域政党(政治団体)。2010年4月26日に設立された。

減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)

【日本維新の会(2012-2014)→維新の党(2014-)】

2010年4月に設立された地域政党「大阪維新の会」を母体に、自民党・民主党・みんなの党から離党した国会議員らを加えて2012年9月28日に設立された。
設立直後に日本創新党が、同年11月には太陽の党(たちあがれ日本より改名)が、解党して党に合流している。
当初は大阪維新の会代表の橋下徹が党代表に就いていたが、太陽の党が合流した際に同党共同代表の石原慎太郎が代表に就任し、橋下は代表代行に退いた。その後2013年1月になって石原・橋下の共同代表制に移行した。
自民党・民主党の二大政党に対抗する「第三極」の中心として注目を集め、2012年12月16日に執行された第46回総選挙では54議席を獲得して国政第3党に躍進。
他方で主要政策に隔たりがあった太陽の党と合流して以降は、橋下共同代表ら結党以来のメンバーと、国会議員の3割近くを占め国会議員団の主導権を握る石原共同代表ら旧太陽の党メンバーの間で、しばしば意見の対立や主張の食い違いが生じている。
結いの党の合流を巡って石原と橋下が対立し、2014年5月28日に分党で合意。6月22日の臨時党大会で、橋下グループと石原グループに分党するため、党を解党する方針を決定。7月31日に「政治団体解散届」を総務大臣に提出し正式に解党した。
石原グループは次世代の党を結党。一方、橋下グループは党名を引き継いだ暫定的な新党「日本維新の会」を結党、結いの党が解党したうえで合流し維新の党へ改称した。

日本維新の会(2012-2014)→維新の党(2014-)

511262171

日本維新の会が2014年6月22日に分党を決定し、7月31日に解党したことを受け、当時同党の共同代表を務めていた石原慎太郎支持派のグループ(石原グループ)によって8月1日、次世代の党として結党された。
2015年12月21日、「日本のこころを大切にする党」に党名を変更した。

(日本維新の会より分裂)→次世代の党(2014-2015)→日本のこころを大切にする党 (2015-)

2015年12月18日の大阪市長任期満了に合わせて政界から一度引退することを表明している橋下徹の後継代表を選出するための党大会が2015年12月12日に開かれた。この党大会で橋下の代表辞任が認められ、後継の代表として大阪府知事の松井一郎が選出された。 
党大会後の会見では党執行部役員人事も発表され、共同代表および国会議員団長に片山虎之助参院議員、幹事長に馬場伸幸衆院議員、政務調査会長に浅田均大阪府議、総務会長に東徹参院議員が就任することとなった。
また、政界からの引退表明をした橋下徹は一民間人として党の法律政策顧問に就任する。
2015年12月24日、次世代の党を離党していた江口克彦が入党し、日本維新の会並びに維新の党に在籍した経験のない議員が初めて入党した。翌25日、事後処理のために維新の党に籍を残していた馬場伸幸、遠藤敬、東徹の3人がおおさか維新の会に正式に入党した。

(維新の党より分裂)→おおさか維新の会(2015-)

2015年11月22日、維新の党分裂騒動を巡り、松野頼久執行部の対応に反発した小沢鋭仁や村岡敏英ら4名が離党届を維新の党に提出、日本を元気にする会に所属する山田太郎とともに、政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た。これを母体として会派「改革結集の会」を結成。

(維新の党より分裂)→改革結集の会(2015-)

【反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)】

国民新党を離党し無所属として活動していた亀井静香元金融担当相と、民主党を離党した山田正彦元農水相が中心となり、2012年12月16日に投票日となっている第46回衆議院議員総選挙のため、11月19日に「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」(略称 反TPP)として結成を表明した。山田は代表、亀井は幹事長に就任する見込みであった。
その後、11月22日に減税日本と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」(略称 脱原発)を結成することに同意。河村たかしと山田正彦が共同代表に、幹事長には亀井静香が就くとしていた。
この新党は結果的に、嘉田由紀子滋賀県知事が11月27日に立ち上げた日本未来の党に、小沢一郎率いる国民の生活が第一とともに、同日に合流することが決定した。

反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)

【日本未来の党(2012)→(分裂)】

2012年11月に結成。同年12月に生活の党に改称し消滅。 当時の代表は滋賀県知事の嘉田由紀子。

日本未来の党(2012)→(分裂)

2012年12月に日本未来の党の党名を生活の党に改称する形で発足。
民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも国民の生活が第一のものを引き継いでいる。
2014年12月に施行された第47回衆議院議員総選挙の結果、政党要件を失い、「その他の政治団体」となった。しかし、12月26日に無所属の参議院議員山本太郎が入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。

生活の党(2012-2014)→生活の党と山本太郎となかまたち(2014-)

【みどりの風(2012-2013)→(政党要件喪失、解党)】

社会保障と税の一体改革関連法案の可決をうけて、民主党を離党した議員3名と、先に国民新党を離党した亀井亜紀子の4名の参議院議員によって参議院の院内会派として2012年7月17日に結成された。

みどりの風(2012-2013)→(政党要件喪失、解党)

【日本を元気にする会(2015-)】

2014年11月28日に解党したみんなの党に所属していた6名の無所属議員で、12月18日に参議院院内会派として結成され、参議院事務局に届け出された。
その後、2015年1月1日に政党を組織し、1月8日に田中茂と行田邦子を除く4人と、次世代の党に離党届を提出していたアントニオ猪木の計5名で、東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に政党として設立を届け出た。いずれも代表者は松田公太。

日本を元気にする会(2015-)

その他、国会に議席を有したことのある政党

【日本人民党(1946-1984)】

【緑風会(1947-1960)→参議院同志会(1960-1962)→(第二院クラブに参加、1962-1964)→緑風会(1964-1965)】

【新自由党(1948-1952)】

【革新自由連合(1977-1986)】

【サラリーマン新党(1983-2016)】

【福祉党(1983-1989?)】

【スポーツ平和党(1989-2007?)】

【自由連合(1990-2010)】

【無所属の会(1998-2004)】

以上、戦後~2015年までの主だった政党の変遷について列挙してみました。

関連する投稿


レトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」より『トラぶるCHASER 第1話』『3Dテニス』が配信スタート!!

レトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」より『トラぶるCHASER 第1話』『3Dテニス』が配信スタート!!

レトロゲーム関連の復刻・配信ビジネスなどを行うD4エンタープライズが運営するレトロゲーム配信サービス「プロジェクトEGG」にて、新規コンテンツ『トラぶるCHASER 第1話 トラブルは空から未来から(PC-9801版)』『3Dテニス(MSX版)』の配信がスタートしました。


『オホーツクに消ゆ』と北海道紋別市がコラボ!ゲームに登場するシーンを使用したアクリルジオラマが「ふるさと納税返礼品」に!

『オホーツクに消ゆ』と北海道紋別市がコラボ!ゲームに登場するシーンを使用したアクリルジオラマが「ふるさと納税返礼品」に!

ジー・モードより、推理アドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』の世界観を再現したオリジナルグッズが、北海道紋別市のふるさと納税返礼品として提供されます。


抜群のスタイルで💦世の脚光を浴びた『広田恵子』現在は?!

抜群のスタイルで💦世の脚光を浴びた『広田恵子』現在は?!

高校時代からモデル活動を始め1986年に「カネボウ・スイムウエアイメージモデル」として脚光を浴びた広田恵子さん。現在は家族で〇〇を組んで活動している・・・。


完璧・無量大数軍の一人「完肉」の称号を持つキン肉マン『ネメシス』が、SpiceSeedキン肉マンシリーズに登場!!

完璧・無量大数軍の一人「完肉」の称号を持つキン肉マン『ネメシス』が、SpiceSeedキン肉マンシリーズに登場!!

ハイクオリティフィギュアの製造・販売で好評を博している株式会社SpiceSeed フィギュア事業部より、キン肉マンシリーズのフィギュア『ネメシス』が発売されます。


懐かしの名作が勢揃い!特製クリアしおりが貰える書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が開催!!

懐かしの名作が勢揃い!特製クリアしおりが貰える書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が開催!!

藤子・F・不二雄による名作の数々を紹介する書店フェア「藤子・F・不二雄 S(すこし)★F(ふしぎ)な世界」が、8月7日(木)より全国のフェア参加書店にて順次開催されます。


最新の投稿


世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。


キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

人気アニメ『キン肉マン』の「完璧超人始祖編」の名言・名場面を題材にした英会話学習書『キン肉マン超人英会話』が、2025年11月29日(土)にKADOKAWAより発売されます。超人たちの熱い言葉を通じて、楽しみながら実用的な英語表現をインプットできます。TOEIC満点保持者やプロレスキャスターなど、豪華プロ集団が監修・翻訳を担当した、ファン必携の英語学習本です。


【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

開催直前!TOKYO MX開局30周年記念「昭和100年スーパーソングブックショウ」が10月16日に迫る。古舘伊知郎と友近がMC、豪華ゲストと共に贈る一夜限りの昭和ベストヒットに期待高まる!


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。