監督から冷遇された日々
ユベントス→ACミラン
ACミラン→インテル
監督にロベルト・バッジョと相性の悪い、マルチェロ・リッピが就任したこともあって、ロベルト・バッジョも起用されなくなり、バッジョも次のシーズンには、ブレシアへと移籍してしまいました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1368167748サッカーで ロベルトバッジョがインテルに移籍するときロナウドとのコンビが見... - Yahoo!知恵袋
インテルへの移籍当時は、ブラジル代表の怪物ロナウドも在籍していました。
「RO-ROコンビ」とも呼ばれ、期待されますが、両選手共に怪我があり、「共演」はわずかな期間で終わってしまいました。
そして、怪我の影響に加え、前述のマルチェロ・リッピ監督との確執がやはり一番の移籍理由であったようです。
最後のワールドカップ・フランス大会
ギリギリで滑り込んだ代表の座
98年、フランスワールドカップのイタリア代表ですが、予選では、ゾラがエ... - Yahoo!知恵袋
ゾラは当時のイタリア代表FWです。
FW陣には、他にもリーガ・エスパニョーラ(スペイン)で得点王に輝いたビエリ、ファンタジスタと呼ばれたデルピエロもいました。
バッジョは本大会直前に代表入りを決めました。
ちなみにそのニュースは日本でも話題となりました。
準々決勝・フランス戦での名言
本大会では、2得点1アシストと好成績を残したバッジョ。
上記の「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」は、彼のサッカー人生が凝縮した言葉であり、今も語り継がれる名言です。
フランスとのPK戦に敗れたイタリアは、三大会連続のPK戦での敗退が確定しました。