懐かしきサッカー日本代表ユニフォームの変遷
今ではワールドカップに行くのも当たり前のような風潮になっている日本サッカー界ですが、1980年代までは、ワールドカップは夢物語で、代表戦でも閑古鳥が鳴く、不遇の時代だった。その時代に日本代表を支えていたユニフォームの変遷を紹介します。

1980年

監督:川渕三郎
メーカー:PUMA
主な選手:原博美、木村和司、田口光久など
当時は東アジアだと、中国代表や北朝鮮代表が1歩リードした存在で、日本は予選でもほとんど勝てない時代だった。
1983年

監督:森孝慈
メーカー:PUMA
主な選手:都並敏史、加藤久、手塚聡など
初めてプロ参加が認められたロサンゼルスオリンピック。まだプロ化されていない日本は、当然のようにカヤの外状態で、アジアからはカタール、サウジアラビア、イラクという中東諸国が出場した。
1984年

監督:森孝慈
メーカー:asics
主な選手:金田喜稔、斎藤和夫、木村和司など
今見ると、某運送業者のユニフォームにも見えなくないモデルですが、アニメ「キャプテン翼」で翼君が日本代表ユニフォームのモデルとなり、着用していたモデルなので人気が高い。

1986年

監督:石井義信
メーカー:adidas
主な選手:木村和司、都並敏史、松浦敏夫など
現在もサプライヤーとなっているadidasに変更。
ファーストモデルは、オーソドックスなadidas三本線のユニフォームだった。

1989年

監督:石井義信
メーカー:adidas
主な選手:井原正巳、長谷川健太、北沢豪など
それまでも青ベースのユニフォームだった日本代表ですが、1988年~1991年までは日の丸に由来する赤をベースカラーにした異色モデル。

1992年

監督:オフト
メーカー:adidas
主な選手:ラモス瑠偉、三浦知良、福田正博など
日本サッカー史に残る「ドーハの悲劇」時のユニフォームがコレ。先進的なデザインで、一番このユニフォームが好きというサッカーファンも多い。
日本サッカー初の外国人監督を招へいするが、惜しくもワールドカップ出場を逃す。
1998年


監督:岡田武史
メーカー:adidas
主な選手:中田英寿、川口能活、岡野雅之など
記念すべき日本代表がワールドカップに初出場した時のモデル。日本サッカー史に残る記念すべきモデルだが、袖部分の炎がダサいと悪評が多かった。
ただ、キーパーモデルはまるでプロレスラーのような派手なデザインで、あまりにも奇抜で衝撃を受けた。
そして現在

そして現在は、今までのブルーより、より深みを増したブルー基調に。また、グラデーションデザインを採用しており、オシャレになっていると言う声もあるが賛否両論ある。
いかがでしたでしょうか?自分はこのユニフォームが好きというマイ日本代表がありますよね。どのユニフォームも、毎回発表されるたびに賛否両論が巻き起こりますが、それもサッカーを愛している人が多い証拠なのだと思います。