イギリス発のネオ・ロカビリーブームに乗るようにしてヒットした「ヒルビリー・バップス」。売れた期間は短かったが、ボーカルの突然の死とともに印象に残るバンドとなった。
また、個人的な思い出として、宮城の死は、彼の生前に某大物アーティストが「日本のロックなんてまだ誰も死んでないじゃないか。まだまだだよ」というような発言していたのとどうしても結びついてしまう。
また、宮城のファンだった小説家折原みとにより、彼をモデルにした「真夜中を駆けぬける」という小説が書かれている。
メジャーデビュー前は硬派なロカビリーバンドだった
メジャーデビューでアイドル化?
忌野清志郎との出会いと楽曲の提供
この頃、ボーカルの宮城は忌野清志郎と意気投合し、セカンドシングル「バカンス」の楽曲提供を受ける。この曲は、のちに宮城の追悼コンサートで「いなくなったヤツよりも残された人のために」という名言とともに清志郎自身によって歌われている。また、忌野清志郎&RAZOR SHARPSのライブアルバム「HAPPY HEADS」にも収録されている。
順調なバンド活動と宮城個人の人気上昇、その裏に付き纏った過密スケジュール、そして。。。
追悼コンサート
再スタート、解散、現在の状況
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