ジュニアヘビー級である渕は鶴田、天龍、三沢、川田らのヘビー級レスラーにメインを任せていましたが、三沢率いるNOAH旗揚げによる選手大量離脱の際には川田と共に全日本に残り、新日本プロレスを巻き込み全日本を守るべく前線でファイトしました。
そんな渕正信選手のデビュー時からの経歴を紐解いてみましょう。
ジャイアント馬場に憧れて全日本プロレス入門
1954年1月14日、福岡県北九州市戸畑区生まれ。身長183cm、体重105kg。血液型はB型。
渕正信 - Wikipedia
海外武者修行で大仁田と大暴れ
実況のアナウンサーが試合前の選手紹介で、長崎出身の大仁田に対して、渕を広島出身と紹介しています。アメリカ人に分かりやすい日本人キャラクターとしてプロモートしていたのでしょう。

若手時代の大仁田と渕
世界ジュニア王者として君臨
渕正信 - Wikipedia
ジュニアの魔豹

世界ジュニアヘビー級王者時代の渕
赤鬼

胸にチョップを受けて真っ赤になる渕
得意技のエグさから付いた異名「地獄の仕事人」
バックドロップ

衰えを見せない渕のバックドロップ
延髄切り
フィスト・ドロップ

トップロープからのフィスト・ドロップ
各種拷問関節技
ラッシャー木村のマイク
新日本との交流
レスラー40周年で僚友だった大仁田とタッグ結成

渕&大仁田タッグ復活!
まとめ
還暦を過ぎて、師匠のジャイアント馬場よりも長い間全日本プロレスのリングに立ち続ける事になった渕正信。彼が「王道の伝道師」と呼ばれていることについて、天国にいる馬場さんも認めてくれているだろう。