
大野俊三
人物
習志野高校卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。
1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。
鹿島では、小柄ながらパワフルで粘り強いマンマークとロングスローでディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。
しかし、1995年のNICOSシリーズよりモーゼルが加入した頃からスタメンから外れる事が多くなった。
1996年に京都パープルサンガへ移籍。
序盤こそは活躍したものの、連敗脱出のためにシーズン中に各クラブから選手を補強していった頃から、再びスタメンから外れる事が多くなり、同年限りで現役を引退した。

鹿島アントラーズ時代
所属クラブ
1983年~1995年 鹿島アントラーズ(住友金属工業蹴球団)
1996年 京都パープルサンガ

京都パープルサンガ時代
個人タイトル
1993年 Jリーグ・ベストイレブン

おそらく左から6番目が大野選手でしょうか?
転換期
'94シーズンは、ジーコが引退して、レオナルドが入団と鹿島アントラーズにとって、転換期となった時期でした。その時期をDFの一人として、見事に支えていました。
ドーハ組

ドーハの悲劇 座り込むラモス
ドーハの悲劇

カズも力が抜けたように座り込んだ
大野俊三
引退後

大野俊三
[サッカー] 大野俊三「鹿島・石井新監督への大きな期待」 | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]

子供にスポーツの楽しさを伝えている
Jリーガーにおける引退後のキャリア形成の困難さが、問題になって久しいです。
そんな中、大野さんのように地域に根差した活動で、元スポーツ選手らしい貢献をしていくのも一つの方法ですね。
それできちんと生活が出来ていければ、モデルとなって、他の引退した選手に希望も与えられるのではないでしょうか。
ちなみに、大野さんは鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人に至るまでに、飲食店の経営や板金屋等を経験しています。
飲食店の経営は失敗し、多額の借金を抱えてしまいます。
しかし、そんな彼を一本の電話が救ってくれたようです。

鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人
サッカー元日本代表:大野俊三は引退後様々な職業に転職 - 雑学情報