
木村和司
80年代・日本サッカー冬の時代

白黒の切頂二十面体・サッカーボール
80年代までの日本サッカーを知っている、あるいは応援してきた方に質問... - Yahoo!知恵袋
☆スター誕生☆

80年代、日本の「背番号10」と言えば、木村和司

横浜マリノス時代
日韓戦でのフリーキック
木村和司と言えば、まずこのシーンを思い浮かべる方も多いであろうシーン。
メキシコW杯・最終予選で、日本のホームに韓国を迎えた一戦。
木村和司が、直接フリーキックを決めた。
ゴール左上隅に決めた会心の一撃!
2-0で負けていた日本にとって、逆転勝利への期待を最も抱かせたシーンでした。
結局、この時の日韓戦(ホーム&アウェイ)で2連敗して、メキシコW杯出場をのがしますが、30年以上経った今も、こう呼ばれています。
木村和司の「伝説のフリーキック」

85年10月の日韓戦。木村和司(右端)のFK
伝説のフリーキックって知っていますか?|気になることを調べてみましょう

フリーキックの名手 木村和司
木村和司のフリーキック

1986年 木村和司のユニフォーム
日本国内初の「プロ」サッカー選手

スーツ姿
サッカーオールドファンの方にお聞きします。日本国内でプロ1号は木村和司... - Yahoo!知恵袋
当時、ブンデスリーガ(ドイツ)で、プロとして活躍していた奥寺康彦とは、年棒では大差があったそうです。
エース

サッカーマガジン 1984年
No113 木村和司 愛された男 | サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト
※5:28秒位からの日本リーグ選抜の木村-ラモス-五十嵐-木村の流れは非常に綺麗です。
木村のドリブルからのゴールもかなりレベル高いです。
Jリーグ開幕までの日本サッカーを支えてきた盟友

Jリーグが開幕
中日スポーツ:5・15 J誕生20年 ラモス氏に聞く 満員の国立「幸せ感じた」:蹴球探訪(CHUNICHI Web)

読売の10番・ラモス瑠偉(左)と日産の10番木村和司(右)
この二人のように10番同士の好敵手が数多くいれば、選手のレベルアップと同時に観客にとっても楽しみが増えますね。
木村和司のように人を呼べるプレーヤーが、もっともっと現れる事を願っております。