2024年9月3日、敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で死去したとの報道がされました。元祖オカマタレント「おすぎとピーコ」のメガネをかけているファッション評論家が「ピーコ」です。
映画評論家のおすぎは一卵性双生児の弟で、ともにデビュー時から同性愛者であることを公表し、タレント・コメンテーターとして、1970年代~2010年代までと幅広く活躍されていました。
なんと「おすぎ」も「ピーコ」も名付け親は永六輔さんです。“ピーコ”の名は、サンヨーレインコート時代の倉庫での作業時のお喋りが多く、「ピーピーうるさいぞピーコ!!」と言われたことから付けられたそうです。
おすぎとピーコでもレコードを出していました
なんと「おすぎとピーコ」名義でもアルバムを発売したことがあったのです。
そのアルバムとは、『ザ・パーティー』(1979年/CBSソニー)です。もちろんアナログレコードのアルバムなので、レコードでの発売となっており、未だCD化はされていない幻のアルバムとなっています。
肝心な中身はと言うと、1979年インペリアルグランドホテルで開催されたおすぎとピーコ35歳の誕生パーティーの実況を録音したアナログ盤です。
司会進行は久米宏で乾杯音頭は大島渚と豪華有名人が目白押しで、当時からの「おすぎとピーコ」の交友関係の広さに驚かされます。
金子マリ & バックスバニーの演奏をバックに二人がひたすらお喋りするショー形式で構成されていて、酔っ払いすぎの西田敏行や大屋政子&小森のおばちゃま軍団、さらには藤竜也、吉行和子、稲川淳二、松島トモ子などなども登場するバブル時代の先取りを感じるアナログ番となっています。
ジャケットイラストは和田誠が描いておりますので、お家のインテリアとしてもお洒落な一枚となっています。「おすぎとピーコ」フリークの方は、是非お買い求めください。
シャンソン歌手としての「ピーコ」
ピーコさんは、ファッション評論家やタレントとして広く知られる一方、シャンソン歌手としても活動していました。彼女の歌声は「癖のない、伸びやかな歌声に情感がこもる」と評価されており、技巧に頼らず素直に歌うスタイルが特徴的でした。
おすぎとピーコの2人と交流があった歌手の美川憲一がシャンソンを歌ったことに対して、テレビ番組でおすぎから悪態をつかれたこともあったが、シャンソンをはじめたピーコが美川憲一のもとを訪れ、おすぎの言動について謝罪したことで、美川憲一は二人を許しピーコを激励したとのエピソードも。
2004年にはアルバム『恋は一日のように~ピーコ シャンソンを歌う』をリリースし、シャンソンの名曲をカバーしています。このアルバムは、パリの街並みを思い起こさせる趣があり、リスナーからは「とても趣があります」との声が寄せられています。
また、ライブ活動も積極的に行い、シャンソンの名曲「愛の讃歌」を情感たっぷりに歌い上げ、観客から大きな拍手を受けるなど、その歌唱力が高く評価されていました。
CD発売時のピーコのコメント
ピーコ / “恋は一日のように”〜ピーコ シャンソンを歌う - CDJournal
2004年発売されたアルバム『恋は一日のように~ピーコ シャンソンを歌う』にはシャンソンの名曲を歌い上げるピーコの歌声が収録されています。
収録曲は、ゲンズブールの曲でレジーヌの『小さな紙片』、ルグランの曲でニコレッタの『想い出のサンジェルマン・デ・プレ』、アズナヴールの名曲『恋は一日のように』、バルバラの名曲『いつ帰ってくるの』、モーリス・ファノンの『スカーフ』、アラゴンの詩でモニック・モレリの『過ぎ去りし青春の日々』、など、シャンソンの名曲が収録されています。
日本おいてシャンソンの意味するフランスの流行歌という感じではなく、詩人が詩を読むかの如くに語り掛けてくるような歌い方で、ピーコさんの人柄が偲ばれるアルバムとなっています。シャンソンに触れたことがない方にも是非聞いて欲しい1枚です。
2024年12月にデジタル配信が解禁されました!!
ファッション評論家・ピーコ、シャンソン歌手としてリリースした楽曲が2024年12月11日にデジタル配信解禁されました。今回、配信解禁されたのは、シングル「逢いびき/別れの詩」、アルバム「恋は一日のように~ピーコ シャンソンを歌う」の2作品です。
同日、シングル曲「逢いびき」のMVも公開されましたので、ご興味ある方もそうでない方も、是非一度ご覧ください。
ピーコ

アルバム「恋は一日のように~ピーコ シャンソンを歌う」

シングル「逢いびき/別れの詩」