【高橋慶彦】広島カープ黄金時代を支えた俊足好打のスイッチヒッター

【高橋慶彦】広島カープ黄金時代を支えた俊足好打のスイッチヒッター

1970年代~80年代の広島カープ黄金期に背番号2をつけて不動の1番打者としてカープを牽引した”切り込み隊長『高橋慶彦』の現役時代と現在についてを調べてみました。


「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得した高橋慶彦

1957年3月13日生まれ
身長176cm、体重75kg
右投げ両打ち
ポジション:遊撃手、外野手

広島カープ黄金期の切り込み隊長として、球界にその名を轟かせたスター選手。
「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得し、福本豊の後継者とまで謳われた。
さらに33試合連続安打の日本記録を打ち立てた。

高橋慶彦(たかはし よしひこ)

高橋慶彦の獲得タイトル・主な表彰と記録

盗塁王:3回 (1979年、1980年、1985年)
ベストナイン:5回 (1978年 - 1980年、1983年、1986年)
月間MVP:1回 (1979年7月)
日本シリーズMVP:1回 (1979年)
日本シリーズ打撃賞:1回 (1979年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1984年)
日本シリーズ3試合連続盗塁(1984年) ※シリーズ記録
33試合連続安打(1979年6月6日 - 7月31日) ※日本記録
通算初回先頭打者本塁打34本(表13本、裏21本) ※歴代3位
セ・リーグ通算初回先頭打者本塁打32本(表12本、裏20本) ※歴代2位

オールスターゲーム出場:6回 (1979年、1980年、1983年 - 1986年)

高橋慶彦のプレースタイル

スイッチヒッターとして打率3割を5度、20本塁打以上を4度記録し、33試合連続安打という日本記録まで樹立した『理想の一番打者』と言われている。
また、盗塁王を3度獲得した俊足は福本豊の後継者とまで謳われたほどである。

俊足・好打の『理想の一番打者』

積極的に次の塁を狙うため盗塁死も多く、通算477盗塁は歴代5位の記録だが通算206盗塁死は福本豊の299に次いで歴代2位であり、広島・阪神時代に記録した通算202盗塁死はセ・リーグ記録である。
また、1983年には70盗塁を記録するものの、28盗塁死を喫しており、これがシーズン盗塁死のセ・リーグ記録となっている。
また、この年は読売ジャイアンツの松本匡史が76盗塁を記録して盗塁王を獲得しており、70盗塁は盗塁王を逃した記録としては、現在に至るまで最多記録である。

広島に臨時コーチで来た山内一弘のレベルスイングを1983年に取り入れ本塁打を20本台へと増加させるが、一方で打率が下降し三振も増加した。
これに関してはフォーム改造・本塁打増との因果関係も囁かれ(高橋本人は否定)、チームメイトの衣笠祥雄は安打だけを狙っていたら3000本安打を達成していたかもしれないと後年語っている。

高橋慶彦の生い立ちとプロ入りまで

広島カープでプロ入り後、猛特訓でスイッチヒッターに

高校時代はエースで4番の高橋だったが入団後間もなく打者に転向、ジョー・ルーツ監督の指令でスイッチヒッターとなるべく山本一義打撃コーチと共に猛特訓を開始。

朝から晩までバットを振り続け、食事時や寝る時もバットを手離さず、これで体を壊さないのが不思議なほどだと言われていた。
身長176cmとプロ野球選手としては決して恵まれた体格ではなかったが、この並外れた練習量とウエイトトレーニングで実力をつけ、1978年からレギュラーに定着。
1970年代後半から1980年代の赤ヘル黄金時代に、1番打者として活躍した。

ジョー・ルーツの後を継いだ古葉竹識監督の下、「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得。
1979年には33試合連続安打の日本記録を打ち立てると、同年の日本シリーズでは全7試合で安打し、打率.444を記録、MVPに輝いた。

甘いマスクで元祖カープ女子をメロメロにした高橋慶彦

広島カープにおいて数少ない全国区の知名度を持った選手で小説家・村上龍が高橋をモデルに書いた『走れ!タカハシ』はベストセラーとなっている。

Amazon.co.jp: 走れ,タカハシ! (講談社文庫): 村上 龍: 本

ヨシヒコが走るとき、何かが始まり何かが終わる。「ファーストベースにヘッドスライディングしてもそれが様になる日本でも珍しいプロ野球選手」と著者が激讃する広島カープ高橋慶彦遊撃手の輝ける肉体を軸に、野球を楽しむ普通の人々を配した軽快な短篇集。時代を駆け抜ける爽やかな風とともに贈ります。

甘いマスクで女性人気も高く、歌手としてシングルレコードを4枚も出している。

君の声が聞こえる/青春の1ページ(1980年発売)
うわさのセクシークイーン/ハッピーナイスデイ(1981年発売)
僕の世界へ/君の声がきこえる(1982年発売)
鏡の中のメモリー/想い出は風のように(1982年発売)

ビクトリー(1984年4月1日発売。メインボーカルは細川たかし、高橋は原辰徳・岡田彰布・宇野勝・遠藤一彦・荒木大輔と共にコーラス参加。

高橋慶彦/鏡の中のメモリー

高橋慶彦の人柄について

人なつっこく明るい性格で、交友範囲が広かった。
ビートたけしや浜田省吾など、仕事で広島に訪れる有名人を「今日飲みましょう」と誘い、広島の歓楽街・流川で飲み歩く姿が度々目撃されていた。
昼は真っ赤なポルシェを乗り回し、遊び人としても有名で、叶和貴子など芸能人との噂も多かった。
そのため「夜も盗塁王」などと揶揄されたこともある。

その一方で、スイッチヒッター転向のエピソードにもうかがえるように「練習の虫」と名づけられるほどの努力家でもあり、足を故障したときもバッターボックスに椅子を置きそれに座ってフリーバッティングをしていたり、付き合っている女性のマンションにバットを持ち込んで夜中に素振りを繰り返していたとの伝説がある。

若手の頃から首脳陣や先輩にも臆することしなく堂々と意見をぶつけていた。
後年現役時代を振り返り、「自分は減らず口ばかり叩いてきたから、ベテランになれば出されるのは覚悟していた」と語っている。
江夏から若い時の自分に性格が似ていると言われたことがあり、「生意気で目上の人にも臆さずものを言うから(トレードに)出されたけど、なんでもハイハイ言うてる性格ならお互いプロでここまで活躍できてないのじゃないか」と言われたときはなるほどと納得したという。

従兄弟として、俳優で歌手の高橋良明と歌手・高橋知秀の兄弟がいる。
しかしながら、高橋良明はバイク事故のために16歳で死亡、また高橋知秀も後年の交通事故によって芸能活動から退いている。

1987年、球団フロントと対立し出場停止に。

開幕2日前、地元のテレビ局主催のファン参加による「カープ激励の夕べ」が予定されていた。 地元開幕戦がナイターになるため、夜間も練習したいと前から話していた高橋は球団フロント幹部の一人、上土井球団部長に抗議した。 それを聞いた松田元オーナー代行が「そんなに嫌なら出なくていい!」と激怒。 高橋は番記者に「このチームは勝つつもりがあるのか、優勝したいのか」と強い口調で言い残し球場を出て行った。 球団は造反行為を重く見て、2週間の謹慎を命じ、1軍登録を抹消。 2軍戦の出場も認めず、球団施設での練習さえ許さなかった。 3年連続全試合出場が絶望となった広島一の人気選手への厳しい処分にファンからの抗議電話が殺到し、練習だけは施設利用を許可したが、その間にもトレードだ、最悪引退だなどさまざまな憶測が流れた。 4月26日、広島でのヤクルト2回戦で「1番・遊撃」で復帰。 いきなり右前打を放つなど2安打。慶彦ここにあり、といったところをファンにアピールし、終わってみれば打率2割8分1厘を残し、盗塁も28個を記録した。 しかし、以前から歯に衣着せぬ物言いで誤解を招くこともあった高橋は、この造反がきっかけでトレード要員に名前が挙がるオフが続くようになった。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09april/KFullNormal20090401159.html

スポニチ Sponichi Annex

1989年、ロッテへ電撃トレード

1989年、高橋は打率が2割6分7厘に落ち、自慢の足も衰え盗塁は13個止まりで終わった。
さらに入団した同ポジションの野村謙二郎の台頭もあって、1899年のオフ、高沢秀昭・水上善雄との大型トレードで、白武佳久・杉本征使と共にロッテ・オリオンズへ移籍した。

応援歌は、歌詞を広島時代の「行くぞ狙いは盗塁王」から「飛ばせロッテの核弾頭」などに変更しただけでほぼそのまま流用された。前奏も広島時代より『必殺仕事人のテーマ』が使用された。

トレード会見時の高橋慶彦

ロッテ~阪神では大きな活躍をできず現役生活を終えた。

ロッテでは金田正一監督の下、遊撃手より外野手として期待されマイク・ディアズらと中軸を組んでいた。
しかし、既に全盛を過ぎており思うような成績を挙げることができなかった。

1990年オフに遠山奬志とのトレードで阪神タイガースへ移籍。
しかし成績は前年よりも悪化し、1992年には久慈照嘉の入団により出場の機会が激減、その年限りで現役引退した。

現役引退後の高橋慶彦

引退後はアール・エフ・ラジオ日本解説者を経て、1995年から1996年まで福岡ダイエーホークスの一軍打撃・走塁コーチ、1997年は二軍守備・走塁兼打撃コーチを務めた。
選手の起用法を巡ってバッテリーコーチの達川光男と対立、広島時代から折り合いがよくなかったが選手が目を丸くするほどの揉み合いし、達川は体調不良を理由に1年で退任した。
村松有人や浜名千広ら、後のホークスを支える若手を育成した。

ダイエー退団後は、1999年から2001年までは九州朝日放送(KBC)[5]・2002年から2003年頃まではCS系テレビの解説者を務める傍ら、2000年から2003年までスポーツニッポン(福岡)野球評論家を務めた。その一方、フジテレビの番組『奇跡体験!アンビリバボー』にて、ガーナでの野球の普及活動に力を注いだ。

2004年、シーズン途中に千葉ロッテマリーンズの一・二軍巡回コーチへ招聘された。
2005年より正式に一軍走塁コーチとなり、自身と同じスイッチヒッターの遊撃手である西岡剛を一人前に育てるなど、チームの日本一に貢献した。
一軍打撃コーチ(2008年 - 2009年)を経て、2010年より二軍監督を務め、同年にイースタン・リーグ優勝(4年ぶり8度目)及びファーム選手権優勝(二軍日本一)に導く。
2012年は一軍ヘッドコーチを務めたが、10月15日付で球団から退団を通知される。

2012年、福島県郡山市の宅建業者、ウェルズホームに入社し、広報部長を務める。

2013年1月7日から3月7日まで東京スポーツ紙上で『赤ヘル機動力野球の申し子 高橋慶彦 赤い疾風伝説』(月曜日 - 木曜日発売分)を連載していた。

2013年には映画『ダイヤモンド(製作:オールインエンタテインメント、監督:本間利幸)に主演した。
同年9月22日に日本テレビで放送された番組『有吉反省会』に出演した際「映画の主役に抜擢されたが、その演技がひどすぎる」と反省した。

また、2014年からテレビ新広島(TSS)・中国放送(RCC)などで野球解説者としての活動を再開したが(本数契約)、社業などのスケジュールの都合からTSSでの初回出演予定は金石昭人に変更となった。また、その他では広島ホームテレビ(HOME)等在広局の番組にも時々出演していた。

2015年10月15日に2016年からオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが発表された。

高橋慶彦が経営している『Dining慶彦』

2014年12月8日 広島市胡町にステーキと洋食の店「ダイニング慶彦(Dining慶彦)」をオープンさせた。

Dining慶彦

Dining慶彦 (ヨシヒコ) - 胡町/洋食 [食べログ]

独特な表現のTwitterで注目されている

この愛らしいツイートに反響が続々…

そんな指摘に対して、高橋慶彦さんは

気さくで楽しい高橋慶彦さんのTwitter
これからも注目です!

関連する投稿


【追悼】金田一少年の事件簿などの声優で俳優の『松野太紀』!!

【追悼】金田一少年の事件簿などの声優で俳優の『松野太紀』!!

2024年6月27日にショッキングなニュースが入ってきました。主な出演作品は、『金田一少年の事件簿』『ブギーポップは笑わない』等々数々の作品に登場されていた声優で俳優の松野太紀さんがお亡くなりになりました。今回追悼の意味も含めてまとめてみました。


横浜DeNAベイスターズ(当時)の山口俊投手と結婚した『高木加織』現在は〇〇のオーナー!!

横浜DeNAベイスターズ(当時)の山口俊投手と結婚した『高木加織』現在は〇〇のオーナー!!

1999年第4回「ミスヤングマガジン」で当時中学2年生で準グランプリを獲得し芸能界入りした高木加織さん。2005年頃からメディアで見かけなくなり現在は〇〇だと言う・・・。


ドラマ「新・天までとどけ」では河合竜夫役を演じた『並川倖大』現在は引退され〇〇だと言う・・・。

ドラマ「新・天までとどけ」では河合竜夫役を演じた『並川倖大』現在は引退され〇〇だと言う・・・。

女優の奈美悦子さん息子でドラマ「新・天までとどけ」では河合竜夫役を演じた並川倖大さん。2008年末に芸能界を引退し現在は〇〇だと言う・・・。


Vシネ「スターヴァージン」では甲冑風のビキニに身を包み注目を浴びた『黒木永子』!!

Vシネ「スターヴァージン」では甲冑風のビキニに身を包み注目を浴びた『黒木永子』!!

1985年のデビューからドラマや映画・Vシネマ・グラビアアイドル等、幅広く活躍していた黒木永子さん。1990年を最後に目立った芸能活動は行っておらず、芸能界を引退したと思われます。懐かしく思いまとめてみました。


映画「 がんばっていきまっしょい」で中崎敦子(ヒメ)役で注目を集めた『 清水真実』引退・結婚・お子さん!!

映画「 がんばっていきまっしょい」で中崎敦子(ヒメ)役で注目を集めた『 清水真実』引退・結婚・お子さん!!

1990年のデビューから女優として活躍され映画「がんばっていきまっしょい」で注目を集め、他にも多数の映画やドラマで活躍していた清水真実さん。2004年に芸能界を引退されました。懐かしく思いまとめてみました。


最新の投稿


あの「デュード」がスクリーンに帰ってくる!『ビッグ・リボウスキ』全国リバイバル上映が決定

あの「デュード」がスクリーンに帰ってくる!『ビッグ・リボウスキ』全国リバイバル上映が決定

Filmarksのリバイバル上映プロジェクト「Filmarks 90's」第16弾として、コメディ映画の金字塔『ビッグ・リボウスキ』が2026年5月29日より2週間限定で全国公開されます。誤解から始まる騒動に巻き込まれながらも、マイペースを貫く男「デュード」の脱力系スタイルを劇場で体感する貴重なチャンスです。


祝6周年!「G-MODEアーカイブス」特別生放送が4月16日に開催、待望の新作も世界初公開へ

祝6周年!「G-MODEアーカイブス」特別生放送が4月16日に開催、待望の新作も世界初公開へ

ガラケーの名作を復刻する「G-MODEアーカイブス」が6周年!4月16日に開催される特別生放送では、ゲストにレトロゲームアイドル・村下小粒さんを迎え、ファン待望の「新作タイトル」を世界初公開します。デジタル遺産の保存に情熱を注ぐプロジェクトの節目を祝う、一夜限りの豪華放送の見どころに迫ります。


『To-y』連載40周年!上條淳士展示会「To-y ~帰郷~」が聖地・軽井沢で開催決定

『To-y』連載40周年!上條淳士展示会「To-y ~帰郷~」が聖地・軽井沢で開催決定

漫画家・上條淳士氏の代表作であり、音楽漫画の金字塔『To-y』。連載開始40周年を記念し、2026年4月27日より「SHARE LOUNGE 軽井沢T-SITE」にて展示会「To-y ~帰郷~」が開催されます。主人公・藤井冬威の故郷である軽井沢での初展示。貴重な原稿の公開や浅田弘幸氏を迎えたトークイベントなど、ファン必見の内容を詳しく紹介します。


昭和100周年の「昭和の日」に!懐かしのパッケージで楽しむ大人の辛口ベビースターが限定登場

昭和100周年の「昭和の日」に!懐かしのパッケージで楽しむ大人の辛口ベビースターが限定登場

2026年の「昭和の日」に合わせ、おやつカンパニーが『ベビースターラーメン(辛口スパイシーチキン味)』を発売。1959年の誕生当時をイメージした昭和レトロな復刻パッケージが、かつての子供たちを「あの頃」へ誘います。おつまみにも最適な、大人向けの刺激的な味わいと懐かしさが融合した一冊です。


祝50周年!合身ロボの先駆け『UFO戦士ダイアポロン』記念コレクションが金きゃらじゃぱんに登場

祝50周年!合身ロボの先駆け『UFO戦士ダイアポロン』記念コレクションが金きゃらじゃぱんに登場

日本初の合身ロボットアニメ『UFO戦士ダイアポロン』の放送50周年を記念し、金きゃらじゃぱんから豪華コレクションが4月に限定発売。純金カードやメモリアルメダルなど、ファン垂涎のアイテムが勢揃い。半世紀の時を超えて蘇る「アポロン・ヘッダー」たちの勇姿を、一生モノの輝きと共に手に入れるチャンスです。