石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録を破り、井上康生、鈴木桂治、棟田康幸とのライバルに競り勝って北京オリンピックに出場し、金メダル獲得。「屁のツッパリにもなりません」「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ない」


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国士舘大学柔道部は103名。
朝練2時間、16~19時までの午後練がノルマ。
午後練習は、練習前のウォーミングアップはアップテンポな音楽が流れ、部員達はそれに合わせてモチベーションを上げ、そこから3時間以上、練習。
石井慧は、その後、夜の2時間のウエイトトレーニングも日課とし、ときに警視庁や他大学、片道2時間ほどかかる小川直也(バルセロナオリンピック95kg超級銀メダリスト)の小川道場へ出稽古。
「小川選手とは明治大学の出稽古で一緒に練習したときに『自分の柔道と似ている』と声をかけてもらったことがあって。
柔道現役時代の小川選手のビデオをみていると確かにそうだと思いました。
自分には瞬発力はないけれども、スタミナのある小川選手のような柔道を目指そうと思いました」
そして日曜日は必ず休み、読書やゲーム、買い物や寺社めぐりを行った。

国士舘大学の義方寮で石井慧の部屋は二間あり、1つは生活空間、1つは儀式の部屋となった。
儀式の部屋は、高校時代、1つだった神棚が2つにグレードアップし、像、絵、書などさまざまなものを
「神様同士がケンカをしないように」
配列。
自分はもちろん、両親、先輩、後輩にも
「入るときと出るときに失礼しますといってもらっていいですか」
と礼を求め、先輩がなにかの拍子で榊(サカキ)を押してしまったとき
「何してんの」
と声を荒げ
「どう?
曲がってない?
もっと右?」
とミリ単位で修正し、先輩がクシャミをすると神様にツバがかからなかったか心配。

儀式の部屋の壁にナポレオン・ヒルの言葉と共に貼られた仏画は、清風学園時代に柔道部の部室に張られてあったもので作者は柔道部OB。
毘沙門天の石像は、八王子の宝生寺でもらったもの。
石井慧は、清風時代の仏教教育の影響か、戦国武将の上杉謙信を崇拝。
柔道着には、「刀八毘沙門天王」の刺繍を縫いこんだ。
刀八毘沙門天王は、戦国武将の上杉謙信が、自身がその生まれ変わりと信じた神様の名前。
三面十臂像、四面十二臂像など様々あるが、刀を8本持って獅子に乗り、頭上に如来を頂く像が多い。
「謙信はあの時代、周囲の武将が血気盛んに天下取りを目指していた中、世の平静のことも考えた。
その余裕がすごい」
寮で「戦国無双」というアクションゲームをやるときは、必ず上杉謙信を選択。
「武将たちには今にないカッコよさがあります」
と一見古風な日本男児だが聴く音楽はレゲエ。
「特にKEN-U(東京を中心に全国で活躍する日本人シンガー)が好きです。
ウォーミングアップのときに聴くと燃えてきます」

読書もし、歴史小説からアスリートが書いたエッセイまで幅広く読み、中でも他競技のアスリートが書いた本には参考になるという。
「イチロー選手の「夢をつかむイチローの262のメッセージ」を読んでいてハッとさせられることがありました。
普段うまくいっている人が急にうまくいかなくなったら人は精神的にアカンかったのか、疲れがたまっているからだと思いがちです。
でもイチロー選手は技術がダメだったからだと書いていたんです。
これはシビアに響きました」
お菓子やジャンクフードはまったく口にせず、プロテインをはじめとするサプリメント、卵の白身や納豆にハマるなど強くなるため、勝つための食事の研究と実践に余念がなかった。
例えばミキサーに
・生卵4個
・ハチミツ
・レモン果汁
・豆乳
・ピーナツバター
・牛乳
・バナナ1本
・オリーブオイル
・プロテイン
を入れた特製プロテインは
「オリーブオイルは良質なリンパ液を増やすので、ちょっとたらすだけで全然、違うんです」
という。
健康意識も高く、あるとき父、義彦が電話が出ると、石井慧は困った様子で
「お父、義彦さん、今、人が吐いたタバコの煙吸ってしまった。
背が止まってしまう」
といった。
儀式の部屋の部屋でプロテインの粉をこぼしてしまったときは水で濡らしたティッシュで丁寧にふき取ったが、先輩の部屋でこぼすと水をかけて指で踏んで消そうとし、
「お前、そのプロテインはどこにいくねん」
と怒られた。

月8万円を仕送りを受け、
「貯金が趣味」
という石井慧はマメに貯金通帳の残高をチェックし、ハム&ご飯など低予算で効率良く栄養を摂取。
一方、後輩と行きつけのトンカツ屋にいくと巨大エビフライ2本、大盛りしょうが焼き、そしてビールをグビグビと飲み、豪快にオゴった。
当初、アルコールは
「酒はポイズン」
といってまったく飲まなかったが、やがてONとOFFを切り替えたり、気分転換するための重要アイテムとなり、酒や肴について描かれる漫画「酒のほそ道」にもハマり、そこで学んだウンチクを語りながらガバガバ飲んだ。
そしてお金がなくなると実家に
「なんか忘れてへんかな?」
「そろそろかな、生活費」
などと催促メール。
1度に渡すとすぐに使ってしまうことに気づいた母、美智子、美智子は、4万円を2回に分けて送金。
すると石井慧は
「母、美智子上、慧はつらく大変な思いをしております」
などと
「父、義彦上」
「母、美智子上」
「パパ」
「ママ」
と呼称を巧みにコントロール。
祖母、淑子には
「伏見警察のものですが・・・」
とオレオレ詐欺風に電話。
「慧やろ。
どうしたん?」
と見破られると
「おばあちゃんも大変やろうけど、イマドキの大学生に5000円はないわ」
と開き直り、母方の祖母が亡くなったときは
「おばあちゃん、僕には世界でおばあちゃんがたった1人になってしもうた。
だからお小遣いください」
ととおねだり。

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2006年4月、全日本選手権の準決勝で大学2年生の石井慧は、時間稼ぎをするような勝ち方をしてしまい、斉藤仁に
「あんなのはお前の柔道じゃあないだろう」
と渇を入れられ、
「殺されるかと思った。
出来ればやり直したい」
と気持ちを入れ替え、決勝戦では、国士舘大学の先輩であり、アテネオリンピック100kg超級金メダリストの鈴木桂治と対戦。
両者ポイントが奪えないまま時間が過ぎていき、旗判定では鈴木桂治有利かと思われた残り6秒、石井慧が大内刈りで有効をとり、勝利。
山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録、19歳10ヵ月を19歳4カ月に更新した。
山下泰裕は公式戦559戦528勝16敗15分。
その勝率は、9割7分2厘。
203連勝、外国人無敗という記録も持つ上、非常に1本勝ちが多い柔道家だった。
180cm、128kgのナチュラルな体型で、キャラは真面目。
石井慧は、アスリート的な肉体を持ち、1本勝ちが少なく、笑いをとるためなら嘘もいとわない極度のお調子者。
しかし山下泰裕も
「柔道はルールあるケンカ」
といっており、ハードな闘争心の持っている点では完全に一致していた。
「山下さんが生きているうちに(連勝)記録を抜きたい」
(石井慧)

石井慧の妹、愛は、東京女子体育大学に進学。
石井慧は同じ東京にいる妹に
「困ったことがあったらお兄ちゃんにいいや」
と電話。
妹、愛は、仕送りを大事にしながら、つつましく生活を送ったが、あるとき
「お兄ちゃん、ピンチ。
ご飯食べさせて」
と電話。
すると
「アカン、明日からヨーロッパ遠征や。
(ガチャンッ!ツーツーツー・・・)」
あるとき海外旅行のいくことになった妹、愛は、お小遣いもらうために兄のところへ。
「ミナミの帝王」の竹内力が好きな石井慧は、
「トイチ(10日で1割の金利)やぞ。
取立ては厳しいおまっせ」
といいながら10万円を渡し、トイチの意味がわからない妹は、
「エッ、くれんの」
といってもらった。
そして妹は大学在学中、水球のゴールキーパーとして日本一になった。

2007年4月29日、嘉納杯があり、全国10地区の代表と前年優勝の石井慧、準優勝の鈴木桂治、そして推薦2名を加えた37名が出場。
前年、史上最年少優勝を果たした石井慧の2連覇か?
鈴木桂治が王座奪回か?
大胸筋腱断裂という大ケガを負って、同大会3年ぶりの出場となる井上康生の復活か?
棟田康幸 の初優勝か?
役者と話題は揃い、日本武道館は3階席まで埋まった。
大学3年生の石井慧は、1~3回戦まで技でポイントが奪えず、苦戦しながら準決勝に進出。
相手は、初対戦となる井上康生だった。
石井慧は左組、井上康生は右組のため、互いに釣手は取れるが、引き手 が取れない。
石井慧は、下から握った釣手のみで体落を連発し、数度、井上康生を腹這いにさせた。
一方、井上康生は、内股を狙い続け、そのスピードと破壊力に、石井慧は、両手を放して反撃を放棄しながらなんとかしのいだ。
そして井上康生の攻撃の機会を与えないように必死に攻め、旗判定で勝利。
しかし勝つために相手と極力組まない姿勢や片手での体落は「かけ逃げ」と批判された。

決勝戦の相手は、鈴木桂治。
初戦、大藤尚哉に小内刈から小外刈の連続技で1本勝ち。
続く穴井隆将は判定勝ち。
準々決勝の高井洋平は、小外刈,小内刈で有効2つをとって勝利。
準決勝の相手は、棟田康幸に勝った125kgの片渕慎弥だったが、開始28秒、小内刈りで1本勝ち。
キレのある足技で5年連続となる決勝進出を果たした鈴木桂治-は、2連覇を狙う後輩、石井慧に対し、小外刈などの足技に加え、大外刈、内股と浅いながらも技をしかけ た。
石井慧は、終始、腰を引いた姿勢になり、組際に双手刈や朽木倒などを試みた。
残り1分、石井慧は片腕で背負投げ。
鈴木桂治-は、それを上から潰して寝技で入り、そのまま試合終了。
判定で鈴木桂治が勝利し、2年ぶり3回目の優勝を果たし、石井慧は2位。
この大会は5ヵ月後に行われるブラジル世界選手権の代表選考会も兼ねていたが、石井慧は選ばれなかった。
2007年9月、ブラジル、リオデジャネイロで世界選手権が行われ、男子は73kg以下級の 金丸雄介の銅、無差別級の 棟田康幸の金とメダルは2つのみに終わった。
2007年12月9日、北京オリンピック代表選考会の1つ、嘉納杯の100Kg超級決勝で石井慧は、ブラジル世界選手権5位の井上康生に優勢勝ちし、初優勝。
3日後の12日、国際合宿が都内で行われ、石井慧は井上康生らと共に参加。
翌年2月のオーストラリア国際、3月のカザフスタン国際への出場が決まっている石井慧は、午前、午後の2部練習で汗を流し、世界王者のテディ・リネールとも激しい乱取りを行った。

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2008年1月、井上康生が東原亜希と結婚。
石井慧は、
「井上先輩はきれいな奥さんにおいしいご飯をつくってもらってますけど、僕は学食。
ハングリーさで負けません」
とコメント。
2月、オーストリア国際100kg超級に出場。
1回戦、高校3年生時に隅返で負け、前年の世界選手権無差別級、銀メダルのユーリ・ルイバク(ベラルーシ)ルイバクに大内刈りで1本勝ち。
2回戦から準決勝までオール1本勝ち。
決勝で世界選手権、銅メダルのピエール・ロバン(フランス)に優勢勝ちし、優勝。
3月、カザフスタン国際100kg超級で石井慧は、3試合オール1本勝ちで優勝。
嘉納杯、オーストラリア、カザフスタンと3大会連続優勝という強烈なインパクトを与えた石井慧は、
「自分の可能性に対する自信しかない」
井上康生、棟田康幸ら同階級のライバルに対し、北京オリンピック代表争いに名乗りを上げた。
カザフスタン国際の後、1週間にわたって行われた韓国合宿は
「速い組み手」
をテーマに2003年の90kg級世界王者、黄禧太(ファン・ヒテ)の指導を受けた。
黄禧太は、強引でアグレッシブな柔道を行い、立ち姿勢から倒れ込みながらのわき固め、相手の脚を掴んでの小内巻込などギリギリの技も使うため、反則負けが多い柔道家だが、石井慧は好きで、よく試合の映像をみていた。


しかし2008年3月25日、石井慧は練習中に左大殿筋を断裂。
北京オリンピック代表選考会でもある全日本選抜柔道体重別選手権大会は欠場となり、オリンピック出場に赤信号。
4月5日、その全日本体重別では、

60kg級 平岡拓晃
66kg級 内柴正人
73kg級 金丸雄介
81kg級 小野卓志
90kg級 泉浩
100kg級 鈴木桂治
100kg超級 井上康生

が優勝。
石井慧は、
「気づいたら屋上の上に立っていて死のうと思っていた」
という。
しかしこの後、
「対戦したことがない。
代表合宿でも乱取りをしてくれない」
という棟田康幸や、
「五輪世界全日本と3冠を達成したスターで尊敬してやまない先輩。
初めてみたときからどうしたらあんなにみんなに好かれるのだろう、どうしたらあんなに八方美人になれるのだろうと自問自答をくりかえしてました」
という井上康生に対し、異例のアポなし出稽古を慣行。
そして断られ、
「自信を取り戻した」
という。

4月29日、全日本選手権で大学4年生の石井慧は、準決勝で北京オリンピック代表争いで一歩リードされている世界選手権金メダリスト、棟田康幸と対戦。
自分より体重は重いが背は低い棟田康幸に対し、
「間合いを取り、懐にもぐり込ませず、焦りを誘う」
「組み手で負けないように、攻め手で負けないように、先、先に動く」
という作戦を立てて実行。
攻められない棟田康幸は「注意」をもらい(有効を奪われ)判定負け。
全日本柔道連盟強化委員長、吉村和郎は、
「自分で状況を判断して組み手を変えないと。
相手に合わせてしまった。
勝負への執念で甘さがあった」
とい棟田康幸の戦い方に柔軟性を欠いていたことを指摘した。

決勝戦は、3年連続で、石井慧 vs 鈴木桂治。
国士館大学ではメンタルトレーニングの一環で、試合前にプリントが配られ、様々な設問に答えて提出。
その中には
「1回戦はどうするか?」
などという設問もあり、心構えや作戦を記入しなければならない。
決勝の欄に、鈴木桂治と当たると予想していた石井慧は、
「監督が(鈴木桂治)にしゃべるかもしれないので書きません」
と記入。
後で山内直人監督に呼ばれ、
「お前、なんだ。
俺が鈴木にいうとでも思っているのか」
と怒られた。
しかし決勝の畳に向かうと山内直人監督が鈴木桂治の背中を叩いているのを目撃し、
(やっぱり書かなくてよかった)

試合開始後、石井慧は一気に前に出て気迫をみせ、体格で優る鈴木桂治は後退し、防戦に回った。
30秒、
「闘争心が足りなかった」
という鈴木桂治が足技を飛ばしたとき、
「1発飛び込んで攻めようと思っていた」
という石井慧は、懐に飛び込み、大外刈りと見せかけてからの大内刈りで「有効」を奪う。
すかさず寝技に入り、粘る鈴木桂治を上四方固めで抑え込み、28秒で逃げられたものの、さらに「技あり」を奪った。
鼻血を出した鈴木桂治の処置で少し中断した後、試合再開。
残り時間は4分23秒。
両鼻にティッシュを詰めた鈴木桂治が前に出てくると、石井慧は完全に守りに入る。
残り1分25秒、あまりの守勢に主審が副審を呼んで協議を行い、石井慧は「注意」をもらい(有効を奪われ)、ポイント差は技あり1つ。
残り18秒、「待て」がかかって、再び主審が副審を呼んで協議し、石井慧に「警告」を与え、ポイント差は有効1つ。
テレビ解説をしていた篠原信一は、
「逃げまくってます」
と全日本選手権の決勝で前代未聞の逃走劇を批判。
石井慧が飛びかかってくる鈴木桂治の攻撃をしのぎ、かけ逃げっぽい体落としを放って寝ころび、「待て」がかかったのは、残り2秒。
立ち上がった後、反則が来るが注目されたが来ず、終了のブザーが鳴ると、石井慧は顔をクシャクシャにして涙を流し、同大会2年ぶり2度目の優勝。
「ホッとした気持ちと悔しい気持ちと2つある。
握力も続かないし、足が動かなかった。
練習が足らなかった」
石井慧に勝ちに徹する戦いぶりに批判の声も上がったが、なりふりはかまっていられなかった。
勝利への執念でライバルを上回った石井慧は、選考委員会にも認められ、大逆転でオリンピック出場を決めた。
ちなみに井上康生は、準々決勝で高井洋平に敗れ、これが最後の試合となった。
残り10秒で放った内股を透かされて押さえこまれ1本負け。
「自分自身の力を出し切った。
悔いはない」
「最後まで1本を取る柔道がやりたかったので、最後まで攻撃できてよかった」
と話す井上康生の清々しさは、石井慧と好対照だった。

石井慧は、オリンピックまでは木村政彦の「3倍努力」を超える「5倍努力」を目指した。
5時半から自主練。
6時、大学の朝練とウエイトトレーニング。
10時から警視庁で6分×10本。
大学で戻って食事をして昼寝
16~20時から国士館大学で練習。
そのまま明治大学の夜間練習へ。
23時に練習が終わり、立ち食いそば・うどんチェーン店「富士そば」で食事をして終電で帰宅。
電車で移動中にはイメージトレーニング。
試合のイメージは
「外国の選手をボコボコに投げ、圧倒的に勝つ」
しか行わないが、試合後のイメージは斉藤仁に「褒められるバージョン」と「怒られるバージョン」の2種類があった。
寮に戻るのは深夜。
1日の締めは柔道着の洗濯で、どんなに遅くなっても自分で洗う。
「道着の洗濯は自分でします。
地べたに置かないし、きれいにたたみます。
きれいな道着で練習しないと身につかないと思うので」
石井慧にとって柔道はスポーツではなく、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの戦いだった。
小学校時代に切れた白帯は、日付を書いて保管し、高校時代から使っている黒帯は
「これが切れたら自分も死ぬ」
という守り神的存在だった。
そして寝るのは2時を過ぎた。
「練習だけじゃなく、寝るのも食べるのも練習。
みんなが酒を飲んだり遊んでいるときに体を気遣うのも練習です。
みんなが夜遊んでいるとき低反発の布団と枕で寝て冷房も強烈にせずに寝る。
それだけで練習なんです。
24時間練習していると。
父、義彦親は『18度以上は冷房やない』といっていましたが、それも我慢してました」


2008年6月、オリンピックまで2ヵ月の段階で石井慧は右足親指を脱臼。
極度の不安に見舞われ、抗ウツ剤を服用。
関東一円の毘沙門天を巡り、上杉謙信を祀った山形県の上杉神社にも足を運び、クスリだけでなく神まで頼れるものにはすべてすがった。
柔道着を入れたスポーツバッグには数十個のお守りがぶら下がっていたが、このバッグもヒグマのごとき執念で手に入れたもの。
あるとき寮で先輩、棚橋正典が持っていたノースフェイスのバッグに一目ぼれ。
「先輩、それください」
と頼んだが断られ、以後、1年間、ことあるごとにくれくれとねだり続け、。あまりのしつこさに棚橋正典は
「大切な人からのプレゼントだからあげられない」
と説明。
しかし石井慧は
「じゃあ(バッグをくれた)そいつと僕、どっちが大事なんですか?」
棚橋正典が
「じゃあ、新しいの買ってやるよ」
というと
「えっ!
じゃあ、これの赤色をお願いします」
と顔をクシャクシャにして喜んだ。


高校時代、1年間試合に出られずメンタルを病んでいたとき、寮で犬を飼おうとしてバレ、犬が大阪の実家へドナドナされるという苦い思い出がある石井慧は、鳴くことがなく、しかも縁起がよい亀を飼おうとペットショップへ。
そこで白い蛇を発見し、即決。
「権現さん」
と名づけて部屋で飼い、守護神と崇め
「おはようございます」
と挨拶。
部屋に入ってくる他人にも挨拶することを求めた。
権現さんは北京へも同行した。
この後、ケガを不安視するマスコミに対して、石井慧は
「ウツでも金!」
とコメント。
多くの悩める人を勇気づける名言となり、地元、大阪の茨城市で行われた後援会主催の激励会でも
「どうも。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの石井です」
と挨拶した。

2008年7月、母、美智子が学校の授業でバレーボールをしていて生徒と接触し、右大腿骨を骨折。
石井慧は、ニヤニヤしながら見舞いにいき、
「ほんま時間がないねん」
といってすぐに帰った。
8月8日、北京オリンピック開幕。
8月11日、バトミントン女子ダブルス準決勝で日本代表が中国に勝った後、ラケットを放り投げるのをみて、石井慧は
「あいつら強くならん。
なんで捨てるねん」
と怒り、周囲に
「競技も発想も違う」
と諭された。
8月14日、退院した石井慧の母、美智子が北京行きの飛行機に乗った日、男子柔道100kg級、鈴木桂治は、1回戦でツブシンバヤル(モンゴル)に1分26秒、もろ手刈りで1本負け。
敗者復活戦でも1回戦でベールラ(ドイツ)に34秒、横落としで1本負け。
2階級制覇を目指した2度目のオリンピックは120秒で終わった。

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柔道競技は体重が軽い順に行われるため、残るは100kg超級の石井慧のみ。
ここまで日本男子柔道が獲得したメダルは、66kg級の内柴正人の金メダル1個のみ。
初戦負け、2回戦負けした選手が5人もいた。
石井慧は選手村を抜け出し、国士舘大学の仲間がいるホテルに移動。
このホテルには両親もいたが
「プレッシャーになる」
と会わず、いつもの寮の雰囲気で、仲間の1人が日本から持ってきた格闘ギャグアニメ「ジャングルの王者ターちゃん」のDVDを鑑賞し。
「強ぇなあ」
を連発。
北斗の拳では
「ケンシロウよりラオウ」
グラップラー刃牙は
「範馬勇次郎よりもビスケット・オリバ。
オリバよりジャック・ハンマー」
キン肉マンではネプチューンマンとビッグ・ザ・武道のコンビ技
「クロスボンバー」
が好きだという石井慧にとって強さとは
「わがままを押し通せること」
だった。
「我慢して最後の最後に世界チャンピオンになったりすればドラマになると思うんです。
でも本当に強かったら我慢をしなくていいと思うんです。
例えば本当のNo.1がボロボロの服を着ていても恥ずかしくないんです。
許されるんです。
わがままを貫き通せる力が強さなんです。
自分を貫くこと。
誰に何をいわれようと、ヒールになろうと、自分のわがままを通したことが強さだと思う」

8月15日、北京オリンピック柔道競技最終日。
試合当日の1回戦の前に控室で斎藤仁に怒られ
「すごいのは怒られ慣れすぎてまったく聞いていない。
右から左に・・」
という石井慧は、試合前、ヘッドホンをつけて映画ロッキーの「Theme of Rocky 」、映画ザ・ラスト・オブ・モヒカン」のサントラ曲でヒクソン・グレイシーの入場曲でもある「For Battle」、レゲエ曲、HIBIKILLAの「あっぱれ!JAPAN」 を聴いてサイキングアップ。
そして180cm、110㎏と100kg超級では小柄な石井慧は、

1回戦、190cm、145kgのパオロ・ビアンケシ(イタリア)を腹這いに倒した後、しつこく押し、反転させて「有効」をとり、その後、鮮やかな内股で1本勝ち。
2回戦、イスラム・シェハビ(エジプト) に大内刈り で1本勝ち。
3回戦、アテネオリンピック銀メダルのタメルラン・トメノフ(ロシア)に 横四方固めで1本勝ち。
準決勝、ラシャ・グゼジャニ(グルジア)を 大内刈りでポイントを奪って抑え込み、上四方固めで1本勝ち。

と4連続1本勝ち。
しかし、
「準決勝に俺が怒るといいことがある」
というジンクスを持つ斎藤仁は、石井慧に
「ちょっと来い」
といい、
「なんだあの柔道は!」
といって怒り、殴った。

決勝戦の相手は、世界選手権金メダルのテディ・リネール (フランス)に破ったアブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)
石井慧の相手にいいところを出させない、攻めさせない柔道で、アブドゥロ・タングリエフは「指導」を2回もらい、敗北。
石井慧は優勢勝ちでオリンピック初出場で金メダルを獲った。
畳を下りた直後、インタビューを受け、
『五輪のプレッシャーは?』
「自分が全日本選手権のチャンピオンなんで、自分が負けたらもう日本の負けだって、斉藤先生から耳にタコができるくらいいわれてたんで、勝ててよかったです。
まあオリンピックのプレッシャーなんて、あの、まあこんなんいうたら失礼ですけど、斉藤先生のプレッシャーに比べたら、もう屁のツッパリにもなりません」
『五輪の畳はどうでしたか?』
「滑らなかったです。
これで慢心することなく、自分はスポーツやってないんで戦いだと思ってるんで、帰ってまた空気イスをしたいと思います」
『今は何がしたいですか?』
「いましばらく、あのぉ~遊びたいッス。
(何かに気づいたような顔をして)
アッ、練習したいッス」
その他にも
「これが国士舘の柔道ッス!!」
「生きて日本に帰ることができます。
勝てたんです」
「柔道最高!」
などと石井節を炸裂させ、テレビの解説をしていた篠原信一は
「どちらかというと石井はあまりしゃべらない方がいいですね」
といって笑った。
直後、石井慧は斎藤仁に、
「ちょっと来い」
呼ばれ、声のでトーンと眉間の辺りをみて
(怒られる!)
と思ったが、その通りだった。

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この後、各テレビ局のスポーツ番組にハシゴで出演。
午前3時、選手村に戻らず、
「腹減った」
と金メダルを下げたまま国士舘の仲間の部屋に乱入。
ビールとつまみを腹に入れた後、5人で雑魚寝。
翌日、行われた記者会見で、
「これから石井の快進撃が始まります」
『ゆっくり休めましたか?』
「ボクが休むのは死ぬときです」
『(陸上男子ハンマー投げの)室伏広治選手と握手した印象は?』
「オスとして室伏選手にひかれて闘ってみたい気持ちがあります。
自分の方が握力が強かった」


「屁の突っ張りにもなりません」
は、新語・流行語大賞の候補60語にノミネートされたが、斎藤仁は、
「北京オリンピックは、自分が描いていた最悪のイメージがピタッとはまってしまった。
最後に石井慧が勝ったけれども、それまでの負け方がひどかった。
メダルにも絡めなかったっていうのはね。
金丸(雄介)は肩脱臼しちゃったし、小野(卓志)もどうしようもなかった。
(泉)浩なんか論外、完全な減量失敗。
負け方でも次につながる負け方もあるけど、あれは次につながらない。
泉はカイロ世界選手権で優勝して、ちょっと慢心になっていたのかもしれません。
だからそれを考えたら4日連続で負けた後に石井はよく勝ったと思う。
石井の「他人は関係ねぇ」というあの性格が、あの場面でうまくハマった。
考え方や人間性を除いたら、石井は素晴らしいと思いますよ。
自分の目的や目標を達成するためなら、人の足を引っ張ろうがお構いなし。
その貪欲さと、それに向かう実行力に関しては、本当に頭が下がる」
とコメント。
山下泰裕監督下で重量級コーチを2期8年、監督として2期8年、合計16年間、柔道日本代表を指導し続けたが、北京オリンピックの後、篠原信一に監督のバトンを渡した。


石井慧は、
「日本に帰ったら自分探しの旅に出ようかと。
柔道着を手に日本全国の渡り歩く道場破りツアーをします。
帰ってくる頃には柔道着はボロボロでしょう」
といったが、実際、帰国後、律儀に全国にいる恩人や仲間を訪ねる、お礼ツアーを行った。
大阪の実家に戻ったとき、祖母、淑子にブランドものの財布をプレゼント。
「お世話になった人に挨拶にいくのにお土産を持っていきたい」
という息子に母、美智子は近所のケーキ屋を勧めた。
すると石井慧は
「お母さん、僕は顔がさすから表に出られへん」
と遠まわしに買ってきてくれといった。
しかし結局、自分でケーキを選びたくなり、すぐそこのケーキ屋まで母、美智子の運転する車で移動。
内心、
「有名人気取りしやがって」
と思っていた母、美智子は、息子が入った途端、店が騒がしくなって、店の前まで人だかりができてしまうのを目撃。
石井慧はサインや写真撮影などに律儀に対応し、車に戻るまでかなり時間がかかった。

ご迷惑をおかけしています!


8月26日、総理大臣への優勝報告会で他競技の選手らと共にに首相官邸を訪問することになった石井慧は、
『首相とは何か会話されますか?』
と聞かれ、
「福田首相とゆとり教育のこととか、ちょっとイチから話し合わないとダメだなあと。
握手するときにガツンといいたいですね」
そして福田康夫首相から直接記念品を手渡された際、1人だけ自ら求めて握手した。
報告会後、
「斎藤先生がいなかったのでプレッシャーなく、福田首相と握手することができました。
最近は毎日のように『頼むからちゃんとしてくれ』といわれているので、後で怒られると思います。
福田総理は、他の総理と違って、すごい純粋さが伝わってきました。
そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ないのかなと・・・」

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