田中美佐子と深沢邦之の離婚
田中美佐子、女優。1959年11月11日、島根県知夫郡島根県隠岐郡出身。東洋女子短期大学英語英文科卒業後の1981年に女優デビュー。テレビ、映画、グラビアなどで人気を博した。
1995年11月、田中は同じ事務所で付き人を務める7歳年下の深沢邦之と約7年間の交際を経て、結婚した。35歳の田中からの逆プロポーズで結婚が決まった。当時の深沢は、駆け出しのお笑いコンビ「Take2」の無名のお笑い芸人だった。当時の深沢の収入は月収約10万円、田中の年収は1億円で夫婦の収入格差が100倍と言われ、格差婚が話題になった。
結婚後、深沢は、知名度を上げ、収入も着実に増えていった。1999年頃に神奈川県三浦郡葉山町に1億円の新居を構えた。2002年、43歳の田中は、不妊治療の末に長女を出産した。結婚7年目にして、念願の子供が授かった。田中は育児のために芸能活動は休業した。2005年10月に女優復帰。
2019年9月には、夫婦で個人事務所を設立するなど、深沢・田中の夫婦関係は順調に見えた。
2021年3月に夫婦の個人事務所の取締役を深沢が辞任、代わりに長女が就任した。この時期に、深沢は自宅を出る形で、夫婦は別居した。2022年6月、田中は以前とは別の事務所に移籍した。2022年12月に長女は20歳の誕生日を迎えた。半年後の2023年6月7日、女優の田中美佐子(63)とお笑いコンビ・Take2の深沢邦之(56)は、離婚を発表した。格差婚から28年後、ついに熟年離婚となった。
収入格差は縮まれど、結婚生活において、立場の格差は変わらず、少しずつ生じた考えや価値観の違いから、子供が成人するのを待って離婚したのだろうか。
香坂みゆきと清水圭の熟年離婚
香坂みゆき、元アイドル。1963年2月7日、神奈川県大和市出身。1975年、小学6年制の時に『欽ちゃんのドンとやってみよう』のマスコットガールでテレビデビュー、その後アイドル歌手、グラビア、女優などで活躍した。1987年にヘアメイクアーティストの足立一也と結婚したが、1990年に離婚している。
1994年、2歳年上のお笑いタレント清水圭と再婚した。1997年に長男、2002年に次男が誕生した。おしどり夫婦と呼ばれていたが、2023年5月17日、香坂みゆき(60)は、清水圭(61)と離婚していたことを発表した。2億円の豪邸は財産分与で香坂に譲り、清水氏は自宅を出ていったという。
清水は、離婚1年前の2022年4月に芸能界の引退。自宅近くに趣味のゴルフウエアなどを扱うアパレル店&カフェ「柿の木坂コーヒー」をオープンしていた。
2020年から始まったコロナ禍の中、格差も年齢差もないおしどり夫婦にもかかわらず、意識の相違が生じ、最終的に離婚に至ったのだろうか。
熊谷真実のバツイチ熟年離婚
熊谷真実、女優。1960年3月10日、東京都杉並区出身。
1978年、つかこうへ演出のロックオペラ『サロメ』のオーディションに合格し、デビューを果たした。1979年のNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で主演を務め、お茶の間に広く知られるようになる。1980年、劇作家のつかこうへいと結婚したが1982年に離婚。
2012年11月、52歳の熊谷は通っていた書道教室の師匠で、18歳年下の書道家・中澤希水と結婚。翌13年3月に挙式した。結婚を機に中澤氏の故郷である浜松市に移住した。
2023年3月、熊谷真実は離婚を発表した。9年の結婚生活の後、中澤から離婚を切り出されたという。主な理由は「将来的なビジョンの相違」だった。61歳の熊谷と43歳の夫、約20歳の年齢差がある。10年後に妻が71歳、夫が53歳になる。確かにビジョンは描きにくいかもしれない。
10年近い結婚生活の中で、コロナ禍を経験した。中澤氏が、もし子孫を残すことを考えたとしても、それを責めることはできないだろう。そして、前向きな離婚という選択を迫られた熊谷は離婚後も浜松市に住み続けている。
渡辺えり64歳の格差離婚
渡辺えり、女優。1955年1月5日、山形県山形市出身。
女優 高校卒業後演劇を学び 劇団を結成した 。80年代からテレビに進出した。
1995年に劇団員で、12歳年下の若手俳優、土屋良太と結婚。代々木八幡宮で挙式した。
夫は28歳、41歳だった渡辺は子供を望んでいた。2007年9月26日に芸名を「渡辺 えり子」から「渡辺 えり」に変更した。2013年1月、渡辺と27才年下の俳優・吉田侑生と不倫関係が報道される。
2019年4月1日年離婚。格差夫婦であり、さらには年上の妻。格差は広がる一方だった。子供に恵まれることはなかった。土屋氏は、離婚理由として、仕事に対する意見の相違や劇団経営に言及した。
エネルギッシュな渡辺えりは、64歳で12歳年下夫と離婚した。婚姻中に27才年下俳優との不倫の噂もあり、熟女パワー全開の活気が話題になった。渡辺は、離婚後も仕事は順調なようだ。
八代亜紀、70歳の熟年離婚
八代亜紀、演歌歌手。1950年8月29日、熊本県八代郡金剛村出身。
中学卒業後、地元のバス会社でバスガイドとして就職したが、歌手を目指して上京。
1971年に歌手デビューした。1979年に「舟唄」が大ヒットした。1980年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞、その後”演歌の女王”と呼ばれ、ベテラン歌手へと変貌した。
1994年1月、44歳の八代亜紀は、自身の前座歌手を務めていた増田登氏と結婚。ハワイ・オアフ島で結婚式挙げた。結婚後、増田氏は歌手を引退し、八代の個人事務所の代表取締役に就任した。

八代亜紀
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2021年5月に八代亜紀が1月に離婚していたことが報じられた。2人は今後の余生について話し合い、協議の結果、離婚を決断したという。二人に子供はいない。増田氏は、長年、彼女の芸能活動を支えてきたが、離婚と同時に個人事務所の代表取締役を辞任している。
27年の結婚生活の後、70歳の八代亜紀は66歳の夫とシニア離婚した。離婚理由は、増田氏と事務所に所属する30代の女性歌手との不倫関係と言われている。
増田氏は八代より4歳年下で、演歌の女王とその前座の歌手という完全な格差婚だった。
その格差は結婚生活において大きく埋まることはなかったのだろうか。
水前寺清子の75歳シニア離婚
水前寺清子、演歌歌手。1945年10月9日、熊本県熊本市出身。1964年に、着流しの演歌歌手としてデビューした。短髪でボーイッシュな姿に注目が集まり、1968年には「三百六十五歩のマーチ」が大ヒットとなる。1970年代までに『NHK紅白歌合戦』に22回連続出場し、紅組キャプテンを4回も務めた。
1989年に’85つくば万博公演でバックバンドを務めた音楽家の小松明氏と結婚した。
水前寺は43歳、6歳年下の小松は水前寺の個人事務所の社長となり30年以上にわたり、一緒に芸能活動に取り組んできた。また、彼らは老人ケアハウス「水清庵」を設立している。
2019年に旭日小綬章受章、2020年には、デビュー55周年を祝った。同年12月、水前寺と小松は、11月までに離婚していたことが報じられた。
二人は、2017年に水前寺の姉が死去してから、仕事の方針などで対立することが増え、小松が出ていく形で別居していたという。小松氏は10月上旬に個人事務所の社長を辞任。水前寺が社長に就任している。

水前寺清子は、75歳で31年間も連れ添った69歳の夫と熟年離婚した。国民的歌手と優秀なバンドマンという芸能界での格差婚から始まった。お互いの才能のせめぎあいはあれど事務所経営など苦楽を共にしてきた末に離婚となった。夫婦に子供はいない。70歳を過ぎ、水前寺は、一人で生きていくことを決断したのだろうか。小松氏は取材に応じ、離婚後も水前寺に対する好意は変わらない。と語っている。
『三百六十五歩のマーチ』の歌詞では、「人生は ワン・ツー・パンチ」と歌われている。最後のパンチが、シニア離婚であっても、「歩みを止めずに 夢みよう」という歌詞のメッセージが心に響く。