ドンを撃った男のあらすじ

相手がヤクザだろうと立ち向かうチンピラの成田テツオは、その無鉄砲さが西成義賊団の団長の村山に気に入られて、義賊団に入っていきます。
そんな中義賊団が仕切るシマ一帯を、全国制覇を狙う青龍会をバックに持つ赤峰組が荒らすようになっていったのです。
ある日、義賊団の賭場が赤峰組のチクリによって警察に手入れを受けてしまいました。
血気盛んな成田テツオたちは、義賊団の上層部である大阪連合会が止めるのも聞かずにすぐさま報復に出ました。
そのことがきっかけとなり、大阪極道戦争が勃発してしまったのです。
抗争は次第にエスカレートしていき、遂に村山が赤峰組の凶弾に倒れてしまったのでした。
すると、青龍会は一方的にマスコミに戦争終結を宣言すると大阪連合会と手を結んでしまったのです。
解散に追い込まれてしまった西成義賊団…。
でも成田テツオだけは収まらず、1人で青龍会のドンである黒川を撃つことを決意したのです。
妻子に別れを告げて、単身で乗り込んで見事に黒川を撃つことに成功しましたが…。
成田テツオ役の的場浩司

主人公を演じたのは的場浩司さんです。
その強面から、ヤンキーや極道を演じた作品が多いですよね。
若い頃から変わらない鋭い眼光が魅力的です。
的場浩司さんのプロフィールです。
本名:的場浩司(まとばこうじ)
生年月日:1969年3月28日
出身地:埼玉県上尾市
デビューのキッカケ:トラック運転手として働いていた18歳のときに「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の草野球コーナーに出演しました。
そのことがキッカケとなり、1988年に映画「首都高速トライアル」で俳優デビューします。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」懐かしいですよね。
毎週観ていましたが、的場浩司さんが出演したことは覚えていませんでした。
山本太郎さんのメロリンQとL.L.BROTHERSはよく覚えているのですが…。
高校生ダンス甲子園のコーナーは大好きでした。
今観てもカッコイイですね。
ユニークな素人さんがたくさん登場した「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」ですが、的場浩司さんも輩出していたとは驚きました。
翌1989年には人気ドラマ「はいすくーる落書」や「ママハハ・ブギ」に出演し、一躍スターの仲間入りを果たします。
映画やドラマ、Vシネマで大活躍し、現在も俳優として活躍を続けています。
2022年9月公開の映画「犬も食わねどチャーリーは笑う」にも出演していました。
ドンを撃った男のモデルとなった事件
ドンを撃った男のモデルとなった鳴海清さんは、1952年に大阪府大阪市西成区で八百屋を営む両親のもとに産まれました。
少年期は特に素行が悪いとうこともなく、中学卒業後は印刷会社に勤めています。
ただその後たまたま口論とあった相手を殴り殺し、中等少年院に入所するなどカッとなると手が付けられない要因を持っていました。
出所後は真面目に働き、やがて食堂を経営をしますがうまくいかず、次第に地元の暴力団・M組系の催す賭場に出入りするようになり、やがて本職のヤクザとなってしまったのです。
鳴海清さんがY組の組長を襲撃したもともとの発端は、Y組がM組の賭場でトラブルを起こしたことから始まったとされていて、やがてY組とM組の全面抗争に突入します。
その抗争でM組の矢面に立った、鳴海清さんが所属する会長の Yさんが射殺されたことから報復に繋がっていきました。
その中でも特に復讐心に燃えていたのが、ドンを撃った男のモデルとなる鳴海清さんです。
M組3代目組長であるTさんの命を狙って鳴海清さんは、常連客として通っていた京都・三条大橋のナイトクラブで、Tさんを銃撃したのでした。
重傷を負いましたが、幸いTさんは一命をとりとめています。
その後M組に匿われていた鳴海清さんでしたが、なぜか1978年9月に六甲山・瑞宝寺谷にてガムテープでぐるぐる巻きにされた腐乱死体で発見されてしまいました。
遺体は腐乱が進んでいて指紋も採取できず、背中に彫られた「天女の刺青」とお守り袋の中に入っていた子供たちの写真で鳴海清さんと特定されたのです。
悲劇的な結末を迎えてしまいました。
鳴海清さんを匿っていたM組の組員5人が容疑者として逮捕されますが、殺人罪では無罪となっていて現在も未解決です。
まとめ
今回は「的場浩司主演のヤクザ映画「ドンを撃った男」は実話?どんな映画?」についてご紹介しました。
アウトロー役を演じればピカイチの的場浩司さんの熱演が光ります。
現在も俳優として活躍する的場浩司さんの今後の活躍も楽しみにしたいですね!