プロ入りも異端であった落合博満
落合は甲子園のスターではなく、大学野球のスターでもありません。それどころか高校では半ば幽霊部員、大学は中退しています。
社会人を経てのプロ入りは25歳という遅さ。
プロ入りまでのエピソードにも異端さが感じられる落合のプロ入り前を振り返ります。
史上最年少の三冠王
日本人史上初の1億円プレーヤー
1986年、監督の稲尾氏が退任、ミスターオリオンズの有藤氏に要請することが決定的でした。その際のロッテの対応を落合は「野球人」で語っています。
有藤氏に要請する際の条件の一つとして、落合のトレードがあったというのです。球団の要請なのか、有籐氏の要請なのかは読み取れませんでしたが、ミスターオリオンズという名誉のために落合がトレードに出されるというのは異様な事態です。
http://sorepena.sakura.ne.jp/_001/backnumber/s2009/history/1986_3.html
牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂という4選手との1対4の交換トレードで中日に移籍。日本人初の年俸1億円プレーヤーとなりました。
日本人初の年棒調停
史上最年長での規定打席到達
名球界入り拒否の理由
落合は入団当初に酷評されたことを根に持っているのではなく、影響力のある人間がまだ若いルーキーに対して面と向かって酷評した場合、その選手は潰れてしまうのでは、ということを問題にしていました。
プロとして実績を積んでいたり、ある程度の年齢であれば受け流せても、高卒ルーキーは10代、それが名球界という権威のある選手に酷評をされるのは耐えられないことなのでしょう。
この名球界入りのエピソードにも、風土に合わない場所はどんな権威でも関係なく拒否をするという落合流が感じられます。
唯一無二の存在・落合博満
プロらしいプロ選手だった落合、ロッテ、中日、巨人、日ハムと4球団を渡り歩き、選手生活の晩年であった日ハム以外は好成績を残しています。
43歳のシーズンでも3割、20本塁打を記録できる選手はこれから現れるでしょうか。
卓越した打撃技術でプロとして最高のタイトルを獲得した名選手。
今現在、GMとしての評価が如何なるものであってもそれだけは変わらない評価だと思います。
誤解をされやすい性格の方だと思いますが、思ったことが口に出る素直な部分が裏目に出る事もありますね。
今回は選手としての落合博満を振り返りました。
特に史上初の部分にスポットを当ててみましたがいかがでしたでしょうか。