団 優太(だん ゆうた)プロフィール

本名 浜田 訓(はまだ さとる)
生年月日 1967年10月19日
没年月日 2006年8月8日(38歳没)
出生地 京都府
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ、映画
活動期間 1990年 - 2006年
経歴

京都駅(1952年 - 1993年)
1967年10月19日に京都府で誕生した団さん。

手前から中島そのみ・団令子・重山規子
母親は元女優の団令子さんで、父親は医師でしたが、団さんが2歳の時に薬害のスモン病により急死し、死別されています。
幼少期の団さんは

ギター、ピアノを弾きこなし、数百篇以上の詩、数篇の短編小説・シナリオを書く才能や、特技としてカーアクションに自信があるなど、幅広くアーティスティックな能力を持ち合わせていたと言います。
デビュー

団さんのデビュー作は1990年公開の映画「シンデレラ・エクスプレス」で岸岡ヒロシ 役でデビューされています。

作品では、ヒロイン茉莉に心引かれる二流大学の4年生で一応モデルの仕事をしている岸岡ヒロシ 役を演じられていました。
ドラマデビュー

1990年7月2日 から9月24日にフジテレビ系列で放送されていたドラマ「キモチいい恋したい!」に篠崎祐司役でレギュラー出演されていました。

こちらの作品は、旅行代理店に勤めるオヤジギャルの香菜・えり・ユキが、同じ会社の隆・耕平・祐司と、恋や仕事に火花を散らすコメディードラマ。

団さんが注目される様になったのは、1991年から登場した「刑事貴族2」ではないでしょうか・・・。

登場当初は捜査講習受講中の身の繁尾 雅人役で講習期間を終えて刑事課に転属の通称「シゲ」。
お調子者で新人刑事ゆえの失敗も多いが、その言動とは裏腹に目の前の物事に正面からぶつかっていく熱い面も持つ役柄で人気でした。
歌手デビューも
1995年3月には、歌舞伎役者で俳優の中村獅童 さんと「UNIT33」として歌手デビューされていました。
曲は、シングル「香水工場」。
芸能活動を休止?

紅色の夢
団さんは2002年公開の映画「紅色の夢」を最後に突然芸能活動を休止されていました。
その後17歳年上の女性と結婚したが、後に離婚、再婚を繰り返していたと言います。
DVがあった?

色々調べてみると、結婚・離婚・再婚を繰り返した理由は、結婚相手に対してDVがあったと言われていました。

精神安定剤
また精神安定剤による薬づけ(医師の処方の合法薬)の毎日で精神的に辛かったと言われています。
最愛の母親の死

2003年11月24日には、最愛の母親が心不全のため68歳でお亡くなりになっています。
因みに、母親の団令子さんは、1974年に芸能界を引退されていましたが、1980年代末から1990年代初頭にかけ「息子の俳優デビューを応援するため」として、短期間だったが芸能界にカムバックされバックアップをされていたそうです。
団さん自らこの世を去る・・・。

※画像はイメージで団さんが飛び降りたマンションではありません。
母親の死から3年、2006年8月8日白昼、団さんは、自らマンションから飛び降り自殺されました。38歳没。
理由はなんだったのでしょうか・・・。
理由は?

遺書や事前に周囲の人に悩みなど打ち明けていなかったので、正式な理由は分かりませんが、関係者の間では、結婚相手にDV、結婚・離婚・再婚の繰り返し、その事による精神不安定で薬の過剰摂取。
また最愛の母親の死等が原因ではないかと言われていました。
最後に・・・。
団優太さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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