受賞歴
非常階段は結成当初、1986年 第7回ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞する他、1986年 第16回NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
1987年 第22回上方漫才大賞 新人賞
1988年 第8回花王名人大賞 新人賞等、ほとんどの新人賞を受賞されていました。
因みに、同期に今田耕司・130R・桂茶がま・きびのだんご・太平かつみの他、他事務所所属タレントとしては、ウッチャンナンチャン・ダチョウ倶楽部・中山秀征・出川哲朗の中、同年の新人賞などを総なめにしていたんですよ💦
病気発見のきっかけ・・・。
ミヤコさんの病気が分かったのは1996年の始めに、たまたまテレビ番組のリポートで人間ドックを受けたことが、きっかけで、肺癌が発見されたと言います。
その後、闘病に専念し入院されていました・・・。
お亡くなりに・・・。
肺癌が分かりミヤコさんは、闘病に専念するも助からず、1996年6月19日肺癌による心不全のため37歳でお亡くなりになりました。
闘病から半年後に短い生涯を終えたと言います。
一方のシルクさんは?
突然の死に相方のシルクさんはショックを隠しきれず、告別式で号泣されたと言います。
ミヤコさんの真の病状を知らされていなかったためであるとか・・・。
ミヤコさんの死に伴い「非常階段」は解散しましたが、シルクさんは吉本との契約は継続しラジオパーソナリティや翻訳などを生業として奮闘、独自のポジションを築いて、自慢の“セクシーダンス”でブレイクし、さらに“浪速の美容番長”の愛称で美容家として全国区進出をされています。
最後に・・・。
非常階段 ミヤコへとどけ
ミヤコさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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