赤塚不二夫さんの愛娘・赤塚りえ子さん
赤塚りえ子さんの経歴
1965年に新宿赤十字病院にて、漫画家として有名な赤塚不二夫さん、その元アシスタントの稲生登茂子さん、ご夫婦の愛娘として生を受けた赤塚りえ子さん。
高校卒業後は、映像制作を学ぶために専門学校に進学しますが、わずか一年で中退。
その後は赤塚不二夫さんが俳優・鳳啓助さんと親しかったことから、京唄子さん・鳳啓助さんが主宰する唄啓劇団の公演に加わり、女優として活動するようになります。
しかし、こちらも長続きせず、一年半で女優としての活動を停止。
1985年には週刊誌『フライデー』のグラビアページにてヌードを披露。
【画像】赤塚りえ子Part1(フジオ・プロダクション社長,赤塚不二夫娘)ヌード,Akatsuka Rieko – 裸のヌードの芸能人
彼女がヌードを披露したことも驚きですが、世間を仰天させたのは、これが赤塚不二夫さんの意向だったということです。普通の父親なら絶対に猛反対するところですが、その辺の感性が天才として名を馳せた赤塚不二夫さんといえますね。
女優・モデルとして活動されていただけあって、凄く綺麗ですよね。
おっぱいも推定Dカップとかなりのボリューム感がありますよね。男性受けしそうなスタイルをしていて、その魅力に思わず興奮してしまいます。
その後は、唄啓劇団のスポンサー会社にてアルバイトをしていたそうです。
しかし、ご夫婦となった二人の結婚生活は長続きせず、それから3年が経過した1992年には離婚といった結末を迎えてしまいました。
1997年にはロンドンに移り、1998年にはロンドン大学のゴールドスミス・カレッジファインアート科に入学されています。在学中から展覧会に参加され、大学を卒業すると、現代美術家として活躍されるように。
その年内にはロンドンのギャラリー『ダニエル・アーノ・コンテンポラリー・アート』の所属となり、リトアニアで開催されたバルティック国際アート・トリエンナーレにも招待されました。
2005年にはイギリスの永住権を取得しますが、2006年に赤塚不二夫さんの後妻にしてフジオ・プロダクションの社長を務めていた赤塚眞知子さんが亡くなってしまい、それに伴ない、彼女は帰国してフジオ・プロダクションの社長を引き継ぐことに。