1997年8月15日、プラムさんは広島市のアステールプラザで行われたタッグマッチ(プラムさんのパートナーはコマンド・ボリショイ選手、対戦相手OZアカデミー(尾崎魔弓選手・天野理恵子選手))
この試合中にプラムさんは尾崎魔弓選手からライガーボムを受け、ピンフォール負けとなりますが、事件が起きたのは、その後、プラムさんがピクリとも動かなくなりリングに緞帳(厚手の布)が降りてきて会場は一時騒然となったのです。
そしてプラムさんは直後に意識不明の重体となり、救急車で市内の病院に搬送されました。
お亡くなりに・・・。
日刊スポーツ
開頭手術には成功したものの翌日に容態が急変、急性硬膜下出血並びに脳挫傷によりお亡くなりになりました。29歳没。
生前最後の試合動画は?
1990年代後半、女子プロレスの人気は下火になっていて、テレビ中継等はありませんでした。
また当時は、現在の様に携帯やスマホ等普及しておらず、動画を撮っている観客もいなかった様です。
その為、現在残っているのは、週刊プロレスのカメラマンがとらえたプラムさんが救急搬送される時の写真だけだと言います。
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死因は急性硬膜下出血・脳挫傷
急性硬膜下血腫
プラムさんは、尾崎魔弓選手のライガーボムを受けた際、マットに頭を強打したことで、急性硬膜下出血と脳挫傷を負いました。
脳を覆う硬膜下に出血が起こったことで、脳を圧迫するのが「急性硬膜下血腫」です。緊急開頭手術で血腫等を取り除いたと思われますが、ダメージは深刻だったと思われます。
プラム追悼興行
事故から2ヶ月が経過した10月30日と一周忌直前の1998年8月13日には、「プラム追悼興行」がJWPを始め当時存在したすべての女子プロレス団体(アルシオン除く)の共催で開かれています。
命日には
対戦相手だった尾崎魔弓選手がOZアカデミー女子プロレスを立ち上げてからは、OZ主催で毎年命日前後に「プラムの花咲くOZの国」という追悼イベントを開催しています。
大会では「プラムの花咲くOZの国」と銘打ち哀悼の意を捧げると共にOZのビッグマッチと位置付けており、現在でも行われていると言います。
更に尾崎選手は事故を契機にプラムさんの慈善事業「プラムズハート」を立ち上げ、2011年の東日本大震災後は団体の枠を越えて多くの選手に呼びかけて、「プラムズハート女子プロレスの会」を結成されています。