中島 忠幸(なかしま ただゆき)プロフィール

本名 中島 忠幸
生年月日 1971年6月14日
没年月日 2006年12月20日(35歳没)
出身地 福岡県福岡市
コンビ名 カンニング(1992年 - 2006年)
相方 カンニング竹山
立ち位置 右
事務所 サンミュージック企画
活動時期 1992年 - 2004年
経歴

1971年6月14日に福岡県福岡市で誕生した中島さん。
九州産業大学付属九州高等学校中退され18歳の時に地元・福岡の料亭に就職されたそうです。
しかし板前修業に入ったお店が超体育会系のお店で、先輩からイジメられる日々続いたと言います。
1年ほど経った頃、中島さんは、遂にブチ切れ嫌がらせをした先輩を殴り倒して料亭を辞め、東京に上京することになりました。
上京後の中島さんは、友人の家に居候をし、中野区のお惣菜屋で副店長としてアルバイト生活をされていたと言います。
お笑いコンビ「カンニング」結成

その頃、高校卒業後に福岡でローカル芸人されていた竹山さんが、上京して来て2人が再会され1992年の20歳の時に東京で小中学校の同級生だった竹山さんと、『カンニング』を結成されたそうです。
事務所をクビ

株式会社サンミュージックプロダクション
サンミュージックプロダクション - Wikipedia
「カンニング」として芸能デビューし、2人は大手芸能事務所「渡辺プロダクション」に所属していましたが、まったく売れなかった為、直ぐにクビにになったと言います。
その後、中島さんのツテで、「サンミュージック」に移籍されましたが、当時「サンミュージック」のお笑い部門は、弱小事業だったこともあり、しばらくすると業績不振で事業は解散になりました。
「フリーフォークス」
再度所属事務所を失った「カンニング」は、元大川興業のお笑いコンビ「MANZAI-C」の個人事務所「フリーフォークス」へ移籍しています。
しかし「フリーフォークス」時代の「カンニング」も、まったく仕事がなかったため、借金だけがかさむ日々だったようです。
そして業績不振で所属事務所「フリーフォークス」が解散。
再び「サンミュージック」に
そんな苦境を救ってくれたのが「サンミュージック」時代の先輩芸人「ブッチャーブラザーズ」でした。
「ブッチャーブラザーズ」の口利きのおかげで、「サンミュージック」に再度所属が決定したのです。
また芸風も「ブッチャーブラザーズ」のリッキーさんのアドバイスでキレ芸漫才路線に進むこととなった様です。
ツッコミ担当と言うより専らなだめ役
「カンニング」のツッコミ担当だった中島さんですが、相方の竹山さんが、あまりにもキレるため、専らなだめ役でしたが、、次第に竹山さんが暴走しすぎた時など、竹山さん以上の勢いでキレて黙らせていた印象です。
その後の「カンニング」は、テレビ番組の出演が増えていき、何時しか人気者になっていきました。
中島さん結婚は?
テレビに出演するようになり、人気を得るようになった2004年4月に真奈美さんと結婚され、同年9月には長男、翔太くんも誕生しています。
お子さんが生まれた矢先に・・・。
ブレイクし、仕事もプライベートも順調に思えた中島さんですが、お子さんが誕生した年の11月頃、体調不良から病院を受診すると白血病が発覚したのです。
中島さんは白血病発覚後、すぐに仕事を休業して病気の治療に専念しています。
カンニング竹山 亡き相方の病気を知った瞬間「大阪のさんま師匠の番組に出る日で…」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
本田美奈子さんとのエピソード

闘病生活に入った中島さん、同時期に白血病になった歌手の本田美奈子さんと文通をしながら、お互いを励まし合っていたと言います。
しかし本田さんは2度に渡る化学療法を受けるも、白血病が再発し、2005年11月にお亡くなりになりました。
そんな厳しい現実を突き付けられながらも、中島さんは、周囲に対して気丈に振舞っていたと言います。
白血病からの肺炎
中島さんは2006年2月臍帯血移植手術を行い直後は経過も良好だったそうですが、2006年5月頃に白血病が再発。
夏頃に2回目の臍帯血移植手術を受け、容態が回復したため、退院して自宅療養になっています。
因みに、2005年1月22日放送『エンタの神様』(日本テレビ)で竹山さんが一時退院中の中島さんへ突然かけた携帯電話で声のみが流れ、それが最後のテレビ出演だったと言います。
お亡くなりに・・・。
その後、中島さんは、臍帯血移植を受けて軽快傾向とも伝えられたが、ウイルス性肺炎の併発により同年12月20日午前11時46分にお亡くなりになりました。。35歳没。
竹山さんによるとドナーが見つかったが、そのドナーが風邪を引いたため移植ができなくなり、その後中島さんも風邪を引き肺炎を併発して亡くなったとのことです。
葬儀

宝仙寺
中島さんの葬儀・告別式は、東京都中野区にある宝仙寺で2006年12月24日に行われました。
お笑い関係者やファンら900人が参列する中、竹山さんが弔辞を読み上げられていました。
闘病記が出版

家族のたからもの
中島さんの一回忌に、奥様の中島真奈美さんが、闘病記『家族のたからもの―夫・カンニング中島が遺した最期の日記』を出版されています。
中島さんの2年にわたる闘病中に綴った日記をまとめたもので、中島さんの強さと優しさと泣ける・感動するエピソードが書かれていると言います。
また中島さんの死後も竹山さんは、遺族をサポートする形で、息子の翔太くんと一緒に旅行をしたりキャンプする等、父親代わりとなっているとか・・・。
竹山さんの友情エピソード

竹山さんが、現在も「カンニング竹山」で出演しているのは、相方亡くなってからも周りにコンビってこと忘れて欲しくないから「カンニング竹山」で出てると言います。
また相方が闘病中のときピンで稼いだお金も半分にして治療費にあてていたそうです。美しすぎる友情エピソードが有名ですね。
話が大きくなって

現在も竹山さんは、ピンで稼いだお金も半分を中島さんの家族に渡していると言う話になっていました。
しかし近年出演された番組で竹山さん自身が語られていましたが、闘病中はギャラの半分を中島さんに渡していたが、現在は渡していないとコメントされていました。
「俺は、そんないい人間じゃ無いし、間違った情報で美談にされても困る」と語られていました。
どこまでが本当なのか、竹山さんも照れて言ったのか分かりませんが・・・。
最後に・・・。
中島さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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