三田さんの必殺技「デスバレー・ボム」とは自身が開発した代表的なフィニッシュ・ホールドで三田さんが元祖になる必殺技で、相手をファイヤーマンズキャリー(人を担ぎ上げて運ぶ大勢)で肩に担ぎ、自ら横に倒れこみながら相手を頭部から落とす技。
猛武闘賊をいったん解消
1995年には、師匠である北斗晶さんの現役復帰に伴い、停滞していた下田選手との猛武闘賊をいったん解消されました。
チーム解消後、三田さんは長いスランプに突入したと言います。
更に1997年、年初に膝の手術で入院もされています。
1997年3月になると横浜アリーナ大会で、下田選手との猛武闘賊を正式復活させ、三田さんは、パイプ椅子を振り回す徹底したヒール路線を断行し、新機軸を打ち出す様になっています。
その後も渡辺智子選手の腕に裂傷を負わせる狂乱ファイトを展開されていました・・・。
全日本女子プロレス離脱
1997年9月経営難にあえぐ全日本女子プロレスを下田選手と共に離脱されました。
因みに、最後の戦いは伊藤薫選手、渡辺智子選手との金網デスマッチでした。
ネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)
1998年にはネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)の旗揚げに参加されましたが、1年後の1999年には再度フリーランスとなっています。
ただ猛武闘賊として古巣全女やアルシオン、GAEA JAPANに参戦されています。
2005年、NEO女子プロレスに所属する。9月、井上京子選手とのタッグでNEO認定タッグ王座を獲得。
交通事故
2007年5月22日の夜、三田さんは、スクーターで走行中に一時停止違反の車との接触事故に遭い救急車で運ばれ、右肩脱臼により全治1か月の負傷を負っています。
全治1か月でしたが、大事に至らなくて良かったですね。
プロレスラー引退!!
三田さんは、2009年11月1日のNEO女子プロレス後楽園ホール大会の引退試合シングル戦で22年のプロレスラー人生に終止符を打ち引退されました。
3年後の2012年8月5日にラゾーナ川崎プラザソルでのディアナ「下田美馬リアルデビュー25周年記念大会」に来場し、久々にファンの前に姿を見せています。
引退後はどうしていたの?
三田さんは、現役時代に習得したヘルパーの資格を生かして、レスラー引退後は介護福祉の仕事に就いて両立しながら、全女時代の先輩ブル中野が経営するバー「中野のぶるちゃん」で非常勤スタッフとして働らかれていたそうです。
舞台への出演