【訃報】昭和を代表する作編曲家・川口真さん死去。
昭和を代表する作編曲家・川口真(かわぐち まこと)さんが20日、敗血症のため神奈川県横浜市の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。83歳でした。
第一報はこちらです!
川口さんは1937年、兵庫県神戸市出身。東京藝術大学を経て、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で編曲家としてデビューを飾りました。その後60年代後半より作曲も担当するようになり、テンプターズ「エメラルドの伝説(1968年・編曲)」、弘田三枝子「人形の家(1969年・作曲)」、由紀さおり「手紙(1970年・作曲)」をはじめ、「ドリフのズンドコ節」といったザ・ドリフターズの一連の楽曲の編曲や、「ウルトラマンタロウ」の主題歌の作編曲など、昭和を代表する名曲の数々を世に送り出しました。その後は日本作曲家協会顧問や日本作編曲家協会理事を務めるなどしていましたが、ここ1年は体調不良のために入退院を繰り返しており、このたびの訃報となりました。
川口真が世に送り出した昭和のヒット曲の数々!!
昭和を生きた世代であれば、誰もが耳にしたことがあるであろう川口さんの名曲の数々。そのすべてを紹介することはとても出来ないのですが、ここではその中からいくつか厳選して振り返ってみましょう。
由紀さおり「手紙」
1970年に発売された、由紀さおり「手紙」。由紀の代表曲であり、同曲で1970年の第12回日本レコード大賞では歌唱賞を受賞し、第21回NHK紅白歌合戦にも同曲で出場。由紀が紅白常連歌手となるきっかけとなりました。オリコンチャートでは6週連続1位を獲得しています。

弘田三枝子「人形の家」
1969年に発売された弘田三枝子「人形の家」。60年代前半にアメリカン・ポップスなどをカバーしていた弘田が、歌謡曲の世界で一躍人気を取り戻したきっかけとなった楽曲でした。この曲により、弘田は第20回NHK紅白歌合戦への出場を果たしています。

金井克子「他人の関係」
1973年に発売された金井克子「他人の関係」。「パッパッパヤッパー」という独特のスキャットや、指さし確認のような振り付けが話題を呼び、公称で100万枚の売上を記録。同曲で第24回NHK紅白歌合戦に出場しています。

ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」
1969年に発売されたザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」。「ズンズンズンズンズンズンドコ」が印象的なコミックソングで、当時の子供たちの間で人気となりました。川口さんはドリフ関連の編曲を多数こなしており、「ドリフのピンポンパン」「誰かさんと誰かさん」なども担当しています。

「ウルトラマンタロウ」主題歌
1973年から1974年にかけて放送された特撮「ウルトラマンタロウ」。川口さんはその主題歌「ウルトラマンタロウ」の作編曲を担当したほか、挿入歌「ウルトラ六兄弟」も手がけました。また、特撮関係では「ウルトラマンレオ」でも音楽を担当しています。

ご紹介した以外にも、布施明「積木の部屋」、尾崎紀世彦「さよならをもう一度」、内藤やす子「弟よ」、岩崎宏美「熱帯魚」など、数えきれないほどの名曲を届けてくれた川口さん。その偉業は、これからも語り継がれていくに違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
関連記事
【訃報】作詞家・小倉めぐみさん死去。南野陽子は追悼コメントを発表 - Middle Edge(ミドルエッジ)
【訃報】ドラクエシリーズなどの作曲家・すぎやまこういちさんが死去。90歳 - Middle Edge(ミドルエッジ)
【訃報】フォークデュオ「風」のメンバー、大久保一久さん死去。22才の別れ、ささやかなこの人生など - Middle Edge(ミドルエッジ)