イエスの方舟とは?
イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし)氏による1079年 から2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団の事。
千石剛賢(せんごく たけよし)
主宰者の千石剛賢氏は1923年(大正12年)に兵庫県加西市の富裕な農家に生まれ、20歳で海軍に入隊。
終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始め20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていたと言う。
夫人と再婚後の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源。
2001年12月11日、福岡市の病院で死去。78歳没。
ハーレム?
1975年頃、会の名称を「イエスの方舟」と改め、この頃から、家庭には居場所がないと感じていた信者が千石の活動に共感し、家庭を捨てて共同生活を始めるようになります。
信者の多くは若い独身女性で、その後、千石氏の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、1978年から千石氏は信者26人と共に全国を転々としはじめています。
家出した娘たちがイエスの方舟にいることを知った親たちは・・・。
信者の家族は捜索願を出すとともに、マスコミにも千石氏を告発し、協力を依頼した。まずこれに反応したのが、婦人公論誌でした。
1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで家族の手記を掲載し、千石を邪教の主宰者と糾弾。
そのほか多くのマスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で同調する報道が続きました。
教祖は「娘はここにはいない」と主張、警察までもが出動しましたが、千石氏は男女26名と共に集団失踪、完全に行方をくらませたのです。
逮捕状が・・・。
1980年7月2日、千石氏に逮捕状が出る!
名誉毀損、暴力行為などの容疑で5人に対して全国に指名手配がなされました。
ところが、このことが新聞報道された7月3日午後6時50分、千石氏は持病の心臓病から狭心症を発症し緊急入院して、娘たちがマスコミの前に姿を現し会見を行ったのです。
〇〇〇があったのでは?
会見ではこのとき乱れた〇〇〇があったのではないかとの記者の質問に対し、娘らは「夫婦という関係以外では、(性的関係は)全くありません」と毅然と答えています。
その後、捜索願が出されている娘たちに関しては、親元へ帰されました。
不起訴処分に・・・。
千石氏は、任意調査にとどまり、書類送検されたものの翌年、容疑事実は無いとして不起訴処分の決定が下され、この事件で実際に身柄を拘束されたのは韓国籍の1人で、外国人登録法違反で罰金8000円で釈放されています。
千石氏は、逮捕もされることはなく、会の実態が世間に知られるようになるにつれて、マスコミ報道は沈静化していきました。