変形学生服の歴史
1960年代~中高生は学生服を変形し始めたようです。
この当時、変形がなされたのは主にズボン。
1960年代には「ラッパズボン」と呼ばれる裾が大きく広がったズボンや、「マンボズボン」、「スカマン」と呼ばれる逆に裾を細く絞り込んだズボンが一部不良の間で着用されていました。
大学応援団の変形が 「長ラン」「ボンタン」を編み出した。
この流行が応援団員の持つ硬派なイメージと共に全国に広がり、「長ラン」「ボンタン」と呼ばれる変形の代表的なスタイルが誕生したのです。
「学ラン長ラン大混ラン」by金八先生
上図、1979年12月7日放送の3年B組金八先生第一シリーズ第7回では「学ラン長ラン大混ラン」というタイトルで、長ランにスポットライトを当てた話が放映されましたが、まさにこの頃は変形学生服が広まっていったのです。
1980年代は変形学生服の全盛時代
背景には、「ビー・バップ・ハイスクール」などのツッパリ系マンガやドラマの影響や、それによる変形学生服に対する憧れ、学生服に対するファッション意識の高さ等があったとされています。
1980年代後半より急速にブーム終焉に
その後、1990年代中盤以降になると
・ブレザー型への制服のモデルチェンジ
・不良文化の衰退、流行の変遷
・中高生のファッション観や嗜好の変化
といった理由による変形学生服の種類の減少や、変形学生服を取り扱う販売店の減少などの理由により、変形学生服を着用する学生も減少して標準型を着用する学生が大多数となったとされています。
主なメーカーやブランドについて
変形学生服の主なメーカー・ブランドを当時のカタログなどで振り返る。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
学生服着こなしの文化と流行
戦前のバンカラから戦後のラッパズボン・マンボズボン・スカマン
こうした傾向は、実は進学成績などが優秀な一流校ほど顕著でした。
また、そもそも昭和30年代以前の学生服に既製品は少なく、基本的に全てオーダーメイドだったために個人の好みによって標準の学生服のデザインにある程度の個性的なデザインを追加することも行われていたようでした。
遡ること戦前、こういったファッション傾向は職業軍人たちの間にも見られ、大正から昭和初期の青年将校文化華やかりし時代には、軍規に抵触しない範囲内で服地の色調や品質、ディテールやシルエットの優美さなどを競い合っていたといわれています。
【1970年代】長ランにハイウエスト・ドカン
1981年 横浜銀蠅「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」
【横浜銀蠅】「ツッパリ」「暴走族」全盛の時代に人気を博しました! - Middle Edge(ミドルエッジ)
【1980年代前半】セミ短にボンタン