【訃報】“エレキの神様”として知られたギタリスト・寺内タケシさん死去。
日本におけるエレキギターの第一人者で、「エレキの神様」「テリー」の愛称で親しまれたギタリスト・寺内タケシさんが18日、器質性肺炎のため神奈川県横浜市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。82歳でした。
第一報はこちらです!
寺内さんは1939年、茨城県土浦市出身。学生時代よりギターを始め、1962年にはロカビリーバンド「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。加山雄三の主演映画「エレキの若大将」に出演したり、民謡やクラシックをエレキギターで演奏するなど、60年代のエレキギターブームを牽引する存在として活躍しました。また、全国の高校を巡る「ハイスクールコンサート」を開催するなどエレキギターを通じた社会貢献が評価され、2008年には緑綬褒章を受章しています。
音楽仲間から続々と追悼のコメントが!
日本のエレキギターの歴史を語る上で外すことの出来ない存在であった寺内さんの訃報には、数多くの音楽関係者が追悼のコメントを発表。「エレキの若大将」で共演した加山雄三は、「また一人、若大将の仲間が亡くなってしまった」「当時、エレキギターをあそこまで弾きこなす人間は他にいなかった」と、当時を述懐。ダイアモンド☆ユカイも「ご冥福をお祈りします」と故人を偲んでいました。
“エレキの神様”寺内タケシとは?
ギター小僧をやっていた人であれば、一度は名前を聞いたことがあるであろう寺内タケシさん。どのような実績を残した人なのでしょうか?ここでは、少し掘り下げて振り返ってみたいと思います。
寺内タケシとブルージーンズを結成!
1962年に結成された「寺内タケシとブルージーンズ」。寺内さんがリーダー/バンドマスターを務め、当初はボーカルを擁するロカビリーバンドでした。日劇ウエスタンカーニバルで人気を博したものの、メンバーの怪我などのトラブルが重なり、メンバーチェンジを経て1964年にはボーカル無しのエレキバンドに。1965年の第16回NHK紅白歌合戦には、植木等のバックバンドとして出演しました。
エレキギターで民謡を演奏!
寺内さんの功績のひとつとして、エレキギターのロックミュージック以外のジャンルへの導入があります。その代表例は民謡のエレキサウンド化であり、「津軽じょんがら節」などをエレキギターで演奏。1978年にはアルバム「日本民謡大百科」を発表しています。また、クラシックにもエレキギターを導入し、1967年にはベートーヴェンの楽曲をエレキサウンド化した「レッツゴー運命」で日本レコード大賞編曲賞を受賞しています。
「若大将」シリーズに出演!
60年代のエレキブームの際には、ブームに乗って制作された映画にも出演。加山雄三の主演映画「海の若大将(1965年)」「エレキの若大将(1965年)」にそれぞれ出演を果たしています。
ハイスクールコンサートで全国の高校を巡る!
寺内さんの活動として特筆すべきものに「ハイスクールコンサート」があります。これは、「エレキギター=不良」というイメージが強かった60年代に、エレキサウンドの魅力を啓蒙するために始めたもので、当初はほとんどの高校から拒絶されたものの、長年にわたる地道な活動の結果、最終的にはおよそ1500校で演奏することとなり、エレキギターへの誤解の解消やエレキの魅力を全国へ広めることに成功しました。
このように、エレキギターを大衆文化のひとつとして世間に浸透させることに全力を注いでいた寺内さん。その偉業は、これからも音楽業界を中心に語り継がれていくことは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
「エレキの若大将」を振り返りたくなった方はこちら!
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