【訃報】ワイドショーを騒がせた「ミッチー・サッチー騒動」で有名な女優・浅香光代さん死去。
剣劇女優として長年活躍した浅香光代(あさか みつよ、本名:北岡昭子)さんが13日朝、東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。92歳でした。
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浅香さんは1928年、東京府生まれ。幼少期より舞台劇団で活動し、1942年に若干14歳で「浅香光代一座」を発足させ、大江美智子や不二洋子らとともに1950年代の女剣劇の全盛期を牽引しました。その後は映像の世界にも進出し、テレビドラマ「特別機動捜査隊」「暴れん坊将軍シリーズ」や映画「晴れ、ときどき殺人」など、多数の作品に出演。その一方で「演劇舞踊浅香流」を創設し、後進の指導にも積極的に当たっていました。近年はメディア露出が減少していましたが、2018年には卒寿(90歳)を祝う会を開き、萩本欽一氏らの前で元気な姿を見せていたとのことです。
浅香光代さんの歩んだ芸能人生とは?
昭和~平成と長きに渡り芸能界で活躍を続けた浅香さん。具体的には、どのような作品に出演するなどしていたのでしょうか?ここで少し掘り下げておきましょう。
剣劇女優として
剣劇女優としては、上述の「浅香光代一座」を率いて新宿や浅草の舞台に立ち、1950年代には殺陣に定評がある中堅劇団へと成長。後に「てんぷくトリオ」として活躍することとなる戸塚睦夫氏、三波伸介氏らも在籍するなど、多数のスターを輩出しました。番組の企画で、お笑い芸人に殺陣の指導を行ったこともあります。

テレビドラマへの出演
テレビでは「特別機動捜査隊」「非情のライセンス」といった刑事ドラマや、「鬼平犯科帳」「必殺シリーズ」「暴れん坊将軍」といった時代劇にゲストとして出演することが多く、2000年に放送された「フードファイト」や、2001年に放送された「金田一少年の事件簿 第3シリーズ」といったドラマにも出演歴があります。

映画への出演
映画では、1973年公開の同名ギャグ漫画を原作とした「ダメおやじ」、女優・渡辺典子の初主演作品として有名な1984年公開の角川映画「晴れ、ときどき殺人」、1989年公開の八百屋と中国人留学生の交流を描いた映画「北京的西瓜」など、様々なジャンルの作品への出演歴がありました。

その他の活動
その他の活動としては、「ライオンのいただきます」「めちゃ×2イケてるッ!」などのバラエティ番組、著作としては自伝の「斬って恋して五十年」、ダイエットについて論じた「浅香光代の代謝復活ダイエット」、さらには「ミッチー・サッチー騒動(※後述)」のきっかけとなるラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」に1994年から1999年にかけて出演するなどしていました。

90年代にワイドショーを席巻した「ミッチー・サッチー騒動」
浅香さんを語る上で外せないのが、1999年に勃発した故・野村沙知代(サッチー)氏との間で繰り広げられた批判合戦「ミッチー・サッチー騒動」ではないでしょうか。これは、浅香さんが野村氏の政界進出を批判したのがきっかけで起こった騒動であり、「大沢悠里のゆうゆうワイド」にて歯に衣着せぬ物言いで痛烈な批判を行いました。この背景には、浅香さんと野村氏が共演した舞台において野村氏が練習を怠っていたことへの不満があったと言われています。
そして、浅香さんの批判がワイドショーに取り上げられると、野村氏もそれに応酬。美川憲一氏、デヴィ・スカルノ氏ら多数の芸能人も参戦する大騒動へと発展しました。泥沼の様相を呈したこの騒動でしたが、2001年に野村氏が脱税容疑で逮捕されたことで事態は収束していきました。
「ミッチー・サッチー騒動」の詳細はこちらの記事で!
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このように、女優としてだけでなくワイドショーも騒がせた浅香さん。なお前述の騒動の野村氏も2017年に亡くなっており、騒動の当事者双方が鬼籍に入ったことに20世紀も遠くなってしまったと感じます。ご冥福をお祈り申し上げます。
浅香さんの芸能人生を振り返りたくなった方はこちらで!
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