現在、再び注目が集まっている企業『アルペン』
皆さんは、ウィンタースポーツ用品店として一世を風靡した「アルペン」を覚えていますでしょうか?バブル期前後のスキーブーム全盛の時代に、広瀬香美などの楽曲を使用したテレビCM、独特の三角形のとがった看板などで、印象に残っている方も多いかと思います。そんなアルペンですが、近年はその名を聞くことが少なくなりました。
独特な三角形をした屋根のアルペンの店舗。

現在のアルペンですが、実は同社の売上に占めるウィンタースポーツ用品の割合は5%以下となっており、総合スポーツ用品店「スポーツデポ」、ゴルフ専門店「ゴルフ5」、そしてアウトドア用品への注力が目立ちます。それは店舗数にも反映されており、「アルペン」の店舗数が50店程度に対し、「スポーツデポ」「ゴルフ5」はともに100店を大幅に超えている状態となっています。このような転換により現在アルペンは急激な復活を遂げており、コロナ禍の状況においても堅調に業績を伸ばしています。
「スポーツデポ」「ゴルフ5」の店舗。


YouTube動画版を製作!
アルペンの魅力を詰め込んだYouTube動画を製作しました。
本稿で触れた情報以外もイラストによる物語も挿入。90年代から現在に至るまで、とある家族の物語もご覧いただければ幸いです。
冬といえばスキー、スキーといえばアルペンだった90年代
90年代前半にピークを迎えた「スキーブーム」。1993年にはスキー客が1860万人を記録するなど、当時はまさに「冬といえばスキー」の時代でした。そして、当時CMを大々的に流すなどしていたアルペンはスキーの代名詞的存在となり、幹線道路沿いなどで目立つ三角形の看板を目印に「スキー用品を買うならアルペン」というイメージを多くの人が共有していました。

「スキー用品を買うならアルペン」というイメージ戦略に大きく貢献していたのが、当時大々的に流されていたCMです。90年代初頭には「出逢い」をテーマにしたCMを作成し、ゴーバンズ「あいにきて I・NEED・YOU!」やリンドバーグ「Dream On 抱きしめて」といったヒット曲が、アルペンのCMを彩っていました。

スキー場でも度々流され、ゲレンデで異性が魅力的に見えてしまう「ゲレンデマジック」にも大きく貢献したであろうアルペンのCMソング。1993年には広瀬香美のシングル「ロマンスの神様」を起用し、同曲はミリオンセラーを記録する大ヒットとなりました。それ以降、アルペンのCMソングは2002年まで広瀬が担当することとなり、「幸せをつかみたい(1994年)」「ゲレンデがとけるほど恋したい(1995年)」「promise(1997年)」など、アルペンのCMに起用された楽曲が軒並み広瀬の代表曲となっています。その結果広瀬は、冬になるとヒット曲を量産する「冬の女王」と呼ばれていました。

CMの出演者ですが、アルペンは愛知県名古屋市に本社を置く企業であることから、同じく名古屋出身である俳優・加藤晴彦を長年にわたり起用していました。その他、2006年には長野オリンピックなどで活躍したモーグル選手・上村愛子が出演するなどしています。

広瀬香美の楽曲を長年使用していたことにより「アルペン=広瀬香美」というイメージを持つ方も多いかと思いますが、広瀬以外のアーティストも積極的に起用しています。90年代には、鈴木あみのシングル「all night long」「white key」や小柳ゆき「あなたのキスを数えましょう」を、スノーボードのブランド「kissmark」のCMソングとして起用し、当時のスノーボードブームの流れに乗りいずれの楽曲もヒットに導いています。

”ゲレンデがとけるほど恋”ができたスキー場
アルペンのCMソングを中心に、冬のヒットソングが多数生まれた90年代。その一方で、スキーを題材とした映画も多数制作されました。その口火を切ったのは、1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」。主演の原田知世と三上博史が描く恋愛模様は、当時の女性たちの憧れの的となり、挿入歌に採用された松任谷由実「恋人がサンタクロース」は、スキー場での定番曲として広く浸透しました。

そして、バブル景気とともにスキーブームが加速していった90年代初頭になると、スキー場が舞台の映画が続々と公開されるようになります。1991年にはスキー版“イージーライダー”とも呼ばれる風間トオル主演の「雪のコンチェルト」、1995年にはウィンタースポーツを通じて男女の恋愛・友情を描いた「ゲレンデがとけるほど恋したい」がそれぞれ公開。特に「ゲレンデがとけるほど恋したい」は、広瀬香美の同名曲を大ヒットに導いたほか、主演の大沢たかおと広瀬が結婚するきっかけにもなりました。

上述のような映画作品の後押しもあり、90年代の冬においてはカップルや家族、友人グループでスキー場へ出かけるのが一般的な光景となっていました。当時、夜行列車や深夜バスを活用してスキー場まで移動するグループもよく見かけましたよね。

スキーブームの終焉
このように、90年代半ば頃まではスキーをテーマとした映画が多数制作され、それに合わせてスキー人口も1993年には1860万人に到達するほどにまで成長を遂げたのですが、90年代後半になると、バブル崩壊によるリゾート産業自体の需要低下や、暖冬による雪不足などが原因でスキー人口が急速に減少。2002年には800万人を割り込むなど、ピーク時の3分の1程度まで落ち込むこととなります。

スキー人口の減少に加え、スキー板の輸入関税撤廃の影響もあり、「ハガスキー」「カザマスキー」といった国内メーカーが倒産。そして1997年にはヤマハが、1998年にはNISIZAWA(ニシザワ)がスキー事業からの撤退を表明しました。なお1998年は長野オリンピックが開催された年であり、日本勢が金メダルを5個獲得するなどの活躍を見せ、スノーボードの人気が高まるなど好材料の揃った年だったのですが、スキー人口自体の減少を抑えることは出来ませんでした。

スキーブームが終焉に向かっていた90年代ですが、バブル期に計画されたリゾート施設がバブル崩壊後に建設完了となるケースが散見されました。例えば、1993年には千葉県船橋市に世界最大の屋内スキー場である「ららぽーとスキードームザウス(通称:ザウス)」がオープン。オープン当初はスキーブームのピークであったため客足は好調であったものの、その後のブーム終焉により経営は悪化。結局2002年に営業を終了し、現在は解体されています。

ピンチをチャンスに変えたアルペン
このように、21世紀に入る頃には急速に収束へと向かったスキーブーム。その影響を受けたのは、アルペンも同様でした。初代・水野泰三社長は、ウィンタースポーツという自社の得意分野に囚われない市場開拓を目指し、1997年には自社ブランド「kissmark(キスマーク)」にてスノーボード用品、ゴルフ用品、一般アパレルなどを展開。さらに2006年には、自社ブランド「IGNIO(イグニオ)」にてサッカー、野球などを含めたあらゆるスポーツ用品を展開しています。そしてウィンタースポーツにこだわらないその方針は、2代目・水野敦之社長の下でも踏襲されています。

店舗に関しても、ウィンタースポーツ関連を扱う「アルペン」は大胆に減らし、それに代わる形でゴルフ専門店である「GOLF5」やスポーツ用品全般を取り扱う「スポーツデポ」などを多数出店しています。これにより「スキーと言えばアルペン」というかつてのイメージからの脱却を図ることに成功しました。

2020年現在、アルペンはさらなる積極的な新規出店を行っており、4月には北海道に体験型アウトドアショップ「アルペンアウトドアーズ フラッグシップストア 札幌発寒店」をオープン。さらに9月にも「アルペンアウトドアーズ フラッグシップストア ららぽーと愛知東郷店」をオープンさせており、ネット通販では難しい“体験”を通じたアウトドアの魅力に触れることの出来る大型店舗を続々と展開しています。なお経営自体も好調であり、売上は2300億円に達し、経常利益・純利益も上昇する堅調ぶりを見せています。

まとめ
スキーブームの終焉に上手く対応し、総合的なスポーツ用品、アウトドア用品販売企業へと変貌を遂げたアルペン。昨今の新型コロナウイルスの感染拡大にも迅速に対応し、10月には自社ブランド「TIGORA」のバーチャル店舗をオープンしました。ここではAR(拡張現実)技術を用いて、同ブランドが起用する三浦理志と加治ひとみがARとなり、等身大の姿で客の目の前に出現します。そして、ファッションのコーディネートを2Dで確認することが出来る仕様になっているとのことです。

「スキーと言えばアルペン」の時代から、総合スポーツ・アウトドア用品店へと変貌し、さらにバーチャルの世界にまで進出したアルペン。今後も我々を楽しませてくれる店舗作りなどを企画してくれることでしょう。今から期待が高まりますね!
