V6のデビュー頃のドラマ
1995年にデビューしたV6は、2020年でデビュー25周年を迎えます。
1997年に放送されていた『学校へ行こう』というテレビ番組が爆発的な人気があり、それでV6を知ったという人も多かったと思います。
当時の学生たちはみんな見ていて、翌日学校で話題になっていましたよね。
そんなV6は、バレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成されました。
1995年11月1日に『MUSIC FOR THE PEOPLE』でデビューし、バレーボールの中継やタイアップドラマに出演しました。
『Vの炎』はどんなドラマだった?


放送期間:1995年10月9日~11月2日(全25回)
主題歌:OP 「MUSIC FOR THE PEOPLE」V6
ED 「夢見る少女じゃいられない」相川七瀬
秋元康さんが企画に携わったドラマで、深夜の放送でした。
今では見られないV6の初々しい姿が見られる、貴重なドラマでした。
キャストはV6全員!
役名はメンバーの本名!
森田剛:森田剛(林の2役)
三宅健:三宅健
岡田准一:岡田准一
坂本昌行:坂本昌行
井ノ原快彦:井ノ原快彦
長野博:長野博
佐野瑞樹:佐野瑞樹(ライバル校エース)
もたいまさこ:朝丘こずえ
萩原流行:謎の男
初々しいメンバーの演技力
デビュー前のドラマとあって、まだ演技の経験が浅いメンバーが多数。
特に岡田准一さんは、このVの炎が演技初経験。
今でこそトップ俳優として名作に多数出演していますが、当時の演技は本当に微妙でした。
メンバーの坂本昌行さんが、岡田准一さんに演技指導をしたこともあったようで、「岡田を官兵衛にしたのは俺だ」と言うこともあるのだとか。
ツッコミどころ満載のストーリー
あらすじ
高校バレーの地区大会でライバルの竜神高校に敗れた月見高校バレー部。バレー部員が次々と辞め、残ったのが林(森田剛)と万年補欠の三宅(三宅健)のみ。生徒会長は、1週間以内に部員が6人揃わなければ廃部すると告げます。
林と三宅は、なんとか残り4人のメンバーを集めようと奮闘し、2人の部員を集めました。
しかし期限までに4人を集められず廃部になりそうなところに、坂本と岡田がやってきて、なんとか廃部を逃れます。
そんな時、6人で食事に行った帰りに林が事故で死亡。
その数日後、林にそっくりな森田が転校してきて入部をしたいといいます。森田を加えて6人で新生バレー部として活動していきます。
メンバーの登場がおかしい
坂本:不良の坂本が他校生と喧嘩をしていた時、階段から乳母車が落ちてくる。その乳母車を回転レシーブしたボールで押し戻す姿を見た林と三宅は、バレー部にスカウトするが断られる。
乳母車をレシーブで押し戻す?なんてことができる坂本くん。超人ですね。
長野:ノートパソコンを空中でタイピングするという謎の技を見せ、それを見た林と三宅は「セッターになれる才能がある」と。
森田剛が1人2役?
林(森田剛)は、部員6人全員集まったところで、交通事故で亡くなってしまう。
そんな中、林に見た目がソックリの森田(森田剛)が北海道から転入してきて、バレー部に入りたいと言う。
そんな偶然ありますかね?みんな幽霊かと思って怖がります。
特訓方法が独特
シャンプー、女子更衣室の前でジャンプ、コサックダンス、ねずみ花火、ビール瓶運び。
ヘンテコな特訓ですが、これらが全部バレーの試合に活かされます。
ちゃんとした特訓なしです。
同級生に見えない?
このドラマ当時、最年長の坂本さんは24歳。最年少の岡田さんは14歳。
10歳も年齢差があったんです。
トニセンの3人は当時から割と落ち着いた雰囲気で、カミセンの3人はやんちゃな雰囲気がありました。
これが同級生というのはちょっと無理がありました…。
今でも安定した人気があるV6の初期のドラマ。コントのようにおもしろい点がいっぱいでした。懐かしのVHSでの発売しかないので見る機会も少ないかもしれませんが、25年前の貴重なドラマ、ぜひ一度見返してみたいですね。