宮本 真希(みやもと まき)プロフィール

本名 同じ
別名義 斐貴 きら(ひだか きら)(宝塚歌劇団時代の旧芸名)
生年月日 1977年12月12日(42歳)
出身地 愛媛県八幡浜市
職業 女優
ジャンル テレビドラマ・映画・舞台
活動期間 1999年 -
所属劇団 宝塚歌劇団(1996年 - 1998年)
事務所 エーチーム
生立ち

宝塚音楽学校
1977年12月12日に 愛媛県八幡浜市で生まれた宮本さん。
子供のころに始めたクラシック・バレエをきっかけに女優を志し、1994年、済美高等学校1年修了で宝塚音楽学校に入学されました。第82期生。
1996年、宝塚歌劇団入団。入団時の成績は10番。斐貴きらの芸名で月組公演『CAN-CAN』で初舞台を踏んだ後、星組に配属されています。
因みに、同期生には紺野まひる(元雪組トップ娘役)、蘭寿とむ(元花組トップスター)、壮一帆(元雪組トップスター)等々。
宮本真希◇学生 時代!!
ユニット

斐貴きら(ひだかきら)時代
1996年、T.a.p.(Takarazuka Angel Project)と呼ばれる同期生によるユニットに選抜され、TVCMにも出演されています。
また1998年に発足した宙組の発足メンバーにも名を連ねていました。
宝塚歌劇団退団

宮本さんは、宙組異動を前にわずか2年で宝塚歌劇団を退団されています。
何か理由があったのでしょうか?
セクハラ事件に巻き込まれて退団!!
宮本さんが宝塚歌劇団を退団した理由については、当時の宝塚歌劇団理事であった寺田瀧雄さんが原因だったと言われております。
寺田さんは、宝塚歌劇団専属の作曲家として活躍し、「宝塚のモーツァルト」との異名を持つ一方で、晩年は暴君化もしていたと言われています。
寺田瀧雄
宮本さんは、宝塚音楽学校時代から、寺田さんからセクハラ被害を受けていたようです。
自宅での個人レッスンで、暴行寸前の被害を受けたそうで、
激怒した両親たちが宝塚歌劇団を訴えるなど、大事となり、宮本さんは、退団を決断する羽目になったと言われています。
宝塚歌劇団退団後
退団後はライジングプロダクション(現・ヴィジョンファクトリー)所属となり、本格的に女優の道に入りました。
前バリなしでベッドシーン💦

おもちゃ
1999年、映画『おもちゃ』(監督:深作欣二)で映画デビューを果しています。
売春防止法施行前後の京の花街を舞台にした作品で、主演の祇園芸者(舞妓)の役に抜擢され、かなりハードな濡れ場シーンがある撮影現場だったようです。
因みに、深作監督の撮影現場では、アソコを隠すために使用する前バリが禁止という慣例まで存在したそうで、新人だった宮本さんは、前バリを貼って撮影に備えていたのですが、
撮影直前になって深作監督より指摘され、前バリなしで全裸シーンに挑むことになったそうなんです。
体当たりの演技を披露し、同作品により「第23回日本アカデミー賞」の新人俳優賞を受賞した他、「第11回東京国際映画祭」の方でも最優秀主演女優賞の栄冠に輝いています。
ドラマにも

「ラブ&ファイト」
2000年、ヴィジョンファクトリー傘下の「ぱれっと」に移籍し、映画だけでなくテレビドラマにも出演の範囲を広げていきます。(現在は、A-Teamに移籍)
2001年1月8日〜3月26日放送の時代劇ロマン「藤沢周平の人情しぐれ町」では、おとき 役でレギュラー出演されています。
また2001年9月 放送の昼ドラ「ラブ&ファイト」では、上原真希役でお馴染みの存在になっていきました。
結婚やお子さんは?

宮本さんは、現在独身です。
これまで熱愛報道もなく、独身を貫いています。
ただ、宮本さんには、「男性不信になったのでは?」と心配する声も上がっています。
それは、宝塚歌劇団退団の原因にもなった、セクハラ被害にあった事が、男性不信になった原因ではないかと言われています。
心配ですね・・・。
写真集やDVD

宝塚出身の宮本さん、写真集も出されています。
birth(2004年1月29日、ワニマガジン社、撮影:塔下智士)
LIVE(2005年3月25日、竹書房、撮影:長屋和茂)
emerge(2006年12月7日、ワニブックス、撮影:山岸伸)
DVD
I [ai](2004年6月30日、ポニーキャニオン)
LIVE(2005年4月22日、竹書房)
現在は?

宮川一朗太さんと
愛媛県伊予観光大使(通称:いよかん大使)に任命され、映画では、2016年7月2日公開の「海すずめ」- 兵藤秀子 役や、ドラマでは、2020年4月9日放送の警視庁・捜査一課長2020 第1話、テレビ朝日)‐ 岡泰子 役 で出演されるなど、女優活動を精力的にされています。
宮本真希オフィシャルブログ「真希の気まぐれブログ」