2003年頃から闘病しながら仕事を続けており、
2005年には「所属事務所に迷惑をかけたくない」と所属事務所のシス・カンパニーから独立もされています。
以降は父親が経営していた会社に所属し、姉がマネージャーを務めたほか、開業医の義兄(姉の夫)が病院選びから治療方針の決定まで全面的に支援し、管理栄養士の母が栄養管理を行うなど、家族総出で深浦さんの女優業を支えていた様です。
また闘病中であることは、ごく一部の関係者にしか知らせず、親しかった芸能人仲間などにも迷惑や心配をかけさせたくなかったことから秘密にしていたという。
深浦さんの真面目な性格が表れていますね。
最後の仕事
生前最後の映画 ぼくのおばあちゃん
深浦さんの生前最後の仕事はテレビ新広島の報道特別番組『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』のナレーションでした。
体調が思わしくないにもかかわらず、「このテーマは絶対やりたい」と姉に付き添われて広島まで出向き、この時、母親に「この仕事が最後になると思う」という覚悟を明かしたと言います。
遺作は、映画では『ぼくのおばあちゃん』
舞台では『新しい橋』(2008年2月・下北沢駅前劇場)
死亡
深浦さんは5年による闘病生活の末、2008年8月25日22時57分、S状結腸癌のため死去しました。48歳没。
同年9月2日に近親者と親しい関係者のみで告別式が執り行われ、9月24日に目黒区のウェスティンホテル東京でお別れの会が開かれ600人の方が参列されました。
遺骨は神奈川県葉山町の相模湾に散骨されたそうです。
加奈子。何をしてやれたかな・・・
加奈子。何をしてやれたかな…
闘病のプロセスは、実父・深浦栄助さんが著した『加奈子。何をしてやれたかな… - 女優・深浦加奈子の父が綴った、大腸ガン闘病記』(主婦と生活社)にまとめられたそうです。
最後に・・・
深浦加奈子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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