バブル時代

ホットドッグプレス Hot Dog PRESS 1989.12.25
1985年から1991年までの日本で起こったバブル景気の時代の事を言っていました。
で、社会全体が景気のいい時代でしたが、特に景気の良かった業種が、銀行・不動産業界・ゴルフ会員権・リゾート会員権の販売業者や地上げ屋等が特に羽振りが良く1年の内で1番お金をかけるイベントでもありました。
現代のIT系みたいなものでしょうか・・・。
また雑誌POPEYE やホットドッグプレス などクリスマスシーズンになると世の男性達を煽るように特集が組まれていました。
赤プリがお約束

赤プリのクリスマスツリーライティング
赤プリ=赤坂プリンスホテル、バブル時期のホテルと言えば赤プリと言われるくらいバブルの代名詞的なホテルでした。
泊まったカップルがチックアウトする時に来年のクリスマスも予約するから1年前からクリスマスイブとクリスマスは満室状態と言われ、中には彼女が居なくても、取り敢えず予約だけしてる奴までいましたから。
でクリスマスまでに彼女が出来なくて当日キャンセルなんて人もいました💦
私の悪友は、予約しておけば、ひとカップル阻止出来るという理由から毎年予約の電話しているアホな奴もいました。
また当時ジョークで、クリスマスイブの性なる夜💗はカップルで赤プリが揺れているとか震度3~5クラスの揺れを観測した!など有名なジョークまでありました。W

レストランでディナー

クリスマスイブやクリスマスは赤プリ以外でも都内のホテルは何処も一杯で、せめて食事だけでもと豪華レストランの予約に走るのです。
ただ料金も店側が強気でクリスマス料金として1人2~3万円が当たり前で、高い店などクリスマスは一律5万円のコース料理のみとか、それでもホテル内のレストランや有名どころのレストランは何処も予約で一杯でした。
最終的にファミレスで食事をするカップルも多くいました。
現在だったらクリスマスにファミレスで食事して何が悪いんだ!と思いますが、当時ファミレスでは、予約を取れなかった事を理由にケンカしてるカップルまで・・・。
バブルって何だったんだ。

ラブホ難民

取り敢えずファミレス等で食事を済ませた後にカップルが向かうのがラブホでした。
丁度バブル時代のクリスマスに生まれた言葉で「ラブホ難民」と言う言葉がありました。
新宿は歌舞伎町や渋谷の円山町、穴場の湯島などのラブホテル街は空室待ちの「ラブホ難民」と呼ばれる人で溢れていました💦
ラブホの待合室だけでも10組待ちなんてザラでしたから、少しでも少ない待ち客のラブホを転々とさまようカップルが街に溢れ出すのです💦
ただ翌日のチェックアウト時の長蛇の列も恥ずかしい思いをするのですが・・・。
【性なる夜】渋谷・円山町のラブホは「満室」連発だったのか!? 「性の6時間」の威力ハンパねぇ...
https://www.j-cast.com/trend/2014/12/25224150.html【性なる夜】渋谷・円山町のラブホは「満室」連発だったのか!? 「性の6時間」の威力ハンパねぇ... : J-CASTトレンド
「苗場スキー場」

苗場プリンスホテル
映画「私をスキーに連れてって」(1987年)の影響もありバブル時期の冬は空前のスキーブームでした。
ハナっから都心を離れて苗場や石打丸山・斑尾高原などに向かうカップルやグループも多くいました。
1番人気は「苗場プリンス」で赤プリ同様、冬のシーズンは予約困難なホテルの1つでした。
クリスマスイブやクリスマスは苗場プリンスに限らず、何処のホテルやペンションも一杯でしたね。
これも苗場ジョークなのですが、性なる夜💗クリスマスイブの夜など苗場プリンスの周りの山では頻繫に雪崩が発生したとかしないとか・・・。

雪崩
80年代後半バブル景気到来『スキーブーム』とは!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ディスコでクリスマスパーティー

バブルディスコ
ディスコを貸切でクリスマスパーティーなんてのもよくありました。
当時流行った「マハラジャ(MAHARAJA)」なんかも50人~貸切OKとかありで、頻繫にパーティーが有ったのを覚えています。
中には人数が揃わないのか、普段から付き合いが無い奴からもパーティー来ない?なんて誘いの連絡もありました。
今ではホストクラブ等でよくあるシャンパンタワーなども、この頃流行り出したのではないでしょうか・・・。
食パン一斤で出来てるMAHARAJAの往年のフードメニュー「ハニートースト」が懐かしい!

マハラジャ特製『ハニートースト』
クリスマスプレゼント
バブル時期のクリスマスプレゼントのド定番と言えば、ティファニーではないでしょうか。
毎年クリスマスシーズンになるとティファニーのお店の前に大行列なんて珍しくない光景でした。むしろ冬の風物詩的な感じもしました。
だってティファニーではクリスマス間際になりますと入場制限まで行われていて、銀座4丁目ティファニーの店かなんかが、本当に店内にある製品が全部なくなったと言われていたくらい。
「売り切れ証明書」

ティファニー&カンパニー
特にオープンハートが人気でギリ売り切れで買えなかった人など店内で泣き出す始末でした。
買えなかった事が「彼女に言い訳ができない」という理由から「売り切れ証明書」が発行されたとか。
また、その光景をテレビ中期もしていましたから笑えます。
現在でいったらIPHONE新機種発売の行列みたいなものなのでしょうか・・・。

ティファニー オープンハートネックレス
1989年には購入できなかった男性が彼女への言い訳のため「売り切れ証明書」と言うものが発行されていました。
http://www.7yorku.com/w-column/?p=635ティファニーとバブル | 新潟【ブランド品買取】セブンヨークの店長コラム
ティファニーがオープンハートの「売り切れ証明書」を出した理由(堀井 憲一郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
質屋

新宿 大黒屋買取センター
やはりバブル時期頃からなのでしょうか、クリスマス明けにクリスマスプレゼントを売りに質屋さんに女の子達が殺到するようになったのは・・・。
本命の彼氏と同じ物をキープ君やアッシー君・メッシー君などに、おねだりしておいて本命の物だけ身に着け、それ以外の物は質屋で換金してしまうのです。
これなら誰に聞かれてもチャンと身に付けてるよ!で通るからです。
特にキャバクラのオネーチャンなんかはお客さんに全員同じ物をお願いして、1つだけ残し残りは全部売ってしまっていましたから。
野郎がティファニー等に並んでせっかく買ったプレゼントも貰った女性が質屋で換金。う~ん世の中チャンとうまく回っていますね💦

※画像はイメージで質屋さんの行列ではありません。
忘年会&クリスマスパーティー

クリスマスの時期はどこの会社も忘年会があり、しかも豪華な忘年会でした。
で、忘年会の席でクリスマスプレゼント的なビンゴ大会があり、
景品も超豪華だったのを覚えています。
私がバブル時期、ゴルフ&リゾート会員権の販売会社にいる時のビンゴの景品が、
1等 現金100万円
2等 ロレックス腕時計
3等 28インチの大型テレビ
↓
残念賞 コーラの空き缶
※今では考えられないような景品ですね。そんな中、残念賞の空き缶を引き当てた私も、つくづくクジ運のなさを実感しましたW

コカコーラ 空き缶
クルージング

やはり、こちらもバブル時期に流行ったのですが、ヘリで都内のナイトクルージング!!
距離にもよりますが、都内のナイトクルーズだったら5万円前後だったと思います。
当時の世の男性達は、リッチな事にこだわっていたんですね~。
現在だったら高層ビルの展望台から下を眺めれば十分ですが・・・。
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最後に・・・

1989年。昔の雑誌、ポパイ popeye「第305号」
いかがだったでしょうか?
当時の野郎にとってクリスマスは1年で最もお金と見栄を張る勝負の夜でした。
また女性達のおねだりにどう応えてみせるかで男の甲斐性も値踏みされた時代だったのかもしれませんね。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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