現在増加中の一人っ子家庭!
日本の深刻な社会問題の一つである「少子化」。一人っ子家庭の割合も、1982年には9%であったのが2015年には20%と倍増しています。この記事では、70年代~90年代から活動を続けている一人っ子の芸能人を何人かピックアップし、特集したいと思います。

坂本龍一

まずご紹介するのは「教授」の愛称で知られている坂本龍一。1952年生まれで、YMOでの活動を始めソロとしても世界的に有名なアーティストです。音楽へのこだわりが凄く強いことで有名で、映画「ラストエンペラー」でアカデミー作曲賞を受賞した際には「今後仕事を選べるという点のみで、受賞は悦ばしい」と名誉よりも音楽活動を優先している姿勢が伺えます。そんな職人気質なところは、一人っ子として子供の頃から音楽に没頭していたからかもしれませんね。
小室哲哉

80年代から90年代のJ-POPにおいて、その歴史にその名を刻んでいる小室哲哉。1958年生まれで、幼少期からヴァイオリンやエレクトーンに没頭、楽器のマスターの速さに周囲を驚かせていました。その後のTM NETWORKでの活動や、90年代の小室ファミリーの一大ブームは皆さんご存知の通りです。一人っ子として兄弟の相手をする時間を音楽に使えたからこそ、日本を代表するアーティストになったのかもしれません。
槇原敬之

シンガーソングライターとして長年活動を続ける槇原敬之。1969年生まれで、16歳のときに坂本龍一が出演していたラジオ番組「サウンドストリート」に応募した楽曲が坂本から絶賛されるなど、若い頃からその才能の片鱗を伺わせていました。槇原の生み出す歌詞の題材は日常生活や恋愛、つまり「ライフソング」であり、一人っ子として育った影響も歌詞に反映されているかもしれませんね。
宇多田ヒカル

日本を代表する女性歌手として君臨する宇多田ヒカル。1983年生まれで、1999年に発表したアルバム「First Love」は750万枚超を売り上げ、アルバム売上の日本歴代一位の記録を保持しています。そんな彼女は歌手・藤圭子の一人娘として育っており、幼少期より歌手を志し11歳のときから作詞作曲を開始。レコーディングスタジオにも出入りしていました。音楽一家の一人娘として愛情を注がれたからこそ、ここまで大成出来たのかもしれませんね。
倉木麻衣

90年代後半より歌手として活躍を続ける倉木麻衣。1982年生まれで、1999年のデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」が、テレビ出演なしにもかかわらずミリオンセラーを記録するなど、驚異的な人気を誇りました。父親はかつて俳優として活躍した人物であり、「倉本麻衣」というセクシー女優を売り出そうとしたことで大きな話題となりました(「ビデオ事件」と呼ばれています)。この件がきっかけとなったのか、現在倉木は父親と絶縁しているそうですが、一人っ子として育った環境のおかげか歌手として立派に独り立ちしています。
浜崎あゆみ

エイベックスを代表する歌姫として現在も活躍を続けている浜崎あゆみ。1978年に福岡で生まれた浜崎ですが、幼少期に父親が蒸発。母子家庭という複雑な家庭環境の中で育ちました。その後スカウトを経てアイドルとして活動、そして1998年にシングル「poker face」で歌手デビューを果たしました。その後の活躍は皆さんご存知の通りですが、プライベートでは二度の離婚を経験。一人っ子として誰かが傍にいない環境で育ったことが影響しているのかもしれません。
三谷幸喜

日本を代表する脚本家・監督として長年活動を続ける三谷幸喜。1961年生まれで、鬼才・天才と呼ばれる作家としては珍しく「常識人」として知られています。自身を「正義漢」と称することも。喜劇を得意とし、社会風刺や過激な描写などは好まない傾向がありますが、こういった作風も一人っ子として内省的な生活を送ってきた影響があるかもしれません。
佐藤浩市

日本を代表する俳優の一人である佐藤浩市。1960年生まれで、三國連太郎の一人息子でもあります。結婚を4度経験し女性関係で巷を騒がせてきた父親の影響か、80年代に手塚理美との不倫騒動を起こし離婚。その後再婚し、生まれた息子「寛一郎」は俳優として活躍しています。一人っ子ですと兄弟がいない分、どうしても両親の影響を受けやすい部分があると思われ、それがプライベートにも影響したのでしょうか?
宮沢りえ

80年代後半よりアイドルとして注目を浴び、現在は日本を代表する女優に成長した宮沢りえ。1973年生まれで、マネージャーだった母親(「りえママ」と呼ばれていました)の存在も大きな話題となりました。りえママにより生み出された写真集「Santa Fe」が、その後の女性アイドルの写真集に多大な影響を与えたのは皆さんご存知の通りです。
島田紳助

最後にご紹介するのは、引退騒動で話題となった島田紳助。1956年生まれで、お笑いだけでなく司会業などマルチな才能を発揮していました。国鉄職員の父親の下で、家庭教師を付けられるような厳格な家庭に育っており、その環境は若い頃のヤンキーのような風貌とかなりのギャップがあります。たくさんの兄弟に囲まれて、兄貴としてリーダーシップを発揮する姿が容易に想像出来ますが、一人っ子の環境でどのようにしてあのキャラを獲得したのか、気になるところです!
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